2015.10.29 Thursday 16:44

自由への闘争

 今の時代、安倍晋三首相自ら日本は自由と民主主義と法の支配という価値を欧米と共有すると叫ぶから、昔の特高や憲兵のような権力が市民の自由を直接弾圧するという事態は考えにくい。しかし、最近のニュースを見ると、自由にものが言えない息苦しい時代が徐々に近づいていることを感じさせられる。

 放送大学の試験問題で現政権を批判する文章があったことに学生から抗議が来て、大学は政治的中立を理由に当該問題文を大学のホームページから削除した。私も15年ほど前に放送大学で現代日本の政治に関する何種類かの講義を持ち、自民党政治の問題点を丁寧に指摘した。これは学問の自由の範囲内で、全く問題にされなかった。

 立教大学で開催予定だった安保法制に反対する学者の会のシンポジウムが、突然の会場使用不許可であちこち場所を探し回った挙句、法政大学で開催された。東京の書店での民主主義をテーマにしたキャンペーンに対してネット右翼が抗議し、民主主義を理解するための本が撤去された。そして、北星学園大学では、慰安婦問題に関する記事を書いて右翼から攻撃を受けてきた植村隆氏について、来年度の非常勤講師の継続が危ぶまれている。

 もちろん、権力が自由への脅威である場合もある。「アベ政治を許さない」というロゴの入った文具が学校にあったといって教育委員会が調査に入るという北海道の騒ぎなど、憲兵的発想が学校に侵入していることを物語る。ただし、自由への脅威は権力であるとは限らない。むしろ、社会の次元で、私人による自由破壊の行動が不当に大きな影響力を持つことが最近の嫌な感じの原因である。

 戦前の日本では、在郷軍人会や院外団が騒ぎを起こして自由主義の知識人を攻撃し、権力がその後を追ったという事例がある。天皇機関説事件から国体明徴に至る動きがそうであった。現代日本では、匿名のネット右翼が在郷軍人会の代わりに、自由な空間を破壊すべく跳梁跋扈している。

 今や、私たちが体を張ってでも、多少面倒なことに巻き込まれて消耗しても、自由を守る決意があるかどうかが問われている。今や、自由の敵は面倒を恐れ、事なかれ主義を決め込んで、自由を貫こうとする人間への支援をやめ、自由を自ら放棄する管理的立場の人々である。

 私のように鈍感な人間は、政治的発言に対してネット上で誹謗中傷の嵐が吹いても、何を言ってもいちゃもんをつけるやつはいるだろうと腹をくくって無視している。今の日本では、自国をすべて正当化し、価値観の多様性を否定しようとする勢力と、憲法に謳われている自由と民主主義を守ろうとする人々に引き裂かれつつある。本当に自由を守るためには、あえて空気を無視することも必要となるのだ。自由を引き継ぐことができなかったら、私たちは後世の日本人に顔向けできない。


朝日新聞北海道版10月29日


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