2016.03.28 Monday 23:20

庶民感情と民主政治

 民主政治は、基本的人権や法の下の平等などの建前と、啓蒙された自己利益、つまりある程度長い時間軸で自分の利益を考える計算能力というかなり高度な前提に依拠している。人間はいつも賢く行動するわけではなく、世の中にはそんな建前とは反対の現実の方が多いので、そこから民主主義なんて虚妄だという批判が簡単に広がる。
 したがって、民主政治において庶民感情をどう活用するかは、難問である。庶民感情が弱い者いじめや、異質な少数派への排斥に向かえば、庶民を動員する独裁者の下で多数の専制が生まれる。他方、特権を持ったエリートに対する批判に向けば、公平、平等な社会を作り出すための改革のエネルギーにもなる。その点で、庶民政治(ポピュリズム)は両義的である。20世紀初頭のアメリカでは、ロバート・ラフォレット(ウィスコンシン州知事)やセオドア・ローズベルト大統領のリーダーシップの下で、庶民感情が巧みに政治的エネルギーに転換され、政党におけるボス支配の打破、資本の横暴に対する独占禁止政策などが実現した。
 目下世界の注目を集めているアメリカ大統領候補を選ぶ予備選挙も、ラフォレットの時代に政党の寡頭制を倒し、出したい候補を一般党員が押し上げるための仕組みとして始まった。今、この仕組みを通して、大富豪のドナルド・トランプと、「民主社会主義者」バーニー・サンダースがそれぞれ庶民感情を利用して戦っている。
 トランプは自ら億万長者であるがゆえに、選挙資金を自前で調達し、大企業に頼らない姿勢を売り物にしている。そして、人種や性の平等など民主主義に付きまとういくつかの建前をひっくり返す過激な言説で、庶民、特に白人男性の喝采を浴びている。没落しつつある多数派の不満を吸収するのがトランプ流の庶民政治である。サンダースは、大企業優先の経済政策を批判し、福祉国家路線を前面に掲げて大学生など知的な庶民の支持を集めている。一部ではトランプ支持層とサンダース支持層が重なっているという新聞記事を読んで、アメリカ社会に鬱積する政治的不満の現状を思い知らされた。
 民主政治においては、庶民感情は否定できない。それが憎悪や差別という破壊的なエネルギーではなく、格差縮小や人間の尊厳を守るための改革という建設的なエネルギーとなるためには、リーダーシップが必要である。共和党の中にそのようなリーダーがいないことが明らかになった今、ヒラリー・クリントンに期待するしかないという現状だろう。医療や教育など、民主党が得意とする政策をさらに強化することで、庶民の不安に答えるしかない。
 日本では、「保育園落ちた、日本死ね」という匿名のブログが権力者を慌てさせている。SNSによって庶民感情が直接政治を揺るがす力を持つようになったことは、極めて新しい現象である。その種の感情の発露が政治家の惰眠を覚まし、深刻な政策課題への取り組みを促すことは、民主政治の健全な機能である。これから選挙に向かって、庶民感情をいかに取り込むか、各党も必死になるだろう。 安倍政権は、政策の巧みさで評価されているわけではない。憲法や原発に関する政策では国民の多数は政権の政策に反対している。アベノミクスの効果が及んでいないことも感じている。理屈で支持されていないところが、安倍首相の強みでもある。隣国への漠然とした恐怖感、経済的閉塞や国力衰退への不安など、否定的な感情を掬い上げ、国民の守護者として自らを演出することに、ある程度成功していると言わざるを得ない。
 野党は、民主党政権の失敗という国民の否定的記憶を払拭することができないまま、安倍政権の政策に反対する理屈をいろいろと並べているという状態である。3月末、民主党と維新の党が合併して、民進党が結成されることとなった。この名前を考えた維新の党の江田憲治議員は、「国民とともに進む党」という意味だと説明している。論理的体系を持つ政策も大事だが、社会の不条理に対する怒りや憤りを国民と共有することも、野党政治家の重要な資質である。「日本死ね」と言わなければならない状態まで追い詰められた人々、特に低賃金で働く若い女性、高い学費を払いながら仕事を探す学生など、今まで自民党政治の顧客ではなかった人々の思いを掬い取ることができるかどうか、民進党の真価がさっそく問われることになる。新党の名前は魅力的ではないが、政治家の行動で人々の感情に訴えることが必要となる。
 繰り返すが、理屈だけでは政治はできない。感情を正義感に引き寄せるのか、差別やいじめなどの劣情の方に引き寄せるのかは、民主政治を持続するか、衆愚政治に堕落させるかという問いに密接にかかわる。安倍政治はナショナリズムを喚起し、庶民感情を利用して統治を続けている。これに対して、アベノミクスがもっぱら大企業の利益だけを増やしている現実、原発事故の真相がいまだに究明されないまま原発再稼働が進んでいる現実など、不条理を追及するうえでも、庶民感情を正義感の方向に動員することが必要となる。 デマゴギーで感情を刺激するのではなく、事実やデータを駆使して、根拠のある怒りを高めることが、野党の取るべき手法である。大学生に給付型の奨学金を与えるための財源はいくら必要か、待機児童をなくすための保育所整備や保育士の待遇改善にどれだけの予算が必要か。これに対してアベノミクスによって大企業にどれだけの内部留保が積みあがっているのか。法人税減税の恩恵はいくらなのか。こうした事実を論じる中で、富をこちらに回せというスローガンが感情的な響きを持つことも当然だと思う。グローバル化の中で他にやりようはない(There is no alternative.)と人々は経済新聞やエコノミストに教え込まれてきた。その呪縛を断つことから、政策論議は広がっていく。
週刊東洋経済4月2日号

Comment:
2016/04/05 1:01 PM, moca wrote:

民進への支持を取り付ける決定打

・もはや自公の政策に対する
 批判に終始するだけでは
 支持は得られない
・野党第一党として責任を持って
 政策を提示する時期にきている。
 岡田氏は、増税について無責任に
 増税しないとは言えない、と発言したが、
 国民にとっては何の説明にもなっていない。
 ただ、増税するかしないかと言えば、
 するんだな、としか受け取られない。
 増税しなくともやっておける政策を
 考えるべきである。
 与党が増税しないと言ったら
 完敗である。
 国家予算をもう一度練り直し、
 財源を探すべきである。
・自公が出す政策に対案を出すのは
 やめるべきだ。対案を出せ、という
 あおりに乗らないことだ。
 廃案は廃案であり、単に反対である
 から、対案などは存在しない。
 それでいい。
 ただ、そういう考えだということを
 国民に分かりやすく説明しておくことが
 必要だ。
・国民の声に敏感な政策を提示する。
 国民が困っていること、野党になんとかしてほしいと思っていることを
 街頭アンケートでも、ネットアンケートでもいい、
 探し当てて、ずばりの政策を出すことだ。
 以前お伝えした野党統一政策、
 キーワードをもう一度見てほしい。
・岡田氏のインタビューの時は、
 最初に、結論を言うべきだ。
 その後、説明はいくら長くやってもいいが、
 最後に結論を言う今の言い方は、
 誤解を招き、マスコミにいいように
 切り取られ報道されてしまうだけだ。
2016/04/07 11:46 PM, 脳内 wrote:
まぁ元気出せ
2016/04/11 1:37 AM, 匿名希望 wrote:
「民主政治は、基本的人権や法の下の平等などの建前(←建前って許される嘘でじゃあ本音はどうなるんだよ?)と、啓蒙された自己利益、つまりある程度長い時間軸で自分の利益を考える計算能力というかなり高度な前提に依拠している。(←つまりオレ達前衛が目の前しか見ない朝三暮四のエテ公を長期的な利益が出るようにしてやってると言いたいんですか?)人間はいつも賢く行動するわけではなく(←お前らもな)、世の中にはそんな建前とは反対の現実の方が多いので、そこから民主主義なんて虚妄だという批判が簡単に(←民主主義は絶対の教義かは政治学の基礎)広がる。したがって、民主政治において庶民感情をどう活用するかは、難問である。」
ちなみに庶民感情を活用するのは「誰」でしょうか?
いかにもあなた達が前衛気取りながら非現実な空想を喚いていてもそう言うんですか?
朝三暮四の猿を操るのは為政者だけではなく啓蒙とか言う野蛮な行為をしでかす連中ではないですか?
2016/05/15 9:50 AM, 小林 昭人 wrote:
この人は防衛族

TBSの顔・杉尾秀哉氏「参院選出馬の理由」
http://president.jp/articles/-/17354

 元防衛相の北澤俊美の後釜という話ですから、選挙自体はそんなに問題ないでしょう。民進党の中でも中心的役割が期待できます。で、今度の選挙の争点の一つが「緊急事態条項」、北澤さんは元々自民の人で(民主党には多い)、国防関係は専門(防衛相、外交防衛委員)と言える方でしたから、定評のあった見識の継承が期待されます。

 日本国憲法には諸外国の戒厳に相当する緊急事態の規定がなく、それが問題だという争点は以前からありましたが、現政権は東日本大震災等災害を理由に、かつての天皇大権に相当するこの規定の創設と改憲をを正当化しようとしています。上のインタビューでも杉尾氏が一言していますが、先の熊本での災害は、むしろこの条項を今の政府に与えることの危険性を示唆したものと言えるでしょう。

 熊本の地震災害については、4年前に県が断層ごとの被災をシミュレーションしており、布田川断層における想定については、最初は想定をかなり下回ると見えましたが、昨今の様子を見れば被害はほぼ想定通り、県はかなり正確な予測をしていたことが分かります。

 しかし、実際に災害対策の中心になったのはこの県や熊本市ではなく、政府と自衛隊で、初から3万人余の部隊が出動し、最も被害の大きかった益城町を中心に被災地域はほぼ封鎖、期せずして憲法が停止される戒厳と同様の状況が現出されました。これに問題がなかったか否か。

 熊本県知事が被災直後に官邸に政府の補助の出る激甚災害指定を求めたことは、震源の断層とシミュレーションを踏まえた上であれば当然であったと言えます。しかし、実際に指定がされたのは10日後で、安倍首相が被災地を視察した後のことでした。自衛隊の派遣については度重なる災害で規定が整備され、スピード感ある出動が可能だったのですが、それに伴う問題についてはあまり考えられていなかった。それは、遠隔地での災害においては、政府の大臣も主要な情報はテレビ頼みという実態です。

 報道は避難所を訪れた記者が「被災者の心情を逆なでする」、被災現場を飛ぶヘリが「救出の邪魔になる」と追い払われたというのも前例のない話で、映る映像は消防団員や警察のそればかり、最大規模で展開していた自衛隊については炊き出しの場面しか映されないという感じで、これはこれまでのどの災害とも異質であり、強い報道管制の存在を伺わせるものでした。

 自衛隊が「おぎぎり」を炊き出す場面が繰り返し映されましたが、この「おぎぎり」というもの、クローズアップされたのはごく最近で、陸上自衛隊では昔の武士道に繋がる崇敬的存在だということです。ですが、米の炊飯はそれ自体燃料と水が必要で、それも塩も付けない握り飯ではおよそ2日で栄養失調になることは栄養学の知識があれば分かることで、また。湿潤な飯は雑菌の好環境で食中毒の危険も高い。旧軍が米飯のこのリスクを懸念し、戦地食料の開発に腐心していたことを考えると、いわゆる軍人信仰の発露のためにこれを被災者に強要するというのも考えもの。

 自衛隊法では被災地で自衛官に警職法の執行を認めていますが、これも地域封鎖の状況では地域から被災者を軒並み追い出すという結果になるしかなく、地域の絆が断ち切られ、避難所は想定外の被災者で溢れ、車中泊でエコノミークラス症候群が多発するという結果に繋がっている。余震の多さもあるが、どこまでが天災でどこまでが人災かは線引きする必要があるもの。食中毒も民間炊き出し所では報告されているものの、実数はもっと多いと思われる。そういったことが報道を通じ報告されないという状況になっている。

 災害というものは予行演習できないものなので後知恵になりますが、これを最初から県にイニシアティブを与え、自衛隊をその指揮下に組み入れる様子ならどうだったか、現状で可能かどうかは置くとして、これは被害の把握もより迅速に、被災者の救済もより的確にできたのではと思える点がある。そして、災害対策の適切性については、やはり報道の自由が顧慮されていないと国民には判断しにくい。テレビを通じた政治家も同じ。この点、今回の熊本地震は政府が主張する緊急事態宣言の予行演習であった、これを奇貨として政府、自衛隊の一部がかねてより考えていた内容を実行に移したようにも見える。
2016/05/15 9:51 AM, 小林 昭人 wrote:
先の続き

 熊本地震において、現地にいる職員や自衛隊員の労苦を当方は否定するものではないが、現在のような状況で内容に憲法秩序の停止も含む緊急事態条項を論ずることは、先行試験と言える熊本地震の様子を見るに、日本国や政府、地方自治体や被災者に対しマイナスの効果しかないと考えられる。自衛隊は文民統制の国家としてその政治的影響力を縮小する方向に議論すべきで、緊急事態を論じるにせよ、それはこの暴力装置に分を弁え襟を正してもらい、ドグマのために国民を犠牲にすることが無いようにしてもらった上での話となるだろう。

 なお、現在の自衛隊では海自は日本海軍の継承者、陸自は陸軍と旧軍を肯定する言説がまことしやかに語られているという、自衛隊は日本国憲法下の実力組織であり、それと相容れない旧軍は現在の自衛隊とは直接的な繋がりはないものである。この無邪気な戦前回帰は今のところこの国に取ってマイナスしかなく、かつての防衛庁への復帰も含め、緊急事態条項の議論は自衛隊の実態とその危険性を十分に勘案すべきとなる。

 というより、今の日本の言論状況と国民の状況を見れば、この条項を憲法に入れるのは「早すぎる」上に、議論も不適切となる。自民党がこれを揮発油税特別措置法と同じノリでやったなら、そのこと自体が非難すべき対象となる。これまでの様子を見るに、防衛省から防衛庁への格下げは、野党の綱領として考えても良いことかもしれない。
2016/05/24 10:29 PM, … wrote:
匿名っちへ

>道徳や人権守れない(としている)お前は野蛮だ、遅れている、人権ないって(これが人権による人権抑圧。ヒューマニズムはカニバリズム「…」さん解った?)

ウン、解ったと思う。前にも書いたけど匿名っちの投稿で唯一興味深かったのがこの「人権による人権抑圧」だったので、ずっと考えてたから。

どう解ったかというと、この「人権守れない奴には人権などない」という考え方は、ドイツにおけるいわゆる「闘う民主制」と同じ考え方だヨネ。すなわち、「自由を否定する者には自由を与えるべきでない」という。

けれども日本国憲法がこのような考え方をとっているのかというと、否定するのが通説なんだよネ。その理由としては、憲法が思想信条の自由を認めてる以上、いかなる思想信条を持とうとも自由であるはずだし、その思想信条に従って例えば政党や結社を組織することも、結社の自由が認められてる以上自由であるから、たとえ反自由主義とか反民主主義を標榜する政党や結社であっても、その主義主張ゆえに法律をもって規制するのは違憲であるということで。

このような通説の考え方からすると、「人権を守れない者には人権はない」という見解は失当ということになるから、しばき隊の野間某という人物が名誉毀損に基づく慰謝料請求訴訟で敗訴したのも、当然の司法判断と言えるヨネ。

そしてこのような司法判断が判例となったことにより、もはやしばき隊に限らず何人も「お前はネトウヨだから、レイシストだから、人権を守らないから、だからお前には人権はない」として恣に誹謗中傷することができなくなったワケで、これは朗報だヨネ。

以上を要するに、「人権による人権抑圧」は誤りであり、不法行為たりうるということで、左右問わず多くの人に問題意識が共有されるといいネ。
2016/05/27 10:22 PM, 小林 昭人 wrote:
ボールは投げども返球なし


>テンテケさん

 あれから3日経ったけど、夜型コウモリ匿名希望からはまだ返事がないようだ。前回のパターンからすると、すでに遁走していて掲示文は読んでいないと思うけどね。


>人権による人権抑圧

 「公共の福祉」という言葉を用いずに、「戦う民主主義」から人権相互の対立調整を説明した文章はさすがに知恵を絞った感じだけども、匿名みたいな人間に13条の話などした所で藪蛇になるのがオチで、少し回り道という感じはするけれども、予備知識の無い人間に説明するとしたらこういう説明の方が説得的かなと思いはした。

 と、なると、この手の話についての知識は私以上と豪語する匿名希望のご卓説をぜひ伺いたいものだが、どうも遁走してしまっているので、返事はまあ、期待しない方が良いように思う。


>座興として

 これは自民党のある県議だが、読むと2ちゃんねらーを笑えないような、議員自身が2ちゃんねらーと言えるようなひどい内容だけども、これが例外なのか、あるいはこれが県議の平均的な知的水準なのかと疑わせるような感じになっている。

小島健一(神奈川)
http://www.kojima-kenichi.com/index.php

 国会議員にも京都府には西田昌司という有名な極右議員がいるけれども、彼らが問題なのは、それが多数の議員のうちの一人にせよ、それぞれ条例や法律の制定に関わるローメーカーという点である。

 この状況は病んでいるのではないだろうか、病んでいないまでも、こういう人々が政治に携わる状況に、「左右双方とも則を弁えて」などと礼儀正しくしていて良いものかどうかという問題は残る。

 匿名希望も私が最初から「本気にしない」と決めていたから、あれだけの悪口雑言も聞き流したのだけどね。人によっては(というより大方は)、匿名のような言動は許されるものではなかっただろう。

2016/05/29 12:33 PM, … wrote:
>既に遁走して

マァ、確かに遁走というか煙のように消え失せたワネ、今ごろ匿名っちどうしてるのカナ?でも神出鬼没の彼のことだから、またそのうち現れると思うケドネ。

>議員自身が2ちゃんねらーと言えるようなひどい内容

小島健一?フーン、この人神奈川県議なの?アタシは神奈川県民じゃないから知らなかった、、、ていうか、自分の住んでる自治体の県議・市議もよく知っているとは言えない(汗)アタシとしては、他県の県議にも目を光らせている(!笑)コバヤシっちに素直に感心したワ。

で、この人物のサイト。マァ全てを読んだワケじゃないから断言はできないケド、「随想」なるものをいくつか読んでみると、確かに2ちゃんねるに書かれているのと同様の内容と言えるのがあるワネ。「報道しない自由」とか「匿名という卑怯」とか「もっと現実に目を向けるべき」とかの記事に。

中でも「脅迫が怖くて政治がやれるか!」の記事には、確かにコバヤシっちが怒り出しそうな記述がある。

>「安倍は死ね!」「切腹しろ!」「叩き斬ってやる!」と国会前やネット上で言いたい放題だがこれは脅迫ではないのか

上記の内、「叩き斬ってやる!」というのは山口センセの発言を指しているんだろうけども、マァ山口センセも災難だヨネェ?だって本当はその後に「民主主義の力で!」と続くのに、全体の文脈を無視し、恣意的に「叩き斬ってやる!」という文言のみを取り出して論難されてるんだからネ。フェアじゃないワ。

もっとも、「叩き斬ってやる!」という表現が好感の持てる表現かというと、お行儀のよい人々にとっては思わず眉を顰める、不穏で物騒な表現に聞こえるでしょうし、そしてそれは容易に予想できるヨネ。だから山口センセに対して、「このようなアンフェアな非難を受ける可能性を予期して、注意深く言葉を選ぶべきだった」という意見があるのも頷ける。

とは言え、山口センセの国会前の演説って、これはアジテーションなんだよネ。そしてアジテーションの目的は、大衆を扇動して政治的エネルギーを高め、それをムーブメントに発展させて多数支持を獲得することにあるわけだから、多少過激な言葉を使うのもやむを得ないと言うか、目的に適っているんだヨネ。実際、山口センセの「叩き斬ってやる!民主主義の力で!」という力強い演説で聴衆は相当興奮して盛り上がったみたいだし。

しかも右派だってアジ演説は行ってるんだから、左派をとやかくはいえないヨネ。ただし、恣意的に相手の片言隻句を抜き取って非難するのは左派もよくやってることだから、右派だけを非難することもまたできないと思うワ。つまりどっちもどっちであって、政治闘争である限り左右問わずアンフェアな言説が出てくるのは避けられない。

そうすると、結局はどっちも自分たちの発言が他方に都合よく利用されるリスクと、その発言によって得られるリターンを考量してどこまでリスクを取るか決めるしかなく、ひとたびリスクテイクしたならそのリスクが実現化しても、それは想定内のこととして耐える他ないと思う。

アタシの考えはこんなところカナ








2016/05/29 2:25 PM, … wrote:
(小島健一なる人物について補足)
この人の「随想」は、2ちゃんねらーや他の自民党員、保守派言論人が論じている内容の域を出ず、特段の新規性は見られないのは確かだと思うケド、しかしその内容が全部誤りであるとは思えない。

例えば、マスコミが常に必ず「過不足なく」正確な報道をしているわけではないということは、これを「報道しない自由」と呼ぶかどうかは別として、左右問わず異論のないところだと思う。山口センセだってNHKについて「政府に都合のよい偏向報道」と非難することがあるくらいだからネ。

そうすると、この小島健一なる人物はマァ凡庸と言えば凡庸な、ごく普通の自民党員かなと。

2016/05/31 11:21 PM, 小林 昭人 wrote:
現代に生きる八紘一宇


>凡庸と言えば凡庸な、ごく普通の自民党員

 その通りだと思うけれども、実は彼のような議員は他にもおり、話してみると、どうもこの国では権力者になるには何かある種の変な考えに帰依しなければいけないのかなと思うことがある。

 以下はどこか別の場所で書いた文章だが、匿名希望並みに段落が長く読みにくいとはいえ、たぶん小島議員は以下みたいな考えを持っているのかなと。多少書き換えているが、該当の部分は以下の通り。読みにくいのはご容赦を。


「天皇機関説が排撃された理由は様々だが、帝国憲法では天皇は統治権の総覧者で、これを掣肘する他の機関の存在がなかったため、この説によっても天皇の最高機関性は法制上否定されないことがある。が、軍国主義者は天皇制の根拠を天皇の機関性や個人の人格ではなく、人類全てを抱擁する八紘というものに求めた。この考えは誰の中にも天皇はいるというものであり、付き合っている彼女の天皇、テンテケの天皇、オバマの天皇、まだ見ぬ子の天皇、死んだ婆さんの天皇、私の天皇などがおり、それらは全て宇宙と繋がり一つである(一宇)というものである。これを「八紘一宇」といい、これこそが崇敬の対象であったので(天皇個人ではない、だから録音盤事件が起きた)、天皇の宇宙性を一機関に封じ込めて矮小化したように見える機関説は優れた学説ではあったが、皇道を解さない西洋かぶれの異質なものとして軍部に攻撃されることになった。八紘一宇ほど壮大ではないが、戦後に見られた会社家族論や社命絶対の論理なども、復員した兵隊が戦地から持ち帰った八紘一宇のタチの悪い模倣と言えよう。が、そこに隠された無法性や恣意性、エゴの存在を見逃すわけにはいかない。戦争中の日本兵が死を恐れず戦い、天皇陛下万歳と叫んで玉砕したことについては、現在では忘れ去られたように見える、この思想を無視しては語れないものがある。八紘一宇の思想によれば、死は日本兵の天皇が根本である宇宙の天皇に回帰することであり、彼には永遠の転生が約束されていたことから、日本ソルジャーにとって、死は終わりではなかったのである。なお、八紘一宇の思想は、戦後ではこれを読み替えて日本型民主主義と呼ぶことがある。根本的な思想は大きく異なるが、その民衆性から、事情を知らぬ者にはいわゆるアメリカ渡来の戦後民主主義と区別が付け難いことがあり、これをして、日本にも古来から優れた民主主義の思想があったと錯覚し、日本型ナショナリズムの泉源となっている場合もある。」


 現代においては連中はこの思想を「民主主義」と説明しているのがミソで、元は旧軍派閥の皇道派あたりの理論的イデオローグが考えたものだけれども、皇道派というのは旧軍幹部の統制派に排除されたいわゆる民衆派で、2・26事件を起こした連中であり、事件以降は凋落したのだけど、イデオロギー自体はむしろ戦後に生き続けたのかなと。

 こういう考えが背後にあると仮定すると、小島程度の権力欲の強い凡庸な人間が上長のご機嫌伺いに変に右っぽい思想に染まるのも分かるし、近代の人権概念なぞ理解も無さそうな連中が自分らを「民主主義者」と規定する理由も分かる。思うに小島なぞは自分が悪人とすら思っていないのではないか。むしろ善意であればあるほど、彼らの行いは現代の主流である考えからかけ離れるという感じになるのは、こういう考えを奉ずる以上、やむを得ない所があるだろう。

 残念なことに、私の大学時代の政治思想史の教官はこの辺ちゃんと説明しなかった。そういうわけで、私の考えも単なる推論にとどまる。が、事象をより良く説明するのが正しい考えとするのが、私のイデオロギーなので、上の仮の説明は当たらずといえども遠からずと思っている。

2016/06/01 12:07 AM, 小林 昭人 wrote:
(補足として)

 江田島の第一術科学校(旧海軍兵学校)など見学してみると分かるが、終戦直前の1〜2年の卒業生の数は多く、この学校はエリート主義的であったそれ以前の数倍の学生数を入校させている。学生数が余りに多いため広島の本校では収まり切れず、各地に分校を設けて教育していたが、卒業した時には戦争が終わっていたため、ほとんどが戦争を生き延びて戦後は政財界含む各分野で活躍している者がかなりいる。もちろん陸軍もある。山口氏が以前のエッセイで挙げた「実戦の経験がないことに劣等感を持つ少年兵(大岡昇平)」の数は、実は先生が思っているよりかなり多いみたいなのである。

 彼らに皇道化教育を施した中心は東大の平泉澄(東条英機のブレーン)で、上の引用もおおよそその考えに準じる。東京裁判の弁護人も見ると国学や法制史の研究家が多く、A級戦犯の処刑後に骨灰を集めて殉国七士廟(愛知県)なぞを立てたのもこの系譜の連中といえる。国会議員を務めた者も少なくなく、これらの事情も上のような考えが戦後も隠然と信奉され、日本会議などはその一角と言えるのかもしれない。いや、日本会議というのは70年を経て現れた皇道派のおそらくは亡霊なのだ。

 良きにつけ悪しきにつけ、体系的な知識というものは警戒すべきものになる。たとえ誤った知識でも、体系的に整序された知識は強力だ。なぜならば、それは人にとって正義と悪とを峻別できるものなのだから。ネットを騒がせるネトウヨなども彼らには彼らなりの正義があると思うが、その背後に隠然と蠢くものについては、もう少し違う視角を持って見るべきかもしれない。我々の知る戦後史の裏側にある、もう一つの戦後史と言えるものがある。

 そういう点、学生時代に私にきちんと事情を説明しなかったぬらりぴょん顔の日本法制史の教官はあまり良い仕事をしておらなんだなと苦笑しつつ思うこととしたい。もっとも、当時はあまり興味のなかった私の授業態度もお世辞にも褒められたものではなかったが。

 山口氏が安倍晋三を評して「実戦の経験がないことに劣等感を持つ少年兵」と喝破したことは驚くに当たらない。なぜならば、彼を教育した人物たちが軍事教育を受けつつも戦場に出ることは叶わなかった、まさにそういう傾向の者たちだったからである。

 私は山口氏の評価と異なり、安倍晋三という人物は知力も胆力もせいぜいがどこにでもいる凡人というもので、小心な善人というものであるが、山口氏の言うリヴァイアサンには程遠いと見ているが、そうであればあるほど、きっと、彼は悪気なしにこの国をおかしなものにしてしまうのだろう。
2016/06/03 9:39 PM, … wrote:
>小島健一

このヒトって、「基地外の方」発言のヒトだったのネ?昨日まで知らなかったワ、、、(汗)近頃忙しくてニュースを見る時間も十分なくて。なんでコバヤシっちは自分が住んでるわけでもない他県の県議に関心を寄せるんだろう??って不思議だったんだけど、謎が解けたワ。それで、

>実は彼のような議員は他にもおり、話してみると
>何かある種の変な考えに帰依しなければならないのかな
>小島議員は以下みたいな考えを持っているのかな

という問題ダケド、アタシ考えたコトなかったワ。ていうか、先述したようにアタシ小島議員が例の「基地外の方」発言のヒトとは知らなかったから、そのような発言をする議員やそれに同調する議員のヒトたちに、何か共通する思想的基盤なり背景なりがあるのかどうかの問題に思い至らなかった。無知って怖いネ(汗)

でも遅ればせながら考えてみると、「八紘一宇」いう語についてはウィキに書かれている内容以上のコトはアタシも知らないから、迂闊に何かを断定したりはできないけども、少なくとも本来の意味(making the world to one)の「八紘一宇」の思想を信奉する議員はいると思われるし、小島議員がそうであるという可能性を否定する根拠も確かにないとは思う。

というのは、いささか旧聞に属するけれど、以前三原じゅん子チャンが国会質問で「八紘一宇」に肯定的に言及したことがあったヨネ?それで答弁に立った麻生大臣が、やはり肯定的な口吻で「八紘一宇という言葉を知っている人手を上げて」と言ったら、ふたりくらい手を上げたらしいんだよネ。そうすると、三島じゅん子チャンと麻生大臣はもちろん、このふたりにも「八紘一宇」思想に肯定的である可能性があることになるし、国会議員にそういう人がいるなら、県議や市議にいてもおかしくはないからネ。

実際、三原じゅん子チャンのサイトで本人の言い分を読んでみると、確かに「八紘一宇」思想を「本来は神武天皇から伝わる日本独自の素晴らしい平和思想」と位置づけて賞賛しているワケ。ということは、戦中に大東亜共栄圏の理論的支柱または226事件の口実として利用され、変容した「八紘一宇」思想を賞賛しているわけではないとしても、本来の意味の「八紘一宇」という思想は、何かとてもありがたい、それに基づいて国際外交を行うべき素晴らしい思想であるのだと極めて善意に解しているのは確かなんだよネ。

実際に彼女は、八紘一宇の思想に照らして、全世界に(租税回避防止の仕組み作りをまとめるための)国際協力を呼びかける発信を日本が率先して積極的に行うべき、と言っており、そして八紘一宇を知っていると手を上げたふたりの議員も、それを批判したりはしなかったみたいなんだよネ。

だから、小島議員やそれ以外の議員も「八紘一宇」思想を信奉している可能性はある。そこで仮にそうだと仮定してみると、彼(女)らが「“一宇”にはなりたくない他国や他人だっているのだ」ということに思いを致すことができないのを確かによく説明できるネ。

もっとも、自分とは異なる他者が異なるままでいる自由を認められないという狭量さは、それだけで説明するよりも、彼らが憲法学を十分に学習していないという仮定をも加えるともっとよく説明できるんじゃないかな?

ところで三原じゅん子チャン、美人mだヨネェ?











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