2010.06.24 Thursday 00:43

裏切られた革命?  鳩山政権の蹉跌をいかに乗り越えるか

 世論調査のたびに鳩山内閣の支持率は低下を続け、五月末には政権危機までがささやかれる有様である。長年、民主党を軸とする政権交代の必要性を説いてきた者にとって、この政権の「敗因」を論じることは辛い作業である。しかし、鳩山政権が何を達成し、どのような限界にぶつかったのかを明らかにしなければ、日本の政党政治は前進しない。

 この政権が麻痺状態に陥った最大の理由は、民主党が政権交代を自己目的としたこと、あるいは実体的な政策転換についての十分な展望を持っていなかったことに尽きる。半世紀以上も続いた自民党政権を倒すことがそれ自体目的となったことは仕方ない。しかし、それは政界関係者にとっての話である。政権交代がよりよい社会を作り出すことにつながらなければ、それは民主党にとっての自己満足で終わる。

 もちろん、民主党もマニフェストを作り、自民党政権が進めた政策を大きく転換することを訴えていた。だが、それは明確な理念に基づく体系というよりも、スーパーの開店記念セールのチラシのように、様々な項目が羅列されていたに過ぎない。地球温暖化防止と揮発油税減税や高速道路無料化など、相矛盾する項目も並存している。目指すべき政策に関する確信が内閣と与党の指導部に共有されていなかったことが、後に混乱を作り出すこととなった。

 ここで改めて、政権交代の歴史的意義と、民主党が目指すべき政策の方向を整理しておきたい。ここでの整理は、私自身の考えであるが、民主党の政策にも表現されていることである。私は、民主党政権の樹立を戦後日本政治の第三の段階として位置づけている。第1の段階は、かつての自民党と官僚の連合体による再分配政治であった。日本の場合、制度的再分配、つまり社会保障は貧弱で、官僚のさじ加減と政治の圧力で左右される公共事業補助金、護送船団方式による業界保護が政治の焦点となった。これらの裁量的政策により競争力の弱いセクターで雇用が確保され、結果として貧困、失業等のリスクから個人や地域社会が守られた。

 しかし、第一段階の裁量的政策によるリスクの社会化は、無駄、腐敗、既得権を生みやすい。その弊害が顕著になった二〇〇〇年代から、第二段階としての新自由主義改革が現れた。これは、規制緩和、社会保障や地方交付税の支出を削減することにより、リスクを個人や自治体に転嫁する政策であった。改革の当事者は、公正な市場を目指したのかもしれないが、事業仕分けのときに明らかになったように、裁量的政策による既得権は残された。その意味で、第二段階は図の第三象限に位置する。族議員と官僚の横暴に辟易した国民は当初この改革を歓迎したが、二〇〇〇年代の後半になって貧困、不平等の拡大という結果を認識するに至った。

 民主党の目指す政策は、第三段階としての制度的な再分配の強化だったはずである。子ども手当てや高校無償化もその一環である。国民に対して公平に政策的恩恵を配分し、生活不安を解消するとともに、内需主導の経済を作り出すことが、「生活第一」路線の中身である。かつての自民党政治におけるバラマキは、政治過程のインサイダーに対する裁量的な恩恵給付であったのに対して、民主党の政策は公明正大な再分配である。バラマキという批判に対してはそのように反論すればよいだけの話だが、指導部が明確な理念を共有していないために政策の骨格の議論においてぶれが目立った。

 また民主党が本来目指すべき理念は、三つのポストによって表現される。第一は、ポスト冷戦である。その中身は、アメリカの一極主義的な軍事行動への追随を見直し、アジアにおいて平和を作り出すという方向性である。鳩山政権は、核軍縮への積極的な姿勢、東アジア共同体構想、普天間基地の海外移転など、この方向のアジェンダを打ち出した。

 第二は、ポスト物質主義である。その中身は、成長の限界を踏まえ、持続可能性を鍵に経済のパラダイムを組み換えることである。鳩山首相は温室効果ガスの25%削減を打ち出し、この方向に踏み出すことを公約した。

 第三は、ポスト権威主義である。その中身は、市民の能動性を強化し、開放的な多文化社会を作ることである。民主党は、かねてより夫婦別姓や市民活動の支援などを唱えてきた。

 これらの理念に関して、当初は民主党も的確な方向感覚を示した。同時に、これらのビジョンは旧時代との訣別を打ち出すものであり、冷戦時代や権威主義を懐かしむ側からは強い反対を受ける。そこでこそ、政府与党の指導者の確信の度合いが問われることとなる。残念ながらこの点でも、民主党の信念は不十分であり、反対に遭うとぶれが目立つこととなった。また、大局的な理念を具体的な政策につなぐ知恵や戦略にも欠けていた。

 政権を失速させた大きな要因としては、政治と金をめぐる疑惑もある。資金疑惑そのものより、疑惑解明の姿勢や方法に関して民主党らしさが発揮されなかった点に、不信の原因があると私は考えている。民主党が野党時代に言ったことを今の野党が要求してくれば、それは受けるしかない。疑惑に蓋をして逃げ回る姿勢も、民主党の言う政治の刷新が口先だけでしかないという失望を広めた。

 では、これからいかにして政権の立て直しが可能なのであろうか。最大の前提は、仮に普天間基地移設問題が五月中に決着しなくても、鳩山首相が政権を投げ出さないことである。国民が選んだ政権が一年も持たずに瓦解すれば、政党政治に対する国民の期待も雲散霧消する。自民党政権末期と同じ混乱を繰り返してはならない。

 その上で、民主党は八カ月の政権運営を虚心に点検し、人事、政権運営、政策の各面で、どのような点で見通しを誤ったのかを自ら明らかにする必要がある。大きな期待を背負って就任した閣僚の中にも、無能さをさらけ出し、霞ヶ関で呆れられている政治家もいる。政権運営に関して政治主導の名の下に、政策調査会を廃止し、内閣と政務三役で政策を決定すると意気込んだものの、重要問題で内閣がまとまらず、幹事長の裁定を仰ぐ結果となった。しかも、幹事長室が陳情を取り次ぐことを通して、公共事業費の裁量的配分という旧体制に回帰した印象さえ与えた。政策面では、野党時代に作ったマニフェストをすべて実現することなど不可能であるにもかかわらず、その実現のプログラムについて筋道だった議論がない。

 初めて政権を取ったのだから、試行錯誤があるのは当然である。問題は、錯誤を自ら認識し、それを修正する能力があるかどうかである。民主党の指導部が参議院選挙後の再編に関心を向けているとすれば、それは政治家の身勝手であり、国民に対する背信である。民主党は衆議院の圧倒的多数を基盤に、政策転換を実現する義務を負っている。

政権交代の経験を無駄にしないために、民主党は次のような課題を自ら解決しなければならない。第一に、この政権は何をするために生まれたのか、民主党はこれから何をしたいのか、理念を共有することが何よりも肝心である。そして、政権獲得後の現実も踏まえて中期的なビジョンを打ち出すべきである。

 第二に、政策調査会を復活させて、与党の政治家の総力を結集する体制を構築する必要がある。税制や社会保障の改革など、基盤的な政策転換を進めるためには、与党の力を結集し、議論を蓄積した上で国民に提起する必要がある。

 ここで述べた課題を実現するのは、政府与党のリーダーの役割である。指導部が選挙至上主義に陥れば、かえって有権者は民主党から離れていく。政権の危機を迎えた今、政権交代と政策転換という原点に立ち戻り、自己修正を図ることこそ、唯一の活路である。(日本経済新聞6月23日)


2010.06.21 Monday 00:45

連立政権の崩壊と社民党の責任

 普天間基地移設をめぐる紛糾の末、社民党は連立を離脱し、鳩山政権は崩壊した。事態の展開はあまりにも急であったが、政治における責任の取り方について、重要な教訓を含んでいる。

 まず社民党の動き方について考えてみたい。福島みずほ大臣があえて罷免の道を選んだ時、私は一九九四年の政治改革国会で、当時の参議院社会党左派が造反して選挙制度改革法案を否決した時を思い出した。またやったかというのが最初の印象であった。あの時の造反は最初の非自民連立政権である細川政権の死期を早めた。そして、社会党にとってより不利な選挙制度の成立に道を開いた。今回も、鳩山政権がさらに弱体化するだろうと予想した。そして、今でも沖縄に犠牲を押し付ける現在の体制がより長く続くことになるだろうと予想している。

 福島氏が、連立離脱というカードを切ることによって小鳩体制を崩壊に追い込むという野望のもとに罷免の道をひた走ったのであれば、彼女は社民党党首にしておくにはもったいないくらいの政治家である。しかし、実際は三振するつもりでバットを振ったらボールが当たってしまい、長打になったということであろう。

 社民党の身の処し方について、主義主張に殉じた潔いものだという好意的評価もあるかもしれない。しかし、主義主張を純粋に貫くことは、政治家にとって美徳であるとは限らない。

 政治家の最大の使命は、結果を出すことである。普天間基地の県外移設という大目標に照らすならば、社民党が節操を貫くかどうかなど、どうでもよい問題である。野党の立場から日米合意を撤回せよと叫んでも、屁の突っ張りにもならないことくらい、与野党を両方経験した福島氏自身が知っているはずである。

 鳩山政権が泥縄式にまとめた日米合意なるものによって普天間基地移設問題が決着したと考えるのは、大間違いである。鳩山氏が県外移設を主張したことにより、沖縄における反基地感情のマグマは吹き出した。この変化は不可逆なものである。地域振興予算と引き換えに基地を受け入れさせるという常套手段については、地元経済界も沖縄県庁も拒絶する姿勢を示している。辺野古沖への基地建設には海の埋め立てが不可欠であるが、許可権限を持つ沖縄県知事がそんなことを許すはずはない。問題の決着までにはこれからいくつもの山を越さなければならないのである。その時、社民党が政権にいるのといないのでは、同党の影響力には雲泥の差がある。

 政治的判断の下し方は、そう複雑な話ではない。自分がある決断を下す時、誰がそれを最も喜ぶか、誰に最も不利益が及ぶかを考えればよい。社民党の政権離脱を最も喜ぶのは、民主党内のタカ派である。それによって最も損害を被るのは、社民党が代表すると称してきた弱者や沖縄の人々である。

 政治家は権力を使うことによって良い政策を実現し、国民から評価を得ようとする。しかし、その場合の称賛は、権力を行使することに伴う批判や攻撃と表裏一体である。称賛だけをいいとこ取りしようとする点に、日本の左派の甘さがある。今回の社民党の行動はその典型例であった。現実主義をわきまえ、責任感を持った左派こそ、日本の政治に必要である。(毎日新聞6月10日夕刊)


2010.05.03 Monday 00:25

「この人・この3冊」 山口二郎・選 辻井喬

 辻井喬という人は、当代日本で最も多くの顔を持つ文化人である。彼が自分自身を語ることが、そのまま戦後日本の政治、資本主義経済のある側面を鋭く照射することになる。それは彼自身がまさに波乱に富んだ経験をしたことに由来するが、それにもまして自らの経験を対象化し、言語化する能力を持っているからである。多少能力があれば散文による表現はできるが、詩を書くには並はずれた言語能力が必要だろうと、散文しか書けない私などはあこがれる。

 自己を語ることが、決して単なる自己陶酔にならず、かといって必要以上の自己否定にもならないというのは、不思議なことである。それだけ自己を見つめることが深かったということなのだろう。そうした苦悩は、自身および家族をモデルにした小説で描かれている。だが、私にとってはフィクションよりも、回顧録の方が率直で、面白い。これは戦後史に関する一級の史料である。学生時代に共産党に入って政治闘争に加わったがゆえに、権力の本質的部分にぶつかり、経済人となってからは敢えて政界から距離を置き、政治家を冷静に観察することができた。

 自伝詩の中では、自らを多重人格、スパイ、越境者と表現している。様々な分野をまたにかけて活躍した人物の実感だろう。ただし、辻井の場合いろいろな顔を持っているだけでなく、様々な顔の裏には自分を突き放す厳しさが一貫している。そして、その厳しさは中野重治の感化によるのではないかと私は想像している。中野との交際は回顧録の中でも触れている。辻井の詩には、中野の詩の生真面目さ、堅さが継承されているように思える。

 もう一つ、辻井の資本主義の批評家という側面を逃すことはできない。それを最もよく示すのが上野との対談である。高度成長、消費社会の到来、そしてバブルの崩壊と方向喪失という戦後日本経済の展開を、小売業という消費者の最も近くで観察、実感したが故の深い洞察がある。共産主義からは離れたものの、対抗原理があるからこそ資本主義は生きながらえてきたという緊張感を失わない。一九八九年の壁の崩壊についても、素直に喜べない自分への当惑を自伝詩の中で表現している。

 辻井は、自己内の、家族内の、そして組織やイデオロギーの間の様々な葛藤を生き、そこから文学と思想を作り出した。葛藤が消滅した時代にこそ、もう一度読む意味がある。(毎日新聞「この人・この3冊」2010年5月2日朝刊)


2010.01.20 Wednesday 00:48

小沢は何と戦うべきか

 石川知裕代議士が逮捕された翌日、鳩山由紀夫首相が小沢一郎幹事長に「戦ってください」と述べた。もし、小沢に何のやましいこともないならば、民主政治を守るために戦うことこそ必要である。しかし、この戦いの意味づけを誤れば、最初から勝ち目のない戦いに突入し、玉砕するという悲惨な結末が見えている。小沢が転べば民主党政権が倒れ、民主党政権が瓦解すれば日本の民主政治が再び混迷に陥る。小沢および民主党の首脳には、十分な戦略を練った上で戦いに臨んでほしい。

 小沢が検察と裁判闘争を戦うと考えているとすれば、それは最悪の錯誤である。仮に最終的に無罪を勝ち取ることができるとしても、それまでの長い戦いの中で民心は民主党を離れ、政党政治はあてどのない漂流をつづけるに違いない。それは、政権交代に希望を託した国民にとって、迷惑千万な話である。

 今回の戦いは、あくまで政治闘争である。裁判闘争では、挙証責任は検察が負う。検察が犯罪事実を証明できない限り、小沢側は潔白である。しかし、政治闘争とは、リングに上がって相手と殴り合う戦いではなく、国民環視のもとでどちらが説得力、訴求力のあるパフォーマンスをするかという戦いである。したがって、政治闘争ではむしろ小沢が挙証責任を負うことを覚悟すべきである。

 その点は、小沢と民主党が今まで何と戦ってきたのかという点とも重なり合う。民主党は、政治家が公共事業の上前をはねる、疑惑があっても多数党の力で国会における真相解明に蓋をするなどといった古い政治の手法や体質を破壊するために、今まで戦ってきたのではないか。その努力が昨年夏、ようやく実を結んだばかりである。

政治変革の大業が緒に就いたばかりなのに、検察が横槍を入れたという小沢の憤りは、小沢の指導力に政権交代の希望を託した私には、よく分かる。しかし、小沢は今回の戦いを裁判闘争に矮小化してはならない。国民生活や景気対策を盾に野党の追及を封じるというのは、民主党が否定してきたはずの古臭い手法である。小沢および民主党が政治変革を実践したいならば、自ら進んで国会や公開の場に出て、あらゆる質問に対して自らの言葉で答えることで、検察に対して先手を取るべきである。そうした捨て身の戦いをしなければ、今回の危機を乗り越えることはできない。小沢個人にそうした決断ができないならば、民主党という政党の政治的能力が問われることとなる。

 繰り返す。政権交代が烏有に帰すならば、国民は民主政治に絶望するしかない。日本の政党政治が瀬戸際にあることを、小沢および民主党の指導部に銘記してもらいたい。(1月19日朝日新聞)


2010.01.19 Tuesday 00:53

小沢の危機と民主政治の危機

 一九九〇年代の政治改革も、昨年の政権交代も、小沢一郎氏なしにはあり得なかった。この数年、民主党のみならず、日本政治全体が小沢氏を軸に展開してきた。だからこそ、資金疑惑をめぐる小沢氏の政治生命の危機は、民主党の危機であり、更に言えば日本の民主政治の危機なのである。その意味で、政治の危機は三段重ねになっている。昨年夏、国民は自民党政治を拒絶し、すがる思いで民主党に政権を託した。その民主党が小沢の資金スキャンダルから自壊するならば、国民は政党政治そのものに絶望するしかない。

 もし小沢氏が、公共事業の受注に便宜を図った見返りに建設会社から裏金をもらっていたならば、政治生命は終わりである。本人がそのようなやましいことをした覚えがないというなら、闘いあるのみである。佐藤優氏が使い始めた「国策捜査」という言葉がメディアに定着して久しい。国策なるものの実体が存在するかどうかは別として、検察の主張を額面どおり受け止めたくないという気分も、世の中にはある程度存在する。小沢氏が政治生命をかけて闘うと言うならば、今はそれを見守りたいと私は思う。

 ただし、その場合の闘いとは何を意味するか、よく考える必要がある。事ここに及んでは、闘いは司法問題ではなく、小沢と検察の間の政治的闘争である。これが単なる刑事事件ならば、どんなに疑惑が取りざたされても、検察が犯罪を立証できない限り潔白だという小沢氏の主張はまことに正当なものである。しかし、政治的な闘いにおいてそんな悠長なことを言っていれば、負けである。

言い換えれば、この政治闘争は、国民が小沢氏と検察のどちらを信用するかという闘いである。この闘いに勝つのは、国民の信頼を勝ち取った側である。検察との戦いに勝利するためには、小沢氏は土地購入に関する資金の流れにやましい点はないことを積極的に立証しなければならない。受身に回っては、政治的闘いには勝てない。

政権交代を実現してから、わずか4ヶ月しかたっていない。通常国会で予算や法案を成立させ、本格的な成果を挙げるはずだったが、石川知裕衆議院議員逮捕で、鳩山政権も、民主党も最大の苦境に陥った。小沢氏にとっては、政治刷新の大業を本格化させようという矢先に、検察が横槍を入れたということであろう。党代表を務めていたときに、小沢に政権交代の夢を託していた私にも、その憤怒はよく分る。しかし、小沢にとっては理不尽だろうが、小沢のその思いは小沢自身が国民に具体的に伝えなければ、理解されない。

事態がずるずると泥沼化し、民主党及び鳩山政権に対する国民の期待が幻滅、絶望に転化するならば、その後にやってくる政治的な混沌がどれほど悲惨なものか、私には想像もつかない。政党政治の中の民主党にも、民主党の中の小沢氏にも、事態収拾のバトンを託す次の走者はいないのである。

 小沢氏個人の政治生命だけが問われているのではない。政権交代を実現した民主党が、これから日本の民主政治を前進させることができるかどうか、更には日本の政党政治の命運が小沢の行動にかかっているのである。今の小沢氏がなすべきことはただ1つである。自ら公開の場に出て、矢面に立ち、あらゆる質問に答えることである。(1月18日共同通信、地方紙)


2010.01.02 Saturday 00:36

2010年の政治

1 民主党政権の評価

 二〇〇九年は日本の政治史にとっては画期的な年となった。憲政史上初めて民意による政権交代が起こったからである。現在の政権は性格には民主党を中心とする連立政権であるが、ここでは煩雑を省くために、政権の中心である民主党に着目し、民主党政権と呼ぶことにする。

自民党政権から民主党政権への変化にどのような意味があるかについては、様々な評価がある。その昔大学紛争に参加して暴れた世代の中には、かつて同じ感覚を共有した菅直人や仙谷由人などの同世代人が政権中枢に入ったことを喜んで、政権交代を革命になぞらえる人々もいる。他方、現世における政治の改善におよそ悲観的な左派の中には、似たり寄ったりの保守的な政党の間で権力をキャッチボールするだけだという突き放した見方もある。

 私自身は、十年以上にわたって民主党を観察し、政権戦略について提言してきた関係で、普通の人よりもこの政権に大きな期待を持っていたために、せっかくのチャンスをなぜうまく生かせないのだという不満を募らせている。政権交代から百日の間は、新政権は何をしても支持される貴重な期間であった。周到な戦略家がいたならば、この期間に新機軸をもっとたくさん打ち出して、政権交代の意義を国民に思い知らせたであろうし、旧政権の悪事を徹底的に暴いたであろう。揮発油税減税と環境税の導入、男女共同参画と扶養控除など、政権の基本政策について閣内で意見が分かれ、内部での議論に時間とエネルギーを費やしたのは、まことに残念であった。やはり、民主党は選挙に勝つことに関心を集中するあまり、政権を獲得したあとの戦略について十分に準備していなかったと言わざるを得ない。

 しかし、やはり政権交代自体の意義を否定すべきではない。政治学の世界を見渡してみると、篠原一、坂野潤治など現役最高齢の学者ほど、素直に政権交代を喜んでいる。彼らは生きているうちに政権交代が起こるとは期待していなかっただろうから、その目で政権交代を見られたこと自体を喜んでいる。坂野は明治維新以来という長いパースペクティブの中で、現代政治の変化を位置づけている。今は、そのような長い時間軸をもって、目先の変動に一喜一憂しない態度が求められているのだろうと、自戒を含めて考えている。

 その意味で、政権交代自体の興奮や物珍しさが消えた二〇一〇年こそ、政治家も、我々のような政治批評を行う者も、さらには市民も政治の将来をじっくりと考える年となる。

2 政権の課題

 政権発足から二か月経ったあたりから、政権が迷走を始めたような印象を与え始めた。その根本的な原因は、民主党が政権の基盤となるような思想をもっていない点に求められる。民主党は政権獲得によってマニフェストを実現すると訴えたが、そのマニフェスト自体に大きな欠陥があった。民主党のマニフェストは、自分たちの訴えとは異なり、manifest(積荷目録)であって、manifesto(政治的宣言)ではなかった。様々な政策項目は羅列されており、数値目標や財源についても一応は言及しているが、全体を貫く思想が欠如していたのである。だから、ガソリンの減税と二酸化炭素の削減、女性の自立の促進と旧来型家族を前提とした扶養控除など、相矛盾する政策の間で右往左往することになった。また、東アジア共同体や自立した対米関係などのスローガンを打ち上げたものの、それを実現するための具体的な論理やシナリオを準備できておらず、アメリカから沖縄基地問題の決着を急げと恫喝されて、閣内がガタガタするという結果になった。

 政権に同情すべき事情もある。大きな政策課題は、沖縄問題やデフレなど、前政権の負の遺産であり、民主党が種をまいたものではない。日々襲ってくる課題に対処して、政権を維持するだけでも大変だというのが、政権内側の政治家の本音であろう。しかし、政治は結果責任である。その種の言い訳は説得力を持たない。

 もちろん、思想というものは一朝一夕に培われるものではない。それにしても、政権を担って現実に向き合った上で、野党時代から考えていたアイディアをもう一度練り直すことはできるであろう。鳩山由紀夫首相が最初の臨時国会の所信表明演説で示した友愛の政治を具体化するための政策の柱を考えることこそ、民主党の課題である。二〇一〇年の最大の政治イベントは、夏の参議院選挙である。これに向けて、民主党が本物のmanifestoを作り直すことができるかどうかに注目したい。

 様々な問題にもかかわらず、世論は民主党に対して好意的である。それだけ自民党政治を否定したいという気分が強いのであろう。今は試行錯誤が許される最後の機会かもしれない。衆議院選挙の際に訴えたマニフェストを再検討した結果、このような理念に基づいてこの部分を修正するといった主張をすれば、むしろ世論からは評価されるのではなかろうか。

 逆に、思想を欠いたまま目の前の問題に場当たり的に対処することを繰り返せば、民主党政権に対する期待は急速に凋むであろう。最初の難問は沖縄基地問題と、経済・雇用問題である。どちらにしても、すぐに目に見える結果を出すことは難しい。沖縄問題については、当初案による二〇〇九年中の決着を見送ったことで、事実上県内移設という選択肢は封じられた。アメリカとの交渉は難航するであろうが、政権としてどのような沖縄を目指すのか、日米安保をどう変えていくのかという目標を自ら提示することが、この問題処理に対する国民の支持を取り付けるための鍵となる。

 デフレからの脱却についても、長期戦が必要となる。これについても、政権が目指す将来の経済社会のイメージを明確に示し、それに向けて税制、社会保障制度、雇用法制を転換する道筋を示すことが求められている。子ども手当や農家戸別保障を実施することで多少の内需刺激効果はあるだろうが、国民が求めているのは目の前の現金よりも、中期的な展望である。公共事業と終身雇用の昔に戻るという選択肢は存在しない以上、一人当たりの所得は多少少なくなっても、男女ともに働いて家族を養う所得を得るという新しい家族や労働のあり方を示し、それを現実的に支える教育・保育、介護、医療などの政策的土台を計画的に整備するというビジョンを示すことこそ、政権の任務である。そのような展望を明確に示せば、当面の生活は困難でも、人々は未来に対する希望をつなぐことができ、そこから内需中心の経済社会が形成されるはずである。

 一九七〇年代末、石油ショックに起因するスタグフレーションの中、アメリカのジミー・カーター大統領は政府に対する信頼性の危機を訴えた。現在の世界状況、とくに日米の混迷はあの時代を思い出させる。三〇年前は、その危機の中から、やはり政府や信頼できないという方向で、新自由主義が現れ、レーガン、ブッシュ政権で採用され、一九八〇年代以降の世界の政策パラダイムとなった。今、同じ誤りを繰り返さないために、民主党が新たな思想を打ち立て、国民を説得することが何よりも必要とされている。(図書新聞1月1日号)


2009.11.15 Sunday 00:23

日本の政権交代と社会経済システムの転換

1 2009年総選挙の民意

 20098月の総選挙で、大半の日本人にとって初めての民意による政権交代が起こった。2005年の総選挙では、新自由主義的な構造改革を唱える小泉純一郎首相が率いる自民党が300議席を得て大勝した。わずか4年の間で、日本の民意は強い自民党支持から、強い民主党支持へと180度転換したように見える。

 この選挙について、人々は刺激的なシンボル、2005年の「改革」、2009年の「政権交代」に反応しただけで、大衆扇動の政治は継続しているという解釈がある。しかし、2005年と2009年の間には、大きな違いがある。

 第一の違いは、社会経済的環境である。2005年は日本経済が長期的な景気回復を遂げている途中であった。市場原理を強調する改革論が支持を受ける環境がまだ存在していた。しかし、2006年以降日本ではしだいに不平等の拡大や貧困問題の深刻化を憂慮する世論が高まった。さらに、2008年秋以降の世界的な経済危機の中で、国民の経済的不安は一層高まった。市場の優越性を強調する政策よりも、市場の失敗を重視し、国民の生活を救済する政策が支持されるようになったのは当然である。

 第二の違いは、選挙の際に政党が提示した政策の具体性である。2005年の総選挙は、小泉首相の持論であった郵政民営化を最大の争点として行われた。しかし、郵便局の民営化が日本の経済や国民生活に具体的に何をもたらすかを、民営化を主張していた自民党は何ら説明しなかった。国民も、郵政民営化がどのような結果をもたらすか、理解して投票したわけではない。実際には、2005年の選挙で勝利した後、自民党政権は、医療予算の削減、生活保護の減額など、社会保障、社会福祉の面での小さな政府の実現に邁進した。

 これに対して、2009年の選挙で、民主党は具体的なマニフェストを提示した。とくに、15歳以下の子どもに対して一人月額26千円の子ども手当を支給すること、農家に対する戸別所得保障を実現することなど、国民に対する支援策を売り物にしていた。国民は、民主党を選ぶことによってどのような政策が実現するか、理解して投票したということができる。

2 日本版「第3の道」の成功

 今回の民主党の勝利は、日本における第3の道の実現と評価することができる。第3の道とは、1997年にイギリスで労働党が18年ぶりに政権を獲得した時に打ち出したスローガンである。いうまでもなく、第1の道は第2次世界大戦後、ベヴァリッジ報告に基づいて労働党が実現した福祉国家、第2の道はサッチャー政権が1980年代から90年代にかけて推進した新自由主義的な改革である。ニューレーバーは、グローバル化時代に経済的な効率と両立する新たな福祉国家として、第3の道を打ち出した。

 日本でも、同じような展開を発見できる。第1の道は、1960年代から80年代にかけてかつての自民党が展開した利益配分政治である。公共事業、農業や中小企業への補助などの形で財政資金が配分され、弱者の保護や不平等の是正がある程度行われた。しかし、そのような政策は普遍的な制度に基づくものではなく、官僚の持つ裁量によって実施され、不公正や腐敗を伴っていた。この点は、イタリアの南部開発とよく似ている。

 第2の道は、2000年代に小泉純一郎政権によって展開された新自由主義的構造改革である。第1の道がもたらした腐敗や無駄遣いに怒った国民は、小さな政府による改革を支持した。しかし、小泉政権は腐敗の是正や行政の効率化ではなく、社会保障や社会福祉の削減、労働の規制緩和、地方政府に対する財政援助の大幅な削減を実施し、日本社会にはアメリカのように、貧困と不平等が蔓延した。

 第3の道は、今回民主党が打ち出した福祉国家の再構築の路線である。従来の裁量的な利益配分に変わって、普遍的制度を立て、それに沿って同じ条件にあるすべての市民に対して公平に給付やサービスを提供するという点に民主党の政策の本質がある。子ども手当は、いわばベーシックインカムの部分的な試行である。また、農業についてはヨーロッパに習って、農家に対する個別所得保障を行うことを打ち出している。従来の農業政策が、農村に対する裁量的な補助金や建設事業に偏っていたことへの反省からこのような政策が生まれた。さらに、医療、教育の分野では、それらの分野に対する財政支出がOECDの平均的な水準に達するよう増額することを目指すとしている。民主党政権は、アメリカ型の小さな政府と決別し、ヨーロッパ型の福祉国家を目指すと評価することができる。

 このような政策転換について、私自身民主党のアドバイザーとして関わったので、その過程について説明しておきたい。この政策転換は、小沢一郎前代表のリーダーシップによって初めて可能となった。私は、2005年の総選挙の直前から、何度か小沢と話す機会を持った。2005年選挙の大敗はたしかにショックであったが、私にとっては逆に、民主党が中道左派的な路線で政権構想を描く絶好のチャンスが到来したと思えた。そもそも日本の政党は思想や理念を明確にもっていない。民主党は自民党ではないというところにしか共通項を持たない政治家の集まりであった。したがって、中には新自由主義者も存在した。民主党が自民党との対決構図を描いて政権に挑戦する上で、党内の政策的な不一致は大きな障害となっていた。

したがって、2005年選挙において自民党が新自由主義路線で純化されたことは、中道左派路線で民主党をまとめようと思っていた私にとっては大きなチャンスを意味していた。小沢との議論の中で、新自由主義的な路線は必ず行き詰まるから、いまから民主党はその準備をしておくべきだと主張した。とくに格差不平等問題と社会保障の崩壊という大問題について、民主党が政策を出せば必ずチャンスが来ると言うと、小沢もこの点はきわめて的確に理解した。このような認識の下に、2006年3月に代表に就任した小沢が打ち出したのが、「国民の生活が第一」というスローガンであった。以後、民主党は生活第一の下に結束して、2007年の参議院選挙で勝利し、自民党政権を追い込み、今年の総選挙で勝利した。

 小沢の力量は、社会民主主義的な勢力、実体的に言えば、労働組合と旧来の自民党支持層を結合したところに発揮された。彼は農村部の選挙を非常に重視していた。地方の選挙運動を実際に担うのは、労働組合であった。旧来の利益団体が衰弱していく中、地方自治体職員を基盤とする労働組合が各地域での選挙戦を支えた。これに加え、地方の建設業者、農民団体、中小企業、郵便局長の組織など、自民党的再分配政治の最大の受益者であった保守層を完全に自民党から引き離し、民主党の支持基盤に組み込んだ。社会民主主義的な勢力と旧来の保守層が小沢を媒介にして提携したことによって、民主党は農村部の選挙区で圧勝できた。この点に勝因があったということができる。

3 民主党政権の課題

 鳩山首相は、就任早々、温暖化防止のために二酸化炭素を1990年比25%削減することを国連の場で公約し、核軍縮や東アジア共同体の設立に向けてイニシアティブを取ることをうった、従来の日本のリーダーとはまったく異なった大きな存在感を示している。

 国内政策については、前政権が作った予算を再検討し、様々な無駄を摘出している。また、社会保障や教育に対する予算増についても、早速実現している。国民は初めて見る政権交代に対して大きな関心を持ち、政治の可能性を感じているところである。すなわち、自民党政権の時代には政治家も官僚もできない理由を数え切れないほど挙げていた政策提案が、政権交代によって簡単に実現することを、目の当たりにしているのである。生活保護費の増額、巨大なダム建設の中止など、そのような例は既にたくさん存在する。その意味で、政権交代は日本の民主政治の進歩をもたらしたということができる。

 しかし、これから政権を維持して行くに当たって、大きな難問がある。それは各種の社会政策の財源をどのように調達するかという問題である。民主党は、今後4年間は消費税率を上げないと約束している。しかし、大規模な社会政策を行うためには安定的な財源が不可欠である。当面、今までの無駄を見つけ出し、節約するとしても、近い将来増税は不可避である。国民所得に対する租税・社会保険料負担の割合は、日本では38%であり、アメリカとほぼ同水準、ドイツやフランスなどよりは20%以上低い。ヨーロッパ型の社会経済モデルを実現するためには、負担の面で国民を説得し、合意を作り出すことが必要である。(ル・モンド11月14日)

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