2011.01.05 Wednesday 20:26

2011年の政治を展望する

1 菅政権と民主党の蹉跌

 2010年は政権交代の意義を国民に知らしめるべく、民主党政権が成果を上げるべき年のはずであった。しかし、2009年末に私が危惧していたことがことごとく現実のものとなり、鳩山政権の崩壊、菅政権の発足と失速という展開をたどった。今後の展開を考えるためにも、その敗因をきちんと分析することは不可欠である。

 まず、政権・与党の運営システムにおける失敗から見てみたい。最大の問題は、政治主導の空転である。民主党は、官僚支配からの脱却、政治主導の実現を強調してきた。しかし、官僚支配にしても、政治主導にしても、その意味を十分考察したうえでの議論ではなかった。

 そもそも官僚支配とは何だろうか。官僚が政治家の前に立ちはだかり、政治家が進めようとする政策を力ずくで阻止するという意味での官僚支配は、日本国憲法のもとではありえない。法律と予算を決定するのは国会だけである。国会議員の多数が一つの意思表示をすれば、官僚がそれを否定することなど不可能である。地方分権や歳出の優先順位の変更など、官僚が自ら進んで取り組もうとしない政策について、政治家が一元的な意思を形成できないから、官僚支配が発生するのである。言い換えれば、与党の政治家がまとまって意思を共有できれば、政治主導、官僚支配の打破は瞬時に実現する。しかし、鳩山政権にとっての沖縄問題のように、民主党は政権の重要課題について統一した意志を持つことはできなかった。

 この点は、民主党が重要な政策理念を共有していなかったという次の問題と密接につながる。そこで、理念の不在という問題を振り返ってみたい。最大の問題は、マニフェストの欠陥にある。英和辞典を引くと、マニフェストという言葉には二つある。本来のmanifestoは、Communist Manifesto(共産党宣言)のそれであり、人々を鼓舞する政治的宣言である。その根底には、理想、思想が存在する。もう一つのmanifestは、積荷目録という意味である。民主党のマニフェストは、積荷目録と言わざるを得ない。結局民主党のマニフェストは、誰から取って誰に与えるかという政治の基本的な姿勢を示すことを回避した、政策項目の羅列であった。

 政治家の指導力の確立にせよ、政策路線の明確化にせよ、重大な選挙こそが好機である。しかし、民主党は参議院選挙、代表選挙という機会を生かすことはできなかった。参院選では菅首相が独断専行で消費税増税路線を打ち出し、国民に拒絶された。また、9月の代表選挙では、「小沢−脱小沢」という不毛な対立構図が前面に出てしまい、以後の政権運営につながる政策論議は行われなかった。

 鳩山首相は稚拙ながらも理想を語っていたが、菅が首相になると、この政権は誰を代表しているのか、さっぱり分らなくなった。その代表例は成長戦略と法人税減税論である。2009年の選挙で政権交代を選んだ国民は法人税減税をしてもらいたくて民主党に入れたのだろうか。菅政権は、民主党を一度も支持したことのない勢力の意向を必死で聞き、民主党に希望を託した人々の声を無視しているのである。その結果、民主党と自民党との対立軸は曖昧となった。菅政権への支持の急速な低下については、外交問題への不手際が直接的な原因となっている。しかし、この政権は誰のために何をするかがわからないという根本的な不信感が広がっているということもできる。

2 通常国会の展開  ねじれ国会のシナリオ

 2011年の政局は冒頭から大混乱が予想される。菅政権は、2010年の臨時国会で補正予算を成立させることさえ、青息吐息であった。通常国会の運営は困難を極めるであろう。予算は衆議院だけで成立させることができるが、関連法案の成立には参議院での可決が不可欠である。特に、赤字国債の根拠となる財政特例法を否決することは、予算を否決することに等しい効果を持つ。

 参議院で過半数を失って以降、民主党は一応国会での熟議を呼びかけている。しかし、臨時国会では野党は政府批判を強め、政策協議の雰囲気はまったく存在しなかった。指導者が侮蔑や嘲笑の対象となり、政権支持率が低下すると、野党はますます政策協議に応じるインセンティブを失う。また、4月に予定されている統一地方選挙で民主党の苦戦が予想されていることも、野党側の抵抗を後押しする材料となるであろう。

 ただし、予算を事実上否決するためには、野党の側に国政の混乱や経済への悪影響を補って余りある大義名分が必要である。自民党は民主党の自滅によって相対的に支持率を高めているが、下野以降本格的な自己改革に取り組んだわけではない。現状では、国民が自民党の政権奪回を待望しているとまでは言えない。政府が提出する来年度予算がどれだけ斬新で国民の期待を喚起できるか、自民党による政府の経済・財政政策への批判がどれだけ的を射たものであるかが、勝負の分かれ目となる。

 201011月、臨時国会の終盤で野党は参議院で仙谷官房長官、馬淵国土交通大臣に対する問責決議を可決した。問責決議は政府与党にとって打撃となるが、野党の側も難しい問題を抱え込む可能性がある。問責を受けた大臣がすんなり辞めれば、野党の勝利となる。しかし、政府がこれを無視し、野党が参院での審議を拒否するならば、与野党の戦いはチキンレースとなる。野党の審議拒否はねじれを解消する手段と政府が開き直れば、野党は振り上げた拳をどう下すかをめぐって悩むことになる。問題は、政府与党がどこまで腹をくくれるか、その時の世論がどちらを支持するかである。

 予算をめぐるチキンレースについても、政府、野党の両方が大きな覚悟を必要とする。最もありうるシナリオは、抜き差しならない対立の前に、公明党の協力を得て予算と関連法案を成立させるというものである。公明党内では民主党への対応をめぐって、野党路線と、事実上協力して取るものを取ろうと考える路線とが対立していると伝えられている。公明党が本当に民主党政権の生殺与奪の権を握るという場面が訪れれば、これまで与党として実利を追求してきた同党が民主党政権を支えることもありうる。

 仮に予算成立については休戦協定ができるとしても、本格的な連立の組み替えに発展するためには、民主党の側でよほど魅力的な政策の提示と様々な工作が必要となる。しかし、発足以来前向きなメッセージを発することのなかった菅政権が追い詰められてから政策論議のイニシアティブを取ると予想することはできない。また、小沢一郎元幹事長が刑事被告人となって政治的影響力を失った今、政治的工作という点でも人材はいない。後で論じる大連立の可能性を仄めかしながら、そうなると公明党の出番がなくなると揺さぶりをかけて、民公連立のプロデュースをするくらいの策士がいれば、連立の組み替えもありうるが、民主党にそのような政治家がいるとも思えない。

 そうなると、予算を乗り切ったとしても、菅政権は推進力を欠いたまま漂流を続けるということになるのであろう。政権が行き詰まって解散というシナリオもあり得るが、菅政権にそれだけの政治力が存在するかどうか、不明である。民主党が衆議院で多数を確保するためには、自民党の選挙準備が整っていない段階で早期解散に打って出ることが必要だが、今の指導部にそこまでの覚悟はないであろう。

3 大連立か再編か

 通常国会がデッドロックに陥り、政策が何も実現しないという状態が続けば、メディアや経済界からは国難を救うために大連立、挙国一致を求める声も出てくるであろう。200711月に小沢一郎を使嗾して大連立を画策した老人たちは今も元気である。

大連立は政権交代の意義を否定するものである。しかし、民主党が政権交代によって与えられた国民の負託を生かせず、政策転換を実現できないままであれば、大連立によって権力の空白を避けることを世論が要求するようになるであろう。

大連立は翼賛体制にもつながるもので、通常の民主政治ではありえない選択肢である。しかし、国論の分裂を避けるべきテーマについての議論が深まり、大連立政権の課題が限定的に具体化されるならば、それはあくまで一時的、過渡的な選択肢として是認されるかもしれない。

そのようなテーマとしては、消費税率引き上げを中心とする増税と財政規律の回復、東アジアの緊張に対処するための日米安保体制の強化と沖縄基地問題の解決といったものが考えられる。とはいえ、沖縄では201011月の知事選挙でも、辺野古への基地建設については明確な反対の民意が形成されている。大連立による政策決定は、地域を無視した多数の専制に陥る危険が大きい。

財政の健全化は予算編成に直結する話なので、基地問題よりも合意形成ができやすいかもしれない。税収不足で予算編成も難航を極めるという状況の中では、緊急避難的に消費税率を引き上げることについては民主党と自民党で合意を形成することは可能であろう。だが、政策による再分配のあり方、社会保障をどの程度まで整備するかといった課題については、政党間の距離は大きい。

大連立によって懸案を一掃するというのは幻想である。統治能力の欠如ゆえに国民から厳しい批判を浴びた二大政党が権力の空白を回避するためにとりあえず共同で権力を担うという程度の話である。仮に大連立があるとしても、次の国政選挙で国民の審判を受け、政権の軸となる政党を決めるというのが当然の流れとなる。

民主党が自民党ではないという消去法のアイデンティティしか持てず、政権を獲得しても基本的な政策目標を共有できないまま漂流したという現実は、二大政党制なるもの、あるいは日本における政党そのものへの疑念を生み出す。自民党政治を否定することが実現した今、非自民という看板には意味がなくなる。今までも政党再編への漠然とした期待は伏流していたが、民主党の頓挫は再編願望を高める契機となるであろう。

気分としては、政策理念を共有する政治家が結集して、まとまりと突破力のある政党を造れと言いたい所である。しかし、1990年代の政党再編ブームと比べると、今は再編の機運がまだ盛り上がっていないように思える。その理由としては、まず選挙制度が挙げられる。かつての中選挙区制の下であれば、新規参入のハードルも低く政治家は比較的自由に動くことができた。しかし、小選挙区制は政党再編には向かない制度である。また、20年前は自民党、社会党という既成政党の重みが今とは比べ物にならないくらい大きく、新しい政党を造る動きに身を投じる政治家は、維新の志士のような気分になれた。舛添、与謝野といった政治家が作った新党の存在が霞んでいるのも、自民党自体が没落したからそれを否定してもインパクトがないという理由によるのであろう。

既成政党に対する不満、不信が高まる中、20年前の再編ブームの時と比べて、政治家は自らの理念を語ることが少なくなった。岡田克也、野田佳彦といった民主党の次の首相候補も、政権交代や二大政党制の必要性についてはまじめに語るが、自分が権力を取った時にどのような社会を作るかというビジョンについては、具体的に語ることはなかった。それは自民党の指導者も同じである。谷垣禎一は本来宏池会の末裔であり、穏健保守に属するはずだが、自民党内右派の声高な政府批判を放置している。

結局、現在の政治的閉塞状況を打破するためには、政治家もメディアも、政権交代(自民党にとっては政権奪還)をそれ自体として目標とする発想から訣別することが第一歩となる。そして、家族、雇用、社会保障などのありようを具体的に語る社会経済モデル、外交路線についてそれぞれの言葉で議論することが必要である。政権交代から13ヵ月たった時点での総括としてはあまりに貧相な結論だが、あなたは何をしたいのかと国民に問われて指導者がすぐに答えられるようでなければ、政治の迷走は続くのである。(TBS調査情報、2011年1/2月号)


Comment:
2011/01/08 9:42 AM, noga wrote:
政治家は、政党の内紛に身をゆだねてよいものか。
議員は、自分自身の政治哲学は持ち合わせていないのか。
内閣の首班指名を何回繰り返しても結果は同じ (低級) になるのではないか。
標本を抽出する母集団の質の問題を考えることなく総理の首を何回挿げ替えても、結果は賽の河原の石積みのようなものになるのではないか。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812



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