2011.10.10 Monday 16:08

民主政治と議論

 

 野田政権が発足し、野田佳彦首相は所信表明演説で与野党を超えた議論の必要性を訴えました。大震災からの復興、原子力発電所事故への対策などは、誰が政権を取っていても、やるべき課題は同じなので、超党派的な議論の上で、必要な政策をどんどん実行して欲しいと思います。

たとえば、個人の家屋の補償については五百万円を上限として公費が出されますが、工場、農地、漁船などの生産手段についてはそのような仕組みがありません。被災者の方々がもう一度希望を持って生きるためには、今まで従事してきた仕事に就くことが不可欠の前提であり、融資だけではなく、公費による補助が必要だと思います。財務官僚がいやがるなら、それを乗り越えるのが政治主導というものです。そうした本来の意味での政治主導を実現するためには、国会における与野党を超えた議論こそが原動力となります。

日本の政治における議論の空しさを物語る事件として、原子力発電をめぐる公開シンポジウム等における「やらせ」が九州や北海道で明らかになりました。これは、公開の自由な討論会という外形を装いながら、原発反対意見が吹き出すことを恐れた電力会社が関係者を動員して賛成意見が目立つように事前に準備したということです。はじめから賛成派を動員するのなら、そもそも公開シンポジウムなど行う意味はありません。

大きな権力や資金を持った役所や電力会社がなぜそのように姑息なことをするのでしょうか。日本のエリートは、異なった考えの人と率直に議論するということに慣れていないのです。役所の審議会には,官僚の考えを正当化してくれるような学者、専門家が集められます。批判的な立場の学者とは、議論の場さえ存在しません。増して、官僚や大企業から見れば無知蒙昧に見える地域住民を相手にまともに議論する意味などないというのが、日本のエリートの発想でしょう。


 今回の福島第一原発の事故はそうした異論との対話を拒否する独善的体質がもたらしたものと言えます。異論を謙虚に聞いていれば、原子炉に対する安全対策がもっと十分に行われていたはずです。はじめに結論ありという姿勢こそ、政策の失敗の原因です。

ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の正義をめぐる対話型授業は、日本でも大きな反響を呼びました。サンデル教授のすばらしいところは、学生の未熟な議論にも耳を傾け、少しでも意味を引き出そうとする姿勢です。正義とは何かは、答えのない問いです。正解のない問題を考えるには、様々な意見が対話を重ねていくしかありません。

幸福とは何か、豊かさとは何かなど、政策の究極的ゴールについても、正解はありません。だからこそ、民主政治の中では議論を重ねることが大切なのです。

第三文明2011年10月号


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