2015.07.20 Monday 22:24

政治家の劣化と政治権力の空洞化

 自民党の文化芸術懇話会という会合で、議員たちが批判的なテレビを懲らしめるために広告主である大企業に働きかけようとか、沖縄の県民世論が左傾化しているのを何とかしたいとか、埒もない与太話で気勢を上げていたことは、政治家の劣化を印象付けた。政治家の一部が知性と品性を欠いていることは確かだが、そのことに目を奪われて、日本の政治権力におけるもっと重大な欠陥を見過ごすことがあってはならない。


 今、安保法制と並んでいくつかの重要な政策決定が行われようとしている。それらに共通しているのは、かつて丸山真男が日本の戦争に至る政策決定を分析する中で析出した「無責任の体系」である。丸山によれば、日本における無責任な政策決定には次のような特徴がある。第一に、現実を直視せず、希望的観測で現実を認識したような自己欺瞞に陥る。第二に、既成事実への屈服。事ここに至っては後戻りできないと諦め、誤った政策をずるずると続ける。第三に、権限への逃避。誤った政策が事態を悪化させることを認識しても、自分にはそれを是正する力はないと、自分の立場、役割を限定したうえでそこに閉じこもり、政策決定の議論から逃避する。こうした特徴を持つ無責任な政策決定によって、日本は七〇年前、敗戦という破局にいたった。


 それから七〇年、最近の重要な政策決定を見るにつけ、政治家、官僚というエリートの無責任体質は変わっていないと痛感する。その悪しき意味での持続性には、驚嘆、嘆息するしかない。第一の例は、新国立競技場の建設である。これについては本誌の先週号に玉木正之氏による詳しい分析が載っていた。経費は桁違いに大きく、財源調達のめども立っていない。技術的な難題もクリアされていない。それにもかかわらず、文部科学省の官僚は二〇一九年のラグビー、ワールドカップに間に合わせなければならないとか、ここまで来たらキャンセルできないという理屈で、工事の契約をしようとしている。財務省は、財源調達は文科省の仕事と突き放していると報じられている。そうなると国立競技場のために本来の教育予算が削減されることもありうる。ついでながら、こんな無能な官庁の役人に大学や学問について口出しをされることへの大学人の憤懣を、読者にはご理解いただきたい。


 第二は、六月三〇日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)」である。そこでは、二〇二〇年にプライマリーバランスの黒字化を実現するという目標が設定された。しかし、そこでは社会保障費の伸びを今後三年間で一・五兆円に抑えることや、実質二%、名目三%超の高い経済成長率が続くことが前提とされている。まさに希望的観測に基づく皮算用である。


 第三は、安保法制である。これについて言うべきことは多いが、ここでは一点だけ批判しておく。自衛隊の海外における他国軍への後方支援活動は安全だと政府は言い張る。しかし、野党や多くの識者が指摘しているように、後方支援は武器、弾薬、燃料等の補給活動、すなわち兵站である。兵站は戦闘そのものである。これを安全な後方支援と名付けるのは日本政府の勝手ではあるが、国際的に通用する論理ではない。日本の同盟国と戦っている敵国は遠慮なしに自衛隊を攻撃するに違いない。集団的自衛権を行使して戦闘に参加するならば、最初からその本質を自衛隊員と国民に説明し、覚悟を求めるのが指導者の責務である。自衛隊は武力行使をしているわけではないのだから、敵国やテロリストはこれを攻撃しないというのは、犯罪的な欺瞞である。


皮肉なことに安倍晋三首相は指導者として決断を下すことが大好きである。憲法解釈については私が最終的責任者だと主張し、安保法制については時期が来れば採決しなければならないと言う。決定への意欲が無責任な政策の選択をもたらすのはなぜか。それは政治家や官僚が問題の本質を理解する知力を持っていないからである。日本政治を毒している反知性主義の弊害といってもよい。反知性主義について、佐藤優氏は「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」と定義している。件の自民党の懇話会で百田尚樹という作家が行った講演は、自分が欲するように世界を理解することの典型例である。それをありがたがる議員が安倍首相の親衛隊だというのだから、病は深刻である。


安倍首相は、選挙で勝利し、国会で多数を握っていることで、自分の行為をすべて正当化している。いまや、首相と自民党は多数派であることによって、自分たちの持つ偏見や先入観をも正当化しようとしている。安保法制に関して国会で野党の追及を受けても、最後は、安保法制は合憲で、自衛隊の活動は安全だと「確信している」と言って議論を打ち切る。中世の欧州人は太陽が地球の周りを回っていると信じていた。確信の強さは信条の中身の正しさとは無関係である。確信の根拠と論理を説明するのがまっとうな議論である。


希望的観測や先入観をもとに政策を考えれば、失敗するに決まっている。戦後七〇年の今、国を滅ぼした無責任の体系を反省するのではなく、反知性主義に染まった政治家と官僚がそれを繰り返し、一層無責任な政策決定を進めようとしている。この風潮をいかに止めるか。反知性主義者に知的になれと説教をすることには意味がない。しかし、偏見をむき出しにして権力を使う政治家を次の選挙で落選させることはできる。また、反知性主義の蔓延をこれ以上広げないために、野党やメディアがなすべきことは多い。沖縄の二つの地方紙がそうしたように、無知や偏見に対してメディアと言論人は徹底的に戦わなければならない。また、野党が今なすべきことは、中途半端な対案を出すのではなく、政府の欺瞞をあくまで追求し続けることである。

 

週刊東洋経済7月11日号


Comment:
2015/07/21 5:01 AM, はじめまして wrote:
あまりに政権寄りで、日本を自画自賛し、中国や韓国のことを悪く書くニュースの記事の多さに飽き飽きして、ネットサーフィンしていたら、山口先生のサイトに辿り着きました。一言一言に論拠があり、痛快ですね。



>決定への意欲が無責任な政策の選択をもたらすのはなぜか。


私は「え〜?頭悪いし、憲法や歴史のお勉強も嫌いそうだし、何も考えてないからじゃない?」と思いましたけれど、先生は、見事に言葉を選ばれていますね。「知力を持っていないから」ですか!


メディアも自分たちの首がジリジリと締め付けられているのですから、そのことを自覚しつつ、もっとがんばってほしいですよね。

山口先生もこのところお忙しそうですが、くれぐれもお身体お大事に、がんばってください。
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