2016.02.27 Saturday 23:49

野党は決断を

 政治学者、京極純一先生の訃報に接し、私が講義を聞いた頃の先生の年を追い越していることに愕然とする。学者も小粒になっているので政治家の劣化などと気安く批判はできないと分かっているつもりである。それにしても、最近の政府与党の政治家の退廃は目に余る。そして、戦後の日本にこんないやな時代はなかったのではないかと思う。
 いやだと感じる理由は、権力者が世の中を自分の気に入るように塗りたくろうとしている点にある。放送業界を監督する任にある高市早苗総務大臣は、テレビ番組が不公平な報道をしたら電波の停止を命じることもあると発言し、安倍晋三首相もそれを追認した。安倍首相はテレビニュースの街頭インタビューでも政権批判の声が多いと文句をつけたくらい自分に対する批判を忌避している。それにしても監督権限を持つ大臣が法律に基づいて電波停止の可能性に言及することはかつてない威嚇である。
 そもそも不公平とは何かを誰がいかにして判定するのか。与党の議員である総務大臣が判定するなら、自党を批判する報道を不公平と断定することもありうる。悪政によって苦しむ人が存在すれば、それを紹介することこそ公平な報道である。権力者が百点満点の政治をしていない限り、公平は無色透明ではなく為政者に対する攻撃を含むのが宿命である。高市氏は報道の自由を無視しているというしかない。
 人間だれしも批判されるとうれしくはない。しかし、こと権力者の場合、そうした自己愛は捨ててもらわなければならない。権力はしばしば腐敗、暴走するものであり、国民の生命や自由を脅かす。だから批判を受けることは権力者の宿命である。京極先生は自民党政権のご意見番の役割を演じたこともあったが、もちろん知識人として権力者と付き合った。昔の権力者は京極先生の寸鉄人を刺す辛辣な批評を喜んで聞いていた。新聞テレビのトップを食事に呼び集めて報道現場を委縮させる今の権力者とは正反対であった。批判、諫言を一切聞こうとしないばかりか、諫言を抑圧する今の政治家を見ると、京極政治学で描かれた大人の世界は消え去ったと嘆くばかりである。
 とはいえ、権力によるメディアの統制には限界がある。環境大臣が放射線被ばくの規制の根拠を理解せず、北方領土担当大臣が歯舞諸島を読めないというのは、国民を愚弄した話である。閣僚、議員の相次ぐ失言や非行に加え、株価の急落や景気減速で、安倍政権の行く手にはにわかに暗雲が垂れ込めてきた。
 問題は、野党が安倍政権に対抗する存在感のある選択肢を提示できていない点である。半年足らず先の参院選において32の1人区で野党が協力しなければ自民党の大勝を許すということは、安保法制が成立した直後から多くの市民が訴えてきた。加えて、年初から安倍首相が憲法改正の意欲を明確にし、自民党による3分の2の獲得を防ぐための具体的な戦略は焦眉の急となっている。1月中旬の朝日新聞の世論調査では、改憲を目指す勢力が参院で3分の2以上を占めた方がよいかどうかという質問に対して、占めたほうがよい33%、占めないほうがよい46%と、安倍流改憲の反対する声が多数派である。
 民主党の岡田克也代表も改憲阻止の姿勢を示すところまではよいが、具体的にそれを実現するための戦術は全く持っていないかのようである。多くの1人区では野党結集を求める市民運動が様々な努力を重ねている。しかし、民主党が他の野党との協力を公式に表明していないことから、共産党も候補者の取り下げに応じていないという手詰まり状態が続いている。このような無策のままで選挙に突入すれば、民主党は2013年参院選と同様、せいぜい十数議席しか取れないだろう。そうなると、二大政党の幻想も吹き飛び、一党支配が復活する。連合は12産別の候補を比例に立てるが、5,6の議席をめぐる悲惨な椅子取りゲームになることは必至である。民主党、連合の危機感のなさはなぜなのか。連合の主力の民間大労組はアベノミクスによるトリクルダウンの恩恵に浴して、政権交代の野望を失っているのか。
 希望はある。熊本ではすべての野党と連合、全労連が協力し、野党統一候補の擁立にこぎつけた。衆議院北海道5区の補欠選挙でも、地元の市民グループの仲介によって、民主党と共産党の候補者一本化が実現しようとしている。衆院補選は、宮崎謙介衆院議員の辞職による京都3区でも行われることとなった。自民党への逆風は必至であり、補選で野党が勝てば、参院選の雰囲気も一変するだろう。仮に衆議院の早期解散があっても、1人区での協力の経験は生きてくるに違いない。
 アメリカ大統領選挙の候補者を選ぶ予備選挙を見ていると、候補者選定の段階での市民参加が、政治の流れを大きく左右することがよく分かる。日本の民主党の場合、「市民が主役」という結党時のスローガンとは正反対に、選挙は徹底して政治家が取り仕切った。政権交代も政治家の世界でのメンバーチェンジでしかなかった。日本の政治には、市民によるコミットメント(強い関与)という契機が不在であった。だからこそ、政党が落ち目になった時に、逆境を支えようという本当の支持者がいないのである。(その点、自民党の方が日本会議など、熱心な支持基盤を持っている。) 民主党と維新の党の合体など、所詮政治業界内での駆け引きで、政治全体には何のインパクトももたらさない。民主党にとっての起死回生の策は、候補者の擁立と政策基軸の樹立に向けて、広範な市民の参加を誘い入れることで、エネルギーを受け入れることである。憲法問題だけではない。格差貧困問題、年金基金による株価下支えの失敗など、安倍政権の失策を正面から批判し、論戦の構図を作れば、参院選は日本国民にとって久々の意思表示の機会となる。民主党指導部の決断が求められる。
週刊東洋経済2月20日号

Comment:
Add a comment:









 
RECOMMEND
CALENDAR
NEW ENTRY
ARCHIVES
CATEGORY
COMMENT
PROFILE
MOBILE
LINK
SEARCH
OTHER

(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.