2004.01.16 Friday 13:18

02年10月:民主党の終わりと政党政治の混迷

 民主党の代表選挙では、鳩山由起夫氏が勝利を収めたが、その勝ち方の悪さゆえに、この党は結党以来の危機に直面することになった。国会議員と次回総選挙候補予定者は、鳩山代表の下では政権奪取や当選はおぼつかないと考え、僅差とはいえ、菅直人前幹事長を選んだ。鳩山氏に勝利をもたらしたのは、地方のサポーター票である。そして、地方の支持なるものは、サポーターの投票率が五一パーセントだったことに示されるように、堅く組織され、動員された人々、有り体に言えば旧同盟系の労組票であった。そして、鳩山氏はその恩返しとばかりに、旧民社党グループの束ね役、中野寛成氏を幹事長に任命した。批評するのもばかばかしくなるくらいの愚かな選択である。今時、自民党でもこれほど露骨な論功行賞はしない。鳩山氏は代表に選ばれた直後に、政治家としての不適格さを露呈したのである。

 もはや鳩山氏は死に体である。この原稿が活字になる頃には、民主党の執行部人事も一応決着していることだろう。しかし、中野氏起用によって生じた鳩山不信はもはや除去不可能なものである。議員の多数意思にも、世論にも反して決められた代表の下で、民主党の政治家が生き生きと活動できるわけはない。鳩山氏は、自らの不明を恥じ、代表さらには議員の職を辞するくらいのことをしなければ、民主党の被った打撃を回復することはできない。もちろん、彼にはそんな度量はないだろうから、民主党はこれで終わりということになる。

なぜ日本では野党が育たないのか

 民主党はかつての新進党の末期に似てきた。鳩山、反鳩山の争いが起これば、この党は分裂するかもしれない。思えば、九〇年代以来日本における政党再編成の動きはほとんど野党の側で行われてきた。権力を持つ自民党はわざわざ分裂する必要などないわけで、それは当然かもしれない。それにしても、自民党に対抗できる野党を作り出そうという掛け声は十年来叫ばれているのに、実際の野党結集は賽の河原の石積みのような状態であり、政権交代の必要性を叫んできた私も、もう疲れてきた。一体なぜ日本では野党が育たないのだろうか。

もちろん、政治家としての志の問題もある。野党第一党という小成に甘んじ、矮小な権力争いをすることを政治と心得る人がいるから、今回のようなドタバタ劇が起こる。しかし、政治家に心構えを説いても空しいだけである。知的な意味での戦略が野党には必要である。

 その戦略を考える際に、まず自民党という巨大な権力の塊について分析しておかなければならない。野党に同情的な議論をするならば、自民党がつねに権力保持を最大の目的とし、軸となる政策を持たないことこそ、野党不在の原因である。たとえて言えば、西ヨーロッパの政党は固体のようなものである。何らかの理念に基づく凝集力があり、これを壊す、倒すということについてもイメージは浮かびやすい。しかし、自民党は液体のようなものである。液体は器にあわせて形を変え、これを壊すことはできない。権力を保持するためなら何でもありという体質は、九三年の下野の経験によって一層ひどくなった。矛盾することを言って恥じることはなく、主張に対して責任を取るという感覚を持たない自民党に対して、何か政策論争を仕掛けてこれをうち負かすということの現実感はわいてこない。構造改革をめぐる推進派と抵抗勢力の戦いを見ればわかるように、政策をめぐる党の矛盾自体を見せ物、売り物にしてまで国民の耳目を引きつけようというのが自民党である。

 確かに民主党の若手には優秀な人材がおり、政策論争をさせれば自民党よりもすぐれている政治家も多いだろう。メディアには報道されないが、それなりにまじめに政策を考えている政治家がいることは認めよう。しかし、政策論争で弁が立つから、政治的選択肢としての期待が高まるわけではない。自民党が体現しているアンシャン・レジームと本気で闘おうとしているかどうかが、野党が国民の信頼を得ることができるかどうかの鍵である。野党に対する期待や信頼が高まらないのは、闘う気力もなく、政策論議にふけっているからではないか。民主党代表選挙における若手候補者の談合による一本化は、その現れである。最近の地方政治における大きな変化を見れば、田中康夫氏に典型的に現れているように、改革派の知事たちが勝利した過程では、政策論よりも闘いの気合いがリーダーの資質として最も重視されていることがわかるであろう。

闘いの場はどこか

 民主政治における最大の闘いは、選挙である。今月予定されているいくつかの補欠選挙で、鳩山新体制が国民の評価を受ける。しかし、この補欠選挙の多くは、もともと自民党議員の疑惑や不祥事による辞職を受けたもので、野党有利は当たり前である。このような選挙で勝ったからといって自慢にはならない。現在の不安な経済状況や北朝鮮との外交交渉の長期化を考えれば、当面解散総選挙という決戦はない。民主党にとって最も重要な闘いの場は、これからの地方選挙および来年の統一地方選挙である。

 今の野党は国会の中だけで政府、自民党に対決している。地域の現実を見れば、野党も利権政治の片棒を担ぎ、アンシャン・レジームを支えている。人々の身近な政治において既得権にしがみついて、むしろ変革を邪魔しているような政党が、国政の転換の主役としての期待を集められるわけがない。

 民主党代表選の候補者を集めた市民団体主催の討論会で、鳩山氏は長野県知事選挙に対する民主党の取り組みを「反省している」と述べた。これはもちろん、羽田孜特別代表の地元にいる民主党系列の地方政治家に遠慮し、田中康夫知事を本格的に支援できなかったことについての総括である。言葉で反省することは誰にでもできる。これからの地方選挙で、民主党系の地方政治家と正面から喧嘩してでも、利権の構造を崩す闘いができるかどうかが問われている。

 最近注目を集めている改革派と呼ばれる知事たちは、中央官僚、地方の役人気質、利権の構造など様々なものと闘っている。理念を掲げて闘う姿勢があるからこそ、これらの知事は組織的基盤がなくても、また議会に多数与党がいなくても、住民の世論という強い基盤に立って自らの政策を実現できている。

 地方のことは地方に任せるのが分権を推進する民主党だという珍妙な言い訳はもうやめにすべきである。知事選挙と政令市の市長選挙では相乗りはしないという原則を立て、改革を実現できる清新な候補者を擁立し、地域における利権の構造と体を張って闘うという実績を積み上げることなしに、野党に対する信頼感は高まることはない。自民党と闘うのは、地方での闘いによって利権政治の基盤に切り込んでからの話である。私は、民主党という形のままで政権交代を起こせるなどと楽観はしていない。それにしても、日本政治を変えたいという政治家はまず地元に戻って、足元からアンシャン・レジームと戦うべきである。

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