2004.01.16 Friday 13:16

02年9月:長野県知事選挙の教訓

 田中康夫前長野知事に対する不信任決議と知事失職を受けて行なわれた出直し選挙において、田中氏が圧勝した。この選挙の意味をかみしめることによって、今後の地域にとっての政策課題と、政治構造の変革の方向が見えてくるように思える。まず確認しておくべきことは、自治体における首長と議会のあるべき関係である。

 そもそも今回の長野県の場合、議会による知事不信任は大義名分なき政争であった。不信任という制度は、議院内閣制の国と二元代表制の地方とでは、まったく意味を異にする。理論上、国政において内閣は国会に責任を負うのであり、国会の信託に反した内閣に対して国会はいつでも不信任を議決できる。しかし、地方自治体において首長は住民から直接選ばれるのであり、議会に対して責任を負うわけではない。議会による不信任は、首長によほど大きな失政や非行があった場合に限られる。今回の不信任劇の出発点であった田中氏による「脱ダム宣言」は、当初の公約である公共事業見直しに沿ったものであった。知事が政策的責任を果たしたかどうかは、任期をまっとうした時に県民が選挙で評価すべきである。政策問題で議会が主張を不信任するというのは、議会権限の濫用である。今後多くの自治体で首長が改革を進めようとするときに、古い政治構造に依拠した議会が抵抗することがあるかもしれない。しかし、議会の役割は条例や予算の審議を通して政策論議を深める点にあることを確認する必要がある。

公共事業偏重の地域政策に決別するとき

 今回の知事選挙によって長野県民の意思は明確になった。それは長野に限らず、似たような問題に直面している多くの地方の住民の意思でもあるだろう。県民は、田中氏を選ぶことによって、大規模開発を梃子にして地域経済の浮揚を図るという古臭い発想にとらわれている議会に対して不信任を突きつけたということもできる。従来の公共事業を中心とした地域経済政策に終止符を打つべき時にきたことを、住民自身が認識していることをこの選挙結果は物語っている。とりわけ、田中氏が公共事業に依存する度合いの高い農村部においても圧勝したことは、今まで政治の力に頼ってきた当の住民さえも、変化を求めていることを意味している。

 現在日本の地方は、中心都市も農村部もおしなべて疲弊している。根本的な原因は、経済のグローバル化の中で地方における雇用の源であった農業や流通業が衰弱していることにある。しかし、本来そうした傾向に歯止めをかけ、地域を支えるべき政策が逆に地域の疲弊を加速したことにも目を向ける必要がある。九〇年代後半、景気対策という名のもとで膨大な予算が使われた。それらは地域の再生のための政策ではなく、当時の建設省や農水省を中心とする巨大公共事業官庁の延命のための政策ではなかったのか。また、中央と地元の間でブローカーとして暗躍した族議員に新たな利権を提供しただけではなかったのか。おりしも省庁再編や財政構造改革の動きが表面化しており、官僚は自らの仕事を守ることに躍起になっていた。また、小選挙区制の導入と自民党を脅かす新進党という野党の存在を前に、族議員も自らの権力を守ることに必死になっていた。

 このように保身を図る官僚や政治家にとって、景気対策や地方の救済は格好の材料を提供した。そのもっとも醜悪な事例は、コメの市場開放に伴う農家の打撃を補償するために打ち出された六兆百億円の農業対策費であった。当時中央で政策を作っていた官僚や政治家に地域の素顔が見えていたとは思えない。役に立つかどうかは別として、事業規模を膨らませること自体が、中央官僚にとっての目的となっていた。

 地方では膨れ上がる景気対策予算を執行することに悲鳴をあげていた。特に、毎年のように年度後半に十兆円規模の補正予算が組まれ、公共事業が積み上げられたことが行政の混乱を招いた。地方では国から与えられた補助金や国から示された単独事業を消化することがそれ自体目的となったのである。北海道ニセコ町の逢坂誠二町長の経験によれば、当時地方財政計画に盛り込まれた地方単独事業の金額を達成するために、自治省は単独事業の伸び率が十%以下の自治体に理由書を出せと迫っていたそうである。

 金を使うこと自体が目的になれば、その政策が地域に本当に役立っているかどうか、それが将来の地域にどのような影響を及ぼすかをじっくり考えるひまはない。私は本欄で、日本の行政における政策の需要・供給のミスマッチという問題をしばしば指摘してきた。この問題は、九〇年代後半にいっそう深刻化したということができる。長野県の場合、オリンピックという国家的プロジェクトがあり、一種の興奮状態にあったため、その問題はより極端に現れたのであろう。かくして、地方財政の破綻、地域経済の建設業依存体質の悪化という帰結がもたらされた。九〇年代後半にいやというほど行われ、多くの無駄を作り出した公共事業による景気対策をこれ以上繰り返しても効果が現れないのは当然である。

脱ダムの具体的展開を

 現在小泉政権が進めようとしている地方制度改革や公共事業改革からは、「国から地方に与える金はない」とか「コストのかかる地方にはもう人は住まなくてもよい」というメッセージがそこはかとなく伝わってくる。しかし、日本はシンガポールのような都市国家になれるはずはない。国から地方への補助であれ、自治体間の財源移転であれ、大都市から地方への資金の移転はこれからも必要である。もちろん、今までのような野放図な補助金や交付税によるばら撒きを続けることはできない。しかし、中央官僚の省益追求を廃絶し、地方が身の丈にあった地域政策を考えられる環境を整えれば、おのずと政策は適正な水準に収斂するのではなかろうか。

 脱ダム宣言はそのような地方からのイニシアティブの象徴である。田中氏が目指しているのは、地域の自然や産業・文化の伝統の上に、小規模な公共事業を行なって、地域の中での経済循環を作り出すことであろう。また、政治手法の面から見れば、脱ダム宣言は脱官僚支配宣言でもある。真に地域の利益を考える叡智を持たず、政策の失敗ばかり繰り返してきた中央省庁の官僚に対しては、縁切り宣言をして当然である。

 再選された田中知事には、この際日本の集権官僚支配の矛盾をあぶりだすためのトリックスターになって欲しい。ダム事業を中止した場合に国からの補助金を返還せざるを得なくなり、県の財政を圧迫するというのが県議会による田中批判の要点であった。しかし、鳥取県、岩手県など類似の公共事業中止の事例においては、県は国に対して補助金の返還はしていない。仮に国土交通省が一罰百戒のために補助金の返還を求めてくるならば、田中知事は堂々と受けて立てばよい。開き直って返還はしないと主張し、国に裁判を起こさせればよい。そして、今までの補助金行政や公共事業の弊害を訴えるべきである。また、心ある議員や職員を束ねて改革の主体を作ってほしい。

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