2005.08.12 Friday 16:23

05年8月:小泉流リーダーシップの意義+(読売新聞掲載の小泉論に対する補足)

 昨日づけの読売新聞に、小泉首相のリーダーシップに対す論評を掲載した。これは、ブログに書き下ろした感想をもとにしたもので、それ自身目新しいものではない。しかし、リーダーシップに関する批評ということで、小泉に対する好意的評価という誤解を与えるかもしれないと思い、補足を書き加えたい。

 戦後日本の政党政治では、政党が政策を尊重してこなかった。特に自民党の場合、あれもある、これもあるという雑居性が政党の幅の広さとして高く評価され、党内における不透明な交渉や妥協が民主的手続として尊重されてきた。しかし、権力に関する責任の所在が不明確であることが、日本の政党政治を毒してきたと私は思う。国民にとっては、選挙で投票することが重要政策についての選択につながっていない。これからは、政党のリーダーが国民に対して重要政策を具体的に示し、その実現に向けて自党を統制、統率するというメカニズムを確立することが必要である。この転換は、妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジといってもよい。

 小泉首相は日本で初めて契約型民主主義を実行しようとしている。この点は、高く評価したい。政党が100パーセント政策を共有し、一枚岩の団結を誇るというのは気味が悪い。人間集団であり、異論や派閥対立があるのは当然である。しかし、最高指導者が政治生命をかけてやりたいといっている重要政策について、これを否定することが容認されていては、政党政治は成り立たない。反対派はリーダーを代えるか、個人的意見を押さえて党の方針に従うか、党を離れるか、いずれかの選択を取るべきである。政策本位の政党政治とはそういうものである。

 政策の中身に対する評価とは別に、政党の体質、政策決定システムを転換するという点で、小泉首相の取り組みには歴史的な意味があると思うのである。

 もちろん、私は小泉流新自由主義には反対である。郵政民営化も、今は必要ないと思っている。ただし、郵政民営化は小泉の最大公約であり、彼を総裁・総理に選んだ以上、自民党はその実現に邁進するのが国民に対する責任である。そうした小泉の問題設定が正しいかどうかは、国民が選挙で判断するしかない。これに対抗する民主党も、最重要課題については全党が結束する体制を作らなければならない。

 以下は、政策内容の話に移る。日本のメディアにおける新自由主義のマインドコントロールはすさまじい。小さな政府が自明の善のごとく前提とされている。すべてを市場化した時に日本の社会がどうなるのか、冷静な議論がまったくない。また、郵政民営化というシングルイシューで選挙を戦い、他の重要な課題については白紙委任というのでは、小泉は単なる独裁者になる。

 民主党は小泉と正面から対決することを逡巡しているようである。解散にともなって自分の選挙で忙しい前衆議院議員に代わって、民主党では参議院議員、特に通産官僚上がりの参議院議員がマニフェストの作成を仕切っているとのこと。これでは、小泉の杜撰な小さな政府論に対して、明確な対立構図を描けないのも当然である。

 「me too」の政治では、小選挙区の選挙を勝ち抜くことはできない。民主党が民営化、小さな政府についてミー・トゥーと言っている限り、この党が政権を取ることはない。先日来主張しているように、呼び方はともかく、年金、雇用、子育てについて社会民主主義的アジェンダを示す以外に、政権交代を起こす道はないのである。

 選挙となれば、物事を単純化しなければならない。地方の郵便局をつぶす自民党対郵便局を残し、地域を再生させる民主党、一握りの金持ちを優遇する自民党対働く市民のために働く民主党という図式を立てるしかないと私は信じている。(ブログ書き下ろし)


Comment:
2005/08/12 6:33 PM, 豆そば wrote:
今回の事態、山口先生の見方に大筋で同感します。 小泉純一郎首相がやったことは、「言ったことはやる、それが信任されなかったら責任をとってやめる」という、いわば、私たちが「学校で学ぶ『デモクラシーの基本』」です。「近代的個人としての基本」と言い換えてもいいでしょう。 ところが、自民党は、これは「日本のムラ社会そのもの」と言ってもいいと思いますが、戦後(この「戦」とは、西暦1945年に終わった戦争のことです)、表向きは、「学校で」、「近代的個人としての基本」=「デモクラシーの基本」なるものを説教しておきながら、現実は「ムラ」の老獪な「オトナ」たちが、全く別の論理でことを決定し進めていく、という状態が、この60年間続いてきました。「学校で習ったこと」を本気にしているやつは「ガキ」だ、というレッテル張りとともに。 この「ホンネとタテマエ」という分裂状況をはじめて政治の最高責任者として打破し、「学校で習ったとおり」の「言ったことはやる、やったことには責任をとる」という行動をしたのが、今回の小泉純一郎「変人」=「ガキ」首相、の行動だったのだろうと思います。 それが、政治の現実としていいことなのかどうかは、現時点では何とも言えません。ただ、日本が抱える「ウラとオモテ」という矛盾した状況の是非をはっきりさせるためには、このような蛮勇を奮う「革命家」の存在がどこかで必要だったのだろう、とは感じています。 返す返す言いますが、このような「学校で習ったとおりのこと」がいいことなのか否かは、現時点では何とも言えません。ただ、それを全面的に問うという展開になっていることは、おそらく間違いないと思います。 それに対するべき民主党は、「自民党でない政権」という、はるかにアピール度の小さいことしか言いえておらず、迫力を感じません。残念なことです。
2005/08/12 7:03 PM, ぴろーん wrote:
http://blog.tatsuru.com/archives/001166.php" rel="nofollow">http://blog.tatsuru.com/archives/001166.php  やったことに責任を取る、というのであれば、これまでのシステムをなぜ改革する必要があるのか、それについて説明するのがまず最初にくるべきではないでしょうか。そこを小泉が官僚と一緒になってごまかしているのは解せない話です。  小泉への批評の仕方は難しいですね。先生もご指摘の通り、国民への説明がない形で、あれこれ妥協的民主主義「すら」行わないまま政策が決定される方向が、このまま定着する可能性もあるわけで。小泉褒めたくないしなぁ。。。
2005/08/13 11:23 AM, blue wrote:
 お盆で、地方都市の仙台の高速道路は低速道路となっています。さて、おっしゃる通りで、民主党は自民小泉と同類では今度の選挙は負けるでしょうし、大敗しそうです。もともと鳩山党首になった時に野党でありながら、小泉を支持し、小沢保守党を取り込んで、党の方針がはっきりせず、自民と袂を分かつ左右が合体して出来たキメラのような党ですから、負けるかな、、岡田さんはカリスマ性がなく党が負けるのは必至でしょうか。
2005/08/13 7:43 PM, 高本邦彦 wrote:
「衆議院解散」の補足を拝見し、ある程度納得がいきました。しかし、選挙公約を絶対視するのは形式論に陥る危険がつきまといます。小泉首相自身、靖国参拝や国債30兆円の公約を遵守していません。そもそも小泉自民党政権がマニフェストを重要視しているかどうか疑問です。前回の参議院選挙のマニフェストも薄っぺらなものだったと言われています。それももっぱら幹事長が中心になって作成したそうです。選挙のマニフェストが尊重される政治風土になることが望ましいと思いますが、そのためには日常的に政党の構成員による民主的な議論が保証されなければならないと思います。候補者が地元を走り回っている短時間の中で作成されるのでは問題があります。
2005/08/14 2:36 AM, toshiakim wrote:
こんにちは。いつも拝見させていただいております。私も自分のブログに<郵政民営化における「民」とは>と題して、今回の選挙のあり方について書きました。山口先生にもコメントをいただけると嬉しく思います。 http://d.hatena.ne.jp/toshiakim/" rel="nofollow">http://d.hatena.ne.jp/toshiakim/
2005/08/14 11:11 AM, Re-en wrote:
toshiakim 様  お見事ですね。的確にkoizumiを判断・分析なさり、首尾一貫した、論理的な構成に敬意と感謝を抱きつつ、共感しております。私の言いたかったことが、随所に、より良く表現されています。  何よりも、「地に足のついた生活者の視点」から、誰にも分かりやすく」という姿勢に着目したいです。「民」のリーダーは、高邁であってほしいが、幅広く「民」に受け入れられやすい語り口も時に応じて必要です。「民」の感覚と遊離しないためにも。  さもなければ、単純極まりない語彙の繰り返ししかできないkの言動でも、それゆえ「明快・明快」だと「民」は錯覚してしまいます。  仰るとおり、壊す以前に再構築のビジョン、デザインが重要ですね。「民」にとっては、壊すことが最終目標ではないのですから。  「壊す・毀す」という主張は、「創る・造る・作る・」に比べ、俗に言えばケチをつけにくい。粗探しされにくい。存在がなくなるのですから。   毀すまでの過程の「民の雑音」をものともせず、「手際よい?毀し方」さえすれば、強力な指導力で立派に破壊しました、と高い評価を受けることになるのかも知れない。 「公約」として誠に都合が良いですね。  「難しい政策や、構想に悩み苦しみたくない、下手に示せば追求と評価の材料を与えてしまう。民間企業と議員、官僚が何とかしてくれるのだろうから、考えるまでもない」という時には、先ず「壊して再生しましょうよ」と明るい未来を予見させるのが、ケンメイな権力者。昔「地上げ屋」が跋扈しましたが、アノ作業もリーダーシップが大事だったかも。      社民党は潰されかけているから、組む利用価値がないように思われているのでは?  せっかくのtoshiakimさんの御意見に対し、サポーターどころか横道に逸れた文章になり、すみません。もう少し近頃感じたこと。  大学院で研究生活に浸っている学生が、産学官、協働で地域振興なりに関わったとします。個人の資質にも寄るのでしょうが、なまじ学問を身につけ、一般の人より事情に通じている、洞察力あるように自信をもっているそんな学生たちに出会うと、何かがかけていると危うい気持ちになります。彼らは将来、企業や役所の幹部になりうるのですから。経験ない事にいかに想像できるか。(痛みへの思いやりをもてるか)。分からない、難解だという声に耳傾け歩み寄れるか。分からないということを分かろうとしているか。そういう懐の深さが身につけば「民」に幸いです。    最後に、僭越ですが山口先生に、例え話を1つさせて頂きます。 優れた飛行機を考案・設計し、空中ワーク(フィールドワークに対する勝手な造語)する行動力があり、知識、見識、技術も備わっている。他国での研究も怠らない。そして地上の動向が良く把握できる眼もお持ちだと。しかしながら、余りに高く遠く長時間飛べるので、瞬間、風の影響を受けたり、多くの問題が見えすぎることになります。自分の影が地面に移りませんし。  また、先生のような方は、「評価」という語を使うのに敏感で慎重であってほしいです。  選挙まで僅か1ヶ月です。時々下界に降り立って丘から俯瞰なさり、道端の石ころを蹴飛ばすくらいの、遊びごころある余裕で臨んで下さい。お願い致します。   
2005/08/14 8:28 PM, toshiakim wrote:
こんばんは。たいへん丁寧なコメントを頂き感激しております。ありがとうございました。 私のブログの読者は主婦なので、あまり難しい言葉を使ったり、あまり長い文章だと(ほとんどあのくらいの長さが限界です)そっぽを向かれてしまうので、なるべく具体的で、なるべく解りやすい言葉や例えを使って理解してもらえるように努めています。本当は新自由主義とかネオリベラリズムという言葉も使いたくはなかったくらいですが、小泉構造改革の本質を理解してもらうためには、これくらいは押さえておいてほしいと思ったので使いました。 山口先生が仰られているように日本のメディアにおける新自由主義のマインドコントロールはすさまじいものがありますね。先日もラジオで猪瀬直樹さんが「ベルリンの壁崩壊後は欧米では小さな政府が常識」なんてことを言っていましたが、あの猪瀬さんですら、正確に物事を伝えようとはしないんだなと思い落胆してしまいました。 選挙まで1ヶ月を切りましたが、それまでに私にできることは何なのか、探りながら、気張らずに過ごしていきたいと思っています。
2005/08/15 6:24 PM, T.S. wrote:
 今回の先生のコメントは、 「2005年08月09日 衆院解散:自民党政治の終わり???郵政解散に関する感想」 及び 「2005年08月10日 05年8月:民主党左派への疑問→回答」 の補足であると理解します。私なりに論評してみたく思います。 <自民党の場合、あれもある、これもあるという雑居性が政党の幅の広さとして高く評価され、党内における不透明な交渉や妥協が民主的手続として尊重されてきた。>  この点は全くそのとおりであり、その曖昧さの最たるものが、特定郵便局を自らの選挙基盤としていながら、郵政民営化を年来の持論にしてきた小泉を総裁に戴いたことであり、昨今のニュースが伝えているのは、このねじれが極度に達し、ついにはじけたということだろうと理解します。言うまでもなく、あくまで自民党内部で起こった話です。 <国民にとっては、選挙で投票することが重要政策についての選択につながっていない。これからは、政党のリーダーが国民に対して重要政策を具体的に示し、その実現に向けて自党を統制、統率するというメカニズムを確立することが必要である。この転換は、妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジといってもよい。  小泉首相は日本で初めて契約型民主主義を実行しようとしている。この点は、高く評価したい。>  しかし、小泉氏に対するこの評価は正しいとは思えません。<選挙で投票することが重要政策についての選択>につながるという構図ができたのは、2年前の総選挙の際、民主党が言い出した「マニフェスト」に由来するのではないでしょうか。それ以前に小泉氏が言っていたのは「自民党をぶっ壊す」ということでしかなかったように思います。方法論が確立していたわけでもないし、しかも、「ぶっ壊す」熱意は、田中真紀子外相がやめて以降しばらくは、かなり低下していたように見えます。  上述したように、今起こっていることは自民党の内紛劇であり、それを<妥協型民主主義から、(国民との)契約型民主主義へのモデルチェンジ>と評するのは、針小棒大との批判を免れません。 <政党が100パーセント政策を共有し、一枚岩の団結を誇るというのは気味が悪い。人間集団であり、異論や派閥対立があるのは当然である。しかし、最高指導者が政治生命をかけてやりたいといっている重要政策について、これを否定することが容認されていては、政党政治は成り立たない。反対派はリーダーを代えるか、個人的意見を押さえて党の方針に従うか、党を離れるか、いずれかの選択を取るべきである。政策本位の政党政治とはそういうものである。  政策の中身に対する評価とは別に、政党の体質、政策決定システムを転換するという点で、小泉首相の取り組みには歴史的な意味があると思うのである。>  マニフェストを策定してそれに対する従順を求めるということ、それ自体は理解できます。しかし、政党内の異論の存在を認めるのであれば、そのマニフェストを策定するまでの過程については当然議論がしかるべく行なわれるべきことも認めなければなりません。ところが、小泉氏が今回行なっているのは、その過程的議論をすっとばして「コーランか剣か」と言うことなのではないでしょうか。  ところで、以上の議論全体にかかわるもう1つの論点を指摘したいと思います。「小泉流リーダーシップ」が評価される所以の1つは、たぶん、経営上の意思決定におけるトップダウン型を高く評価する考えにあるのだろうと思います。いわゆる新自由主義的傾向の強まりと、このような考え方との間には相関関係があると想像されますが、しかし、果たしてトップダウン型が良い経営の型だということは立証されているのかどうか。この点は実は、決して自明でないように思います。「優良企業」の特徴とはどのようなものかについて、最近たまたま或る興味深いコラムを目にしたので、参考までにそのURLを掲げておきます。 http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_ishiguro13" rel="nofollow">http://bizplus.nikkei.co.jp/colm/colCh.cfm?i=t_ishiguro13  言うまでもなく、企業経営と党運営さらには国家経営とは、同じものではありません。企業経営においては経済的効率を第一の基準として、場合によっては非人間的な手段が採用されることもあるのかもしれない。しかし党運営、さらには国家経営においては、そのようなことは許されない。第一基準は人権であり民主主義であるのですから。  民主主義とは手続きだという話を昔聞いたことがあります。それで言い尽くせているとは思いませんが、しかし、今の小泉氏の政治に欠けているものを、それは思い起こさせてくれます。
2005/08/20 8:24 AM, Re-en wrote:
T.S. 様  大変遅くなりましたが、2005年08月15日 18:24 の投稿ありがとうございました。理路整然とした分析と解説に賛意を表させていただきます。特に山口先生のkoizumi評価に対する論評、「企業経営と党運営さらには国家経営とは、同じものではありません」の段落に同感です。国は、人権を保障された「人」で成り立っているはずなのですから。  「ぶっ壊す」という、とりようによってはカッコヨク映る、インパクトがある(だけ)のスローガンは、【手続きの欠け】を目立たなくする「効用」がありますね。
2005/08/21 12:20 PM, 神生総一 wrote:
以前、勉強会で山口先生のお話を聞く事ができましたが、今の体制を壊す必要があるとおっしゃる一方でその後はどうするのか、という質問に「その時はその時に考えれば良い」との回答をされたことに少々ガッカリしました。これでは小泉首相と同じではないでしょうか。 民主党の支持がいまいち伸びないのも、改革を唱えながらその改革がどういう過程で行われていくのか、国民が我慢しなければならない点が何なのかが明確ではない、という問題があるからではないだろうか。 単に壊せばいい、というだけではなく、その後の日本の進むべき姿を示していただきたいと思います。
2005/08/23 12:48 AM, kara wrote:
神生総一様 体制とありますが、何の体制についてのコメントか書いていただけるとありがたいのですが。 当初、体制と言えば戦後から続く自民党体制、つまり政局について書かれたものだと思いました。 敵味方が猫の目のように変わる政局であればその時にならないと考えられないように思えます。 しかし、後半で改革という言葉を見ると一転して政策を指しているように思えてきます。 興味深いコメントだけに、ここでの体制とは政局なのか政策なのかを慎重に表現してほしいと思います。
2005/08/25 5:34 AM, カレーパン wrote:
 今日、昨日と北海道1区、2区の公開討論を聞いていて、「小さな政府」という言葉の使われ方があまりに雑だと感じました。横路さんの認識は、先生の議論の影響もかいま見えて、そこそこ納得のいくものでしたが、それにしても、他の人たちの用法はひどすぎます。日本が、いわゆる「大きな政府」ではないこと、その上で、しかし、日本でも市場原理の徹底、あるいはその活用を含めた第三の道が求められている理由、そのあたりをもう一度誰かが解説し直す必要があるのではないかと強く感じました。話が複雑になりすぎると誰も聞く耳を持たないでしょうが、現状はあまりにひどいと思います。第三の道という言葉や、社会民主主義という言葉が飽きられてる割には、あまり理解が広まってない現状を危惧します。しかも、それが日本の文脈でどのような位置づけになるのかということになるとなおさらです。みんながワンフレーズの罠にはまって、その言葉の単純な語義という意味での意味すら考えようとしなくなっている気がします。お忙しいとは思いますが、是非選挙までに先生なりの見方を少し踏み込んで書いていただけたらと思うのですが。これまでの文章をつなぎ合わせる形でも良いと思います。
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