2005.05.11 Wednesday 02:08

イギリス総選挙の意味 下

 近年、日本でもマニフェスト(政党が発表する政権綱領)に対する関心が高まっている。マニフェストとはもともとイギリスの政党が総選挙の際に作ったものであり、イギリスはマニフェスト選挙の本場である。マニフェストは一冊五百円程度で、新聞売店などで市販されている。日本からは、各党のホームページからダウンロードできる。
 今回のマニフェストは各党の性格をよく反映していた。労働党のマニフェストは赤い表紙のペーパーバック版の冊子で、二〇一〇年のイギリスの経済社会像を描いていた。この五年間にどの程度の財源を投入し、公共サービスの水準をどのように引き上げるかが具体的に示されている。政策能力を訴えたい労働党は、あえて視覚に訴えず、言葉と数字で政策を提示した。これに対して保守党のマニフェストは、白い表紙に筆記体の文字で、公約を簡潔に並べていた。こちらは視覚に訴え、労働党政権の失政を訴えようというものである。

 一般有権者がマニフェストを読んで投票態度を決めるというのは神話であって、マニフェストを読むのはマスコミや政治に
よほど関心のある人である。しかし、マニフェストは政党の政策的な立場やその信頼性を量る重要な材料である。新聞はもちろん、様々なウェッブサイトで各党のマニフェストを厳しく点検し、その実現可能性について厳しい論評が行われていた。こと政策の信頼性に関しては、保守党の政策は具体性に欠け、財源の裏づけも不十分という批判が強かった。

 労働党にとって総選挙における三連勝は初めての快挙である。サッチャー政権に匹敵する長期政権となった労働党はイギリスをどのように変え、イギリスの経験は日本など他の民主主義国にとってどのような教訓を与えるのだろうか。

 ブレア政権の内政面での最大の成果は、グローバル化時代における福祉国家や社会的公正に関して新しい可能性を開いたという点にある。もはや昔のように累進課税と法人税によって福祉の財源をまかなうという時代ではない。しかし、サッチャー時代に荒廃した医療、教育などの公共サービスを立て直すことは国民の要請である。こうした難問に答え、労働党はアングロサクソン(英米型)資本主義から、アングロ(英国型)社会モデルの構築に向かっている。

 かつては犯罪に走っていた職のない若者に対して、教育と訓練を提供し、社会に参画する道筋を示すための雇用政策、子供たちに放課後の課外活動や補習授業を行うための仕組み、若い母親の出産や育児を支援する仕組みなどについて、労働党政権は国レベルで新しい政策を打ち出し、徐々に効果を上げている。また、生まれた子供に対して政府が最大五〇〇ポンドを支給して預金口座を開き、親などがその子のために無税で貯金できる制度(チャイルド・トラスト・ファンド)も始まった。今を生きる普通の人々が直面する子育て、就職などの難題について、政府は周到な支援策を用意している。これらの政策は単に貧困を救済するのではなく、様々な意味でのリスクの高まりの中で弱者になる可能性を抱えた普通の人に対して、安心して社会に参画し、自己実現の可能性を追求できるようにするという積極的な政策である。犯罪対策、教育問題、少子化などは先進国に共通するものであるが、イギリスにおいては精神論ではなく、具体的な裏づけをともなった政策が展開されている。

 最後に、日本にとっての教訓を考えてみたい。イギリスの選挙を見て感じたのは、政治における理念や価値観の重要性である。労働党は、イギリスの階級社会の硬直性の打破を訴え、すべての人が自己実現を追求できるという意味で、平等を訴えた。政党の政策的差異がなくなったという批判はイギリスでも聞かれるが、価値観や理念の差異は伝わってくる。保守党は移民問題などで自らの偏狭さをさらけ出し、自滅したのである。マニフェストはあくまで道具である。その根底にあるよい社会のイメージこそ、政治を動かす原動力である。もう一つ強く印象に残ったことは、政府の行動に関して既成事実に屈服しない市民の厳しい態度、政治家の責任を追及する姿勢である。ブレアの心胆を寒からしめた市民の姿勢こそ、民主主義の土台である。(北海道新聞5月10日夕刊)

Comment:
2005/05/11 8:52 AM, jyukuchou wrote:
初めて先生のホームページを拝見しました 先生もご指摘のとおり現在の日本の閉塞状況を打開する手がかりが現在のイギリスの多くの取り組みの中にあると考えます それらの中でイギリスの普通の人々の政治に対する行動がどのように社会的・歴史的に構築されているのかという問題に興味があります
2005/05/11 8:54 AM, jyukuchou wrote:
初めて先生のホームページを拝見しました 先生もご指摘のとおり現在の日本の閉塞状況を打開する手がかりが現在のイギリスの多くの取り組みの中にあると考えます それらの中でイギリスの普通の人々の政治に対する行動がどのように社会的・歴史的に構築されているのかという問題に興味があります
2005/05/11 9:57 PM, このみ wrote:
正しくは5月10日夕刊です。
2005/05/11 10:50 PM, Chic Stone wrote:
「中庸」「寛容」「機会の提供」が必要とされるようですね。
2005/05/11 11:26 PM, Blue wrote:
なるほど 非常に興味ある展開を英国では行っているのですね。感心したのは チャイルド トラスト ファンド です。日本では 少子化対策を エンジェルプランから始めて 新エンジェル そして 10年間の時限立法の 次世代育成支援 これはまさに国家総動員令のような 国の数多くの省庁の合同政策展開ですが 結果は 毎年の出生率の低下 なぜ 国の少子化対策が進まないか それは ビジョンの欠落と具体的政策の稚拙さだと思います というか 政策ビジョンが確固たるものでないかぎり 具体的な政策が出てこない結果ではないかと思いますが なるほど 英国は 現実的具体的な政策展開なんですね 感心しました
2005/05/13 10:09 AM, 工藤  恒男 wrote:
チャイルド・トラスト・ファンドについては私も関心を持っています。もともとイギリス貴族が近代になって没落するときに信託財産の形で子孫に財産を残す習慣が出来、1980年代になってベーシックインカムの形で再生された考え方だと思います。 500ポンドは約10万円です。これを年利6%で運用すると65歳の誕生日には400万円を超えます。更に現行の国民年金掛け金を同様に年利6%で40年間続けて5年間据え置くと3000万を超えます。この両方の利息で毎年200万円以上受け取れます。65歳から利息は使ってしまっても元金は残りますから、子供や孫に遺産相続できます。 この考え方は年金問題を解決する究極の方法ではないかと考えています。日本は高度成長のお陰で金持ちになりました。新興成金ではありますが、世界の貴族社会の仲間入りをしたのですから、イギリス貴族が残してくれた知恵を是非活用したいと思います。この考え方にとってインフレと戦争は大敵です。ですから、インフレと戦争には絶対反対です。
2005/05/14 10:15 AM, blue wrote:
Child trust fundですが 年金の解決?? なるほど日本らしい これは少子化対策 青少年育成という発想なのに 日本では年金解決手段という発想は 興味あるし だから 子供は減るんだろうかな
2005/05/14 2:43 PM, 工藤  恒男 wrote:
少子化現象は日本だけでなく、程度の差はありますが世界の先進国で同時に起こっている現象です。理由は様々考えられますが、少なくとも収入が少なくなったからではないと思います。日本にも昔から「貧乏人の子沢山」と言う言葉がありますし、現在開発途上国の人口増加は続いています。むしろ、収入の増加と女性の高学歴化が大きく影響していると思います。人々が自由と平和を手にして、時間とお金を出産や育児よりももっと有効に使いたいと感じ始めたからでしょう。ですから、生まれたときに10万円支給したり、日本の各地の自治体が行っている月1万円程度の育児手当を支給したりしているのは、いわば女性の休業手当のようなもので、こんなことで子供を沢山作ろうと考える人は少ないだろうと思います。 もともと国の政策で子供の数を増やそうとすること自体が無理だと思います。第二次世界大戦の最中に国は「生めよ増やせよ」と号令を掛けましたが出生率は向上しませんでした。戦争が終わって若者が戦場から帰って来ると第一次ベビーブームが生まれました。これも日本だけでなく、ヨーロッパにも同時に起こった現象です。 少子化そのものは決して悪いことではありません。昔は移民や棄民と言う形で人口調節を図りましたが、今後は難しいでしょう。狭い日本は人口が増えすぎたのだから少子化は天の恵みだと思います。少子化で困るのは現在のように年金の負担を若者にしわ寄せしたりしていることだと思います。 ですから、年金問題解決の手段にしたいと考えています。
2006/01/03 1:14 AM, Blueさんへ wrote:
日本が高度成長のお陰で世界の貴族の仲間入り??? 少し勘違いしてるのではないでしょうか? 確かに高度成長で平均的に裕福にはなったでしょうが、殆どの方はサラリーマンです。サラリーマンは生活する為に働いています。何故なら、働かなければ生活できないからです。 一億総中流という言葉がありますけど、現実的な表現だと思いません。 殆どの方は労働者です。 中流というのは、所謂、セレブと言われる方々です。只、日本のマスコミが騒いでるセレブとは少し方向性が違うかと思いますけど・・・。
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