2010.11.20 Saturday 00:12

民主党の危機

 沖縄県知事選挙が始まったが、民主党は自前の候補を擁立できず、早々と不戦敗を決め込んだ。普天間基地の海外移転を前面に打ち出す革新候補が勝ったら、日米合意を履行することが困難だからという近視眼的な見方からは、そのような不様な対応しか出てこない。

 菅政権は内外の難問の前に無力さをさらけ出し、危機的状況である。難題の中には歴代の自民党政権が先送りにしたものもあり、首相としては自分のせいばかりではないといいたいところだろう。しかし、政治では結果がすべてである。前政権の負の遺産を背負うのが嫌なら、そもそも政権交代など起こすべきではない。自分がまいた種でなくても、権力を担う以上難問に進んで直面し、打開策を造り出す努力をしてこそ、政権は評価を受ける。

 自民党政権の時代、小泉純一郎を除く首相に、私はしばしば権力を持つ者の意思が存在しないという批判をしてきた。アメリカと経済界のご機嫌を取る以上の課題を見据えた政治家がいなかった。しかし、政権交代を起こした今、同じ批判が民主党にも当てはまる。

 菅首相は鳩山政権の失敗に懲り、沖縄の基地問題については一切手を触れず、自民党政権が決めた路線を遵守しようとしている。その臆病さこそ、民主党に対する幻滅を招く最大の原因であることに、菅や他の民主党指導者は気づくべきである。政権側は外交における現実主義という決まり文句で、この事なかれ主義を正当化しようとするのだろう。しかし、沖縄における本当の現実を直視すべきである。県知事選挙の有力な候補者はいずれも普天間基地の県外移設を主張している。どちらが勝っても、辺野古沖に基地を新設することは、少なくとも近い将来不可能である。中央政府が沖縄の民意を無視し続ければ、反基地感情が一層高まり、米軍基地そのものの持続可能性が危うくなるかもしれない。

 民主政治においては、民意こそ難問を打開する最強の武器となる。沖縄の知事選挙で県民の意思が明確になれば、日本の政府はそれをもとにアメリカとの再交渉を開始する以外に道はない。アメリカが依拠する最大の建前をフルに利用することで、議論の可能性は広がるはずである。菅政権にとって、自らを縛る自己規制の鎖を断ち切ることができるかどうかが鍵である。

 沖縄基地問題だけではない。国内政策に関しても、菅政権には本来ぜひ実現したいと欲した大きなテーマが存在したはずである。TPP(環太平洋経済協力協定)が本来成し遂げたいテーマだったのかどうか、私には分からない。しかし、この国際的枠組みに後れを取ったら日本経済は沈没するという強い思いがあるならば、それは政治家としての見識というものであろう。関税の撤廃によって大打撃を被る国内の一次産業をどのように救済し、構造転換を図るのか。首相の強い指示で始まった話なら、首相自身が矢面に立ち、関係者を説得し、新たな農業政策について陣頭指揮を執らなければならない。

 GDPの1.5%しかない一次産業が輸出産業の足を引っ張る(前原誠司外相)という議論は、経済界の人間の言うことであって、政治家の言うべきせりふではない。国内政策に関しても、どのような国を造るのかという理念が問われているのである。(週刊金曜日11月19日)


2010.09.25 Saturday 20:14

民主党代表選挙についての感想

 政権交代からちょうど1年のタイミングで民主党代表選挙が行われ、菅直人首相が再選を果たした。盛り上がっていたのは民主党の政治家とメディアだけであった。政治家というのは権力闘争が生きがいとする動物である。それは非難しても仕方ない現実である。権力闘争が政治家を鍛え、政策のイノベーションにつながれば、闘いにも意味はある。

 しかし、今回の代表選挙にはそうした前向きの意義を見だすことはできなかった。菅首相は参議院選挙の敗北の後、2か月近く魂の抜け殻のような状態であった。国を統治する指導者としての気概など、微塵も感じられなかった。しかし、小沢一郎前幹事長が代表選挙への出馬を決断すると、途端にやる気に満ちた表情になった。菅は権力闘争以外に能はないのかと思わされた。

 一応政策論争もあったが、何をいまさらという感じであった。これから何をするかなど、野党の時に言う話である。民主党は一年だけとはいえ、与党である。政権の座にあって何をなしたのか、何ができなかったのかを自ら語りかけるのが、権力を持つ政治家の責務である。民主党政権の1年間、様々な面で民主党は国民の期待を裏切ってきた。代表選挙はそのことに対する反省と懺悔から出発すべきであった。しかし、責任感の欠如と能天気さにおいては、政権末期の自民党といい勝負であった。

 しかし、今回の代表選挙は行った意味がある。それは、民主党が権力闘争をこなせるくらいに成長したという点である。敗れたとはいえ、国会議員2百人の支持を得た小沢は、党の分裂だの再編成だのと荒唐無稽なことを言い出す気配はない。つまり、激しい権力闘争にもかかわらず、民主党は壊れないことが明らかになった。結党以来、ばらばらだ、寄せ集めだと言われてきた民主党が、権力を担うために結束できるようになった。

 もちろん、政党は理念や基本的政策を共有すべきである。しかし、権力を担うくらいに大きな政党になれば、内部での権力抗争や路線対立が起こるのも当然である。政治家たるもの、小異を残して大同につく能力を持たなければならない。理念に忠実な小規模な政党が並立する場合、政権は連立にならざるを得ず、小異と大同の悩みはやはり付きまとう。今までの日本では、その種の政治的能力が自民党の側にしか存在しなかったのが不幸であった。民主党が政治的能力を身につけ、統治に責任を持つことにつながるならば、この代表選挙には意味があるということになる。

 政権交代から1年たち、民主党の政治家はよい意味でも、悪い意味でも、普通の政治家になった。その上でこれから何をなすのかで、この党の真価が測られる。何よりも、菅首相が政権の再出発に当たって、明確な政策構想を打ち出すことが必要である。代表選挙の論戦を見る限り、菅は参議院選挙で打ち出した税制改革の旗を引っ込めたようである。その点で、彼の信念が問われている。この政権がどのような日本を創り出そうとするのか。そのために国民がどのように負担をするのか。何度も繰り返してきたので言う方も飽きてくるが、ビジョンを示すことが菅首相の最大の任務である。

 菅政権の再スタートは、民主党にとって最後の機会である。(週刊金曜日9月24日号)


2010.06.26 Saturday 00:44

社会民主主義とは何か

 参議院選挙に向けて各党の政策が打ち出された。特に目を引くのは、民主党が昨年の総選挙で封印していた増税の議論を正面に出した点である。これについては、約束違反だという批判も当然出てくる。それにしても、日本で福祉国家を整備するという理念に照らせば、政策論議が進んでいるという肯定的な評価をしたいと、私は考えている。

 今年度予算は、財源が極めて乏しい中、子ども手当や公立高校の無償化に踏み出した。これは政権交代の大きな成果である。本誌編集部を含め、左派、進歩派の中でこの種の政策にいちゃもんをつける人々もいるが、自民党時代の冷酷な政府の方がよかったとでもいうのだろうか。理想的な政策は一夜でできるものではない。まず現金給付の仕組みを作り、保育等のサービスを拡充するという段階を踏むのは当然である。

しかし、今の財政状況を見れば、この種の積極的な社会支出を維持することが不可能であることも明らかである。そこで、持続的財源を捜すという議論が始まった。私の言葉で言えば、お代は見てのお帰りということである。親の貧困、生活苦を子ども世代に伝えないという理念を実現するためには、数兆円規模の支出が必要である。他方、無駄の代表といわれた公共事業も、これ以上減らすと地域経済は本当に壊滅する瀬戸際である。だから、新たに財源を見つけるしかない。公務員の削減も、官製ワーキングプアを増やすだけで、これ以上すべきではない。つまり、増税の議論は不可避である。

先週号のインタビューで、福島みずほ社民党党首は社会民主主義の必要性を唱えていた。私も同感である。しかし、この際敢えて言いたい。社民党の存在こそ、日本人が社会民主主義について誤解する原因である。社会民主主義を選んでいる欧州諸国における租税社会保険料の国民所得に対する負担率は日本の1.5から2倍である。社会政策の面でヨーロッパ並みを目指すなら、負担もヨーロッパ並みに引き上げなければ、帳尻は合わない。

社民党およびその支持者は、今の政府を信用できないから増税の議論は受け容れられないという主張をする。一件もっともなこの種の議論は、実は新自由主義と財務省主導の自己目的的財政再建への道を開くのである。新自由主義は政府に対する徹底的な不信を前提としている。その種の議論を逆手にとって、新自由主義者は、政府は常に信用できないのだから、政府に金を預けるよりも、徹底した歳出削減で国民負担を小さく抑えようと言う。これは小泉時代に実際に起きたことである。

政権交代によって、積極的な社会政策が広がり始めた。しかし、圧倒的な歳入不足が政策の本格的な展開を阻んでいる。今財源を見つけなければ、始まりかけた社会民主主義路線は簡単に瓦解する。消費税率引き上げの前に、資産課税、相続税、所得税の累進制の強化など先にやるべきだという意見があるなら、この際しっかり主張してもらいたい。それでも財源が不足するなら、消費税率の引き上げも選択肢の中に入れなければならない。国民負担を増やすことなしに福祉国家は建設できないという現実こそ、社会民主主義者が主張すべきである。(週刊金曜日6月25日号)


2010.05.28 Friday 00:34

我慢のしどころ

 鳩山政権が混迷の度を深めるにつれて、いろいろなメディアからコメントを求められることが多い。このところ民主党に対して皮肉や憎まれ口を利くことばかりが上手になった。最近の傑作は、政治主導の解説である。子供が自分は大人になったと思い込んでお父さんの洋服を着て外へ出たが、だぶだぶで見てはいられない。そのうち余ったズボンの裾を自分で踏んで転んでしまった。本来なら前向きな仕事を一つでも手伝いたいところだが、政権や民主党の駄目な所をあげつらう仕事が回ってくるばかりで、批判することも必要とはいえ、自分でも本当に嫌になる。

 しかし、今が我慢のしどころだと思う。半世紀以上も続いた自民党政治を転換することが一瀉千里にできるはずはない。メディアは鳩山政権の駄目な所ばかりこれでもかと報道しているが、この政権はよいこともしている。貧困対策については湯浅誠氏を再び内閣府参与に迎え、必死で取り組んでいる。障がい者福祉については、障がい者の代表を加えた対策会議を設置し、障害者自立支援法についても根本的な見直しを進めている。事業仕分けでは、官僚のお手盛りによる団体が税金を食い物にしてきた実態が明らかにされている。自民党政権では絶対にできなかったことが、次々と実現しているのである。

 普天間基地移設問題について、辺野古移設という誤った結論に到達するよりも、五月末の決着にこだわらず、議論を続けるほうがよい。鳩山首相の優柔不断にはイライラが募るばかりだが、沖縄の基地負担の軽減のため県外、国外の移設を求めるという当初の志はどこまでも支持していかなければならない。小沢一郎幹事長も、沖縄県民の意思を尊重し、辺野古への移設について安易に決めないよう発言しているようである。私は小沢幹事長の政治手法について最近厳しく批判しているが、この問題に関する判断は大いに支持したい。

 政治の変革に希望を持つ市民が、いましばらく我慢を続けるためには、絶対に譲れない条件がある。それは、鳩山政権および民主党が政権交代の大義を見失わないことである。政権交代を起こしたのだから、政策が転換するのは当然である。鳩山政権が国民に対する約束を基に海兵隊の基地の国外移転を求めることも、民主主義の帰結である。実際、二月にルース駐日大使と懇談した時、彼は日本政府が新しい提案を持ってくることも想定しているという趣旨の話を私にした。政権交代に伴って米軍基地の撤退や縮小を実現した国はいくつかある。今の鳩山政権は、自らを呪縛している。政権交代こそ呪縛を解く道具だったはずである。

 参議院選挙への取り組み方についても、民主党は政権交代の大義を思い起こす必要がある。民主党は、自民党体制に代わる新しいシステムを立ち上げるのか、自民党の築いた利権政治の仕組みを横取りするのかが問われている。政策論議の開放や事業仕分けは、新しいシステムに向けた努力の現れである。他方、小沢幹事長が今まで自民党を支援してきた利益団体に手を突っ込んで寝返らせようと画策しているのは、権力の横取りである。そんな権力闘争を見せつけられると、昨年夏に政権交代を選んだ市民は幻滅する。

 選挙に勝つために何でもするのが政党である。今の日本では、政権交代の大義に忠実に行動することこそ、選挙で勝つための捷径である。(週刊金曜日5月28日号)


2010.04.24 Saturday 00:00

政治の大局を見据えよう

 私がこの欄に執筆を始めたのは2000年の4月のことだから、今回でちょうど10年を迎えたことになる。言うまでもないが、この十年の政治の変化は巨大なものであった。小泉、安倍政権の頃は、変化の可能性がさっぱり見えない中で日本の政治を論じること自体が無意味に思えた。しかし、批判的言論の灯を絶やしてはならないという一心で書き続けてきた。そして、予想外に早く政権交代を実現することができ、曲がりなりにも、首相が命を大事にする政治を叫ぶ時代になった。民主党を軸とした政権をどう立て直すかという議論は、一昔前から見れば贅沢な悩みということもできる。目の前の問題をどうするかも大事だが、まさに十年くらいの時間の幅で政治を論じることも必要である。

 とは言うものの、このところ鳩山政権がいつまで持つかという話題が、永田町の最大関心事となった。最新の『朝日新聞』の調査では、内閣支持率が25%、不支持率が60%台と、もはや末期的数字というしかない。平沼・与謝野新党、自治体首長新党など、政党再編を狙った新党の動きも続いている。政権交代からわずか7ヶ月で、国民は鳩山政権をすっかり見放した感がある。

 私自身も今年に入ってから、民主党及び鳩山政権にはずいぶん厳しい批判を書いてきた。本人は政権の建て直しのために提言しているつもりだが、民主党攻撃に勢いをつける結果になったのかもしれない。政権交代の意義そのものを否定する動きがこれだけ大きくなれば、単に民主党の悪口を言うのではなく、政権交代の経験を踏まえ、日本の民主政治を前に進めるための議論が必要となる。

 なぜこんなことを考えるかというと、民主党を倒すと威勢のいいことを言っている連中を見て、これでは危ないと思うからである。立ち上がれ日本は、石原慎太郎都知事が名付け親であることが物語るとおり、時代錯誤的な右翼政党である。この経済危機の折に、自主憲法制定などという趣味を追求されては、国民は迷惑するだけである。山田宏杉並区長が代表となった日本創新党にしても、いかがわしいと言うほかない顔ぶれである。要するにこの党は、松下政経塾右派の政党である。このように、参議院選挙をにらんで倒閣運動を進めようとしているのは、右派勢力である。彼らはこのまま民主党が政権を持続し、政策を進められるのが困るから、民主党攻撃に躍起となる。

 本誌の読者から見れば、普天間問題、社会保障の再建などのテーマについて、鳩山政権の取り組みは生ぬるく、不満がたまる一方である。しかし、右派にとっては政権がこのようなアジェンダを掲げただけで、大きな危機に見えるのである。同じく鳩山政権を批判するにしても、正しい政策を掲げているが実行力がないというのと、そもそも間違った方向を目指しているというのでは、まったく意味が異なる。民主党の現状にはいろいろ不満もあるが、ともかくこの苦境を乗り越えて、本来の政策を実現せよというのが我々のとるべき態度である。

 しばらくは政治の混迷が続くであろう。こういう時は、政策の大義を明らかにし、敵味方を識別する基準を持つことが、何より大切である。(週刊金曜日4月23日号)


2010.03.27 Saturday 00:38

何のための政権交代だったのか

 このところ、民主党および鳩山政権に対する世論は日に日に悪化しているという印象である。生方幸夫副幹事長が小沢一郎幹事長を批判したかどで解任されたことは、民主党が異論を許さないという点で昔の共産党のような組織になっていることをうかがわせる。党の体制について様々な批判があるのは当然である。現在の党のあり方が最善のものだとは誰も思っていないであろう。何が問題なのかを率直に議論することは、民主党がこの国を健全に統治することにとって不可欠である。

 普天間基地の移設は結局県内で決着するとの観測が強まっている。県外、国外移設の可能性を追求するとして決定を引き延ばし、保守を含めた沖縄の世論を県外移設で結束させたのは、ほかならぬ鳩山由紀夫首相である。高い目標を設定したのはよいが、それを実現するためにどのような努力を払ったのか、さっぱり見えてこない。

 参議院選挙で単独過半数を確保することがむずかしくなってくると、公明党と手を組む動きが露骨になってきた。ご都合主義もいい加減にしてほしい。公明党は自民党と組んで様々な悪政を推進してきた。しばらく野党の立場で反省せよというのが国民の思いであろう。また、民主党自身、自公連立を批判してきたはずである。数を確保するためなら何でもするというのでは、自民党と同じである。

 何かにつけて、何のための政権交代だったのか疑わせるような出来事が相次いでいる。政権交代の旗を振ってきた私がトロツキーの役割を演じ、裏切られた政権交代と批判するのは、大変不本意な話である。しかし、民主党が堕落の道をたどっている以上、批判すべき点は批判しなければならない。

 今から体勢を立て直すことは容易なことではないが、民主党がそのことに取り組まなくては、政党政治に対する国民の期待はうたかたのごとく消え去るであろう。何より重要なのは、民主党が正直になることである。この半年の政権運営を虚心に振り返り、達成できた政策や変革は何だったのか、政権を取って初めて分かった困難はどんなことだったのか、さらにマニフェストで訴えた政策の中で何はそもそも実行不可能だったのかといった問題を、自らが点検し、謙虚に国民に申告することこそ、今の民主党の最大の課題である。見通しを誤ったことはいくつかあるのであり、そのことをはっきり国民に謝罪することも必要である。

 そのような作業は、政府ではなく、民主党の政治家の議論によって進めるほかはない。政府に入った政治家はみな多忙で、政府や党のあり方を反省する余裕などない。だからこそ、民主党の中に言論の自由が必要なのである。見せかけの一枚岩ではなく、政治家自身が自らの言葉でこの半年の経験を総括する活力と多様性こそ、民主党に対する国民の期待を引き戻す材料となる。

 世論調査の内閣支持率は低落の一途をたどっているが、政権交代という経験自体については、国民は高い評価を保っている。そのような国民の思いに応えるためにも、民主党自体による政権交代の総括、自己点検が必要である。民主党に残された時間はあまりない。小沢幹事長やその周辺の政治家による大局的な判断が必要とされている。(週刊金曜日3月26日号)


2010.02.27 Saturday 00:34

鳩山政権の危機

 内閣支持率の大幅な低下、地方選挙の敗北など、民主党への逆風が強まっている。政権が危機を迎えると、人気を取ろうとする悪あがきが始まる。しかし、その様な人気取りの魂胆は見え透いたものであり、かえって政府与党に対する不信感を強める。

 たとえば、高校授業料無料化について、中井拉致問題担当大臣が、朝鮮人学校を除外すべきと発言したと伝えられている。北朝鮮に対する強硬姿勢をアピールして、ナショナリズムという安易な手段に訴えようという浅はかな目論見である。この記事を読んで、私は怒るというより、悲しくなった。政府が率先して差別を推進しようというのか。拉致問題の追及とさえ言えば、罪のない生徒たちを迫害してもよいと考えているならば、まさに人間失格である。このような不見識な政治家を抑えられないならば、鳩山首相も政治家失格である。

 私は先日、映画「インヴィクタス」を見た。南アフリカでアパルトヘイトが廃止されたのち、大統領に就任したネルソン・マンデラがラグビー・ワールドカップを契機に民族融和のために奮闘した様子を描いた感動作である。特に印象に残ったのは、多数派となった黒人が白人文化の象徴であったラグビーチームの名前やエンブレムを変えようとしたときに、マンデラがそれをたしなめ、止めた場面であった。かつて差別する側だった白人が持っていなかった寛容、同情を自分たちこそ発揮すべきだというマンデラの言葉は、権力を勝ち取った者に対する普遍的な教訓である。

 中井氏だけではない。民主党には権力を取ったのだから自分たちの好きなようにやらせてもらうという驕りが見える。公共事業の個所付け、土地改良事業に対する大幅な削減など、予算にからんで政権党の威光を見せつける場面が目立った。小沢幹事長は、比叡山を焼き討ちにした織田信長を気取っているのであろうか。自民党から民主党に看板は変わったものの、権力者の行動は昔のままというのでは、政権交代の意味はない。

 小沢幹事長は、今こそ自民党の息の根を止めたいと考えているのだろう。しかし、自民党はとうの昔に死んでいる。今の自民党は自分たちが死んだこともわかっていないゾンビの集団である。政党政治にはもちろん権力闘争が付きまとう。しかし、あまり権力闘争ばかり見せられると、国民は辟易する。いま国民が民主党政権に期待しているのは、政策を実現することである。小沢幹事長は、参議院選挙に向けた組織戦ばかりを繰り広げると、かえって無党派層は民主党に背を向け、支持は減るという逆説に早く気付くべきである。

逆境の時には、焦っても仕方がない。政権与党の短所、誤りを謙虚に振り返り、自ら誤りを正すという姿勢こそ必要である。政権与党の失敗については、ほかならぬ民主党の議員が最もよくわかっているであろう。政務三役に入った政治家は毎日の課題に追われて自省している暇はないだろうが、その他大勢の政治家は政府の動きを冷静に、あるいは不満を持って見ているはずである。民主党の政治家の知恵とエネルギーを引き出すことが、政権立て直しに不可欠である。

特に、参議院選挙に向けて、これまでの政権運営を踏まえ、マニフェストを作り直すことが急務である。(週刊金曜日2月26日号)


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