2011.07.02 Saturday 14:11

政治と市民

 

 

 東日本大震災から3か月近くになろうとしていますが、原発事故への補償など複雑な問題が次々と浮かび上がる一方で、政府の対応は迅速に進んでいません。被災者はもとより、国民全体にいらだちが募る毎日です。私は長い間政権交代が日本を救うと主張してきました。大きな期待を担ったはずの民主党政権が無能力をさらけ出しているということは、私自身の議論も詰めが甘かったということを意味しています。縁あって本誌でしばらく連載を持つことになりました。この場を使って、私自身の間違いを振り返ることも含め、政権交代以後の日本の政治をどのように立て直すか、考えてみたいと思います。

 政権を担う政党が変われば世の中が変わるというのは、そもそも政党に対する過度な期待を前提とした議論でした。政党に対して、魅力的なマニフェスト(政権政策)を作れという運動も、あたかも市民が政策という商品を求める消費者であるかのように想定し、政党によい商品を作れと求めるものでした。市民は選挙の時に政党を選んで、後はその通りに進めろという受け身の発想が、そうした政治観の根底にあったと言わなければなりません。

 民主政治とは、数年に1度、選挙という市が立ち、人々が好きな商品やサービスを買って、後は専門家に任せるという政治の形なのでしょうか。実は、この問題は今から250年ほど前にルソーが厳しく批判した点です。彼は言いました。「イギリス人は自らを自由だと思っているが、それは選挙の時だけだ。」彼が批判したのは、当時の制限選挙制だったので、選挙の意味も今とは違います。それにしても、ルソーは代表民主主義のある落とし穴をついています。

 選挙の時に代表を選んで、後はよろしくというのでは、私たちは代表者に常に裏切られ続け、より魅力的に見える代表者を求めてさまようばかりでしょう。私は最近、政治の現状に絶望したくなると、堀田善衞という小説家のエッセーを精神安定剤として読んでいます。彼は、「民主主義とは、それ自体に、これが民主主義か?という幻滅の感を、あらかじめビルト・インされたform of government(統治の形態)なのであった」と書いています。民主政治とは、スーパーマンに政府を委ねることではありません。私たちと同じく短所を抱える政治家の仕事をやきもきしながら見るのが民主政治です。

言い換えれば、民主政治には自治という側面があるのです。私たち自身が日頃から政治を作り出すという作業に関わることで、政治家も緊張感を持って仕事をするのです。政治を作り出すといっても大げさな話ではありません。私たちに何ができるかを、次に考えてみたいと思います。

第三文明7月号


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