2012.09.03 Monday 14:09

民主党という実験の終わりと瀬戸際の政党政治

 

1 政治の現状

 政権交代から丸3年たち、政局は選挙準備の状態に入っている。政権交代の高揚は遥かかなたに消え去り、政党政治に対する幻滅感だけが広がっている。お先真っ暗の民主党からは、生き残りを図る政治家が次々と逃げ出し、新党への合流を画策している。自民党政権を倒したはずの民主党はもはや政党の体をなしていない。今更これを非難しても詮無いことである。ここでは、まず政権交代がもたらした成果や変化を確認しておきたい。

 今から振り返って気づくのは、現代日本においては、民主主義によって選ばれた内閣が統治の主体ではなく、民主党が政権を取ったことによって本来の統治者が結構あわてたということである。私は、陰謀論は好まないし、全体を見渡して支配している単一の権力者が実在しているわけではないと思う。かつて丸山真男が満州事変以後の日本の戦争政策の決定過程について指摘したように、首謀者が壮大な構想を持って戦争を進めたのではなく、権限を持った組織がその時々の空気を読みながら具体的な意思決定を積み上げ、政府や軍の指導者も流れに逆らうことができなくなった。場の空気を規定するのが「国益」であり、様々な登場人物の国益の中身に関する解釈を正当化するのが国体であった。

 70年以上前の全体主義国家の仕組みを現代の民主主義体制に当てはめることは、荒唐無稽なほら話ではない。民主的に選ばれた政権が、民意を背景に新機軸を打ち出そうとしたとき、検察を含む官僚組織、経済界、メディアなど、旧体制を支えた人々はこれを押さえ込もうと必死の反撃をした。

鳩山由紀夫は、日米安保の今後について控えめな問題提起をしたに過ぎない。しかし、彼が首相に就任する直前に日本の雑誌に書いた普通の論文が英語に翻訳されて米紙に掲載され、反米のレッテルを貼られた。ウィキリークスは、日本の外務官僚が日本政府よりも米国に忠誠心を持って、民主党政権を批判していたことを暴露した。

検察は予断を持って小沢一郎の資金疑惑を立件し、民主党内における小沢をめぐる亀裂を深めた。小沢の金権体質に対する批判は、彼が打ち出した生活支援政策や中国との協調関係の強化といった政策に対する支持をしぼませる効果を持った

鳩山の失敗から学習した菅直人だったが、福島第一原発の大事故に直面して、脱原発という大使命に目覚めた。すると、規制のメディアはあらゆる攻撃を仕掛け、彼を退陣に追い込んだ。情報を隠蔽して責任を逃れようとする東京電力と、未曾有の事故に不十分ながら必死に対応した菅と、どちらの罪が大きいかは明らかであるが、メディアの扱いはあまりにも不公平である。

メディアや官僚組織が気脈を通じて、大きな陰謀のもとに民主党政権を追い込んだというのは、妄想であろう。しかし、様々な組織が自分たちの聖域を脅かされるという危険を感じたときに、未熟な政権の足を引っ張ったという結果は明らかである。一連の事態からは、日米関係と産業発展という戦後日本の国体が浮かび上がってくる。

そして、二つの政権の失敗から学習した野田佳彦首相は、政権交代によって政策を変えるという本来の意義を完全に捨て去った。そして、決める政治というスローガンの下で、内外の懸案に決着をつけることを目指した。新機軸を放棄して、決めること自体を目的とすれば、その中身は自民党がしたくてもできなかったことに落ち着くのは必然である。ねじれ国会というやむをえない現実もあるが、政権交代を起こした挙句に、自民党と同工異曲の政策が決まるのを見させられれば、日本人が政治に幻滅するのも当然である。この国を支配しているのは、国民が選んだ代表者ではなく、米国や経済界などの強者の意を汲む集団であることを思い知らされたのが、政権交代の帰結である。

本当の政権交代を成し遂げたいならば、国体の変革を実現するだけの構想と周到な戦略が必要だということこそ、民主党政権が残す最大の教訓である。

2 流動化した民意

 近いうちに総選挙があれば、自民党が第一党となり、政権の座に戻るであろう。しかし、それは民主党自滅の反射的効果であり、国民も自民党に何か期待しているわけではない。また、大阪維新の会など、地域政党から出発した新党も台頭することは確かであろうが、それらの主張はあいまいであり、国会に進出して既成政党となってしまえば、それ以上既成政党批判の論理を使うことはできなくなる。新党はたちまち批判の対象となる旧党になる運命である。今のところ新党を支持している民意にも、そうした虚無的なものを感じる。

 政権交代は民意を不可逆的に変化させた。もはや、政党、政治家は地盤というものを失っている。職場や地域などのネットワークに縛られて投票先を固定化させている有権者など、いまや例外的であろう。よしあしは別にして、人々はその時々の風向きを見ながら投票先をそのつど決めるようになった。また、為政者が自分たちの意思を無視した行動を取るならば、抗議の動きを起こす能動性も持っている。

 政治文化を議論すると大雑把な印象論になりがちだが、首相官邸や国会を取り巻く市民の動きを見れば、日本の政治文化は変わっていると感じる。六〇年安保のときとの大きな違いは、政党や団体の動員の有無である。六〇年安保の時には、岸首相が退陣して騒ぎが収まった後、池田政権の経済成長路線が人々の関心を吸収した。しかし、今は原発という長期的な課題をめぐって市民が動きを起こしている。また、再び経済的豊かさで民意を糾合することなど不可能であろう。

 デモに参加する市民も、流動的な存在であり、どこかの政党が支持層に取り込むことはないであろう。そして、民意は多様である。名古屋では市民税減税という目先の利益に反応して、河村たかし市長を押し上げた。しかし、原発問題では、目先の利益よりも、数世代先の子孫を視野に入れ、損得勘定ではなく市民の責務として行動している。こうした公共心の発露としての市民の圧力は、政党、政治家の感性を鋭くさせ、政策を練磨するよう促すという点に意義がある。原発再稼動反対デモは、一旦収束を迎えるであろう。しかし、ソーシャルメディアを通して政治的な討論は続くのであり、市民の政治的潜在力は持続するのである。これにどう応答するかに、政党の今後がかかっている。

 1つはっきりしているのは、こうした民意の前に民主党や自民党という既成の政党の未来を論じても意味はないという点である。自民党は権力党の遺制であり、民主党は小選挙区制度が作ったできの悪い建造物である。前者の命脈は尽きているし、後者の破綻も明らかである。90年代前半から始まった政党再編の試みは、最終段階を迎えようとしている。

3 政党政治の展望

 私自身が今関心を持っているのは、負けた後の民主党の再建の仕方である。野田首相やその周辺からは、選挙後にも民主、自民の大連立によって政権を運営すればよいという声も聞こえてくる。しかし、次の総選挙で民主党が大敗すれば、政権を担う資格はないと自ら宣言し、野党として出直しを図るというのが憲政の常識である。野田首相をはじめとして自民党の路線に共鳴するものが出て行くというなら、それもよい。

 冒頭に書いた国体を変革する主体を立ち上げるためには、鳩山政権の路線を追求した政治家が残って、民主党を再建し、そこに同じような思想を持つ政治家を集めなければならない。もちろん、民主党という器や名前にこだわるべきではないが、鳩山政権での日米安保の変革と社会保障の強化、菅政権での脱原発という大きな企図に取り組んだ政治家が引き続き日本政治における進歩的なアジェンダに取り組むことは必要である。脱原発を求めてデモに参加する市民の要求に真っ先に応えようとしているのも、これらの政治家である。

 政党が掲げた政権政策なるものがかくも無意味になった以上、次の選挙に当たって、政党で政治家を色分けすることには意味がない。今後の原発をなくす方向に行くのかどうか、将来の社会保障で人間の尊厳と平等を尊重するのかどうか、税制において、負担増はやむをえないとしても、垂直的公平を重視するのかどうか、などのテーマで、個々の政治家の色分けをする必要がある。この間のデモを企画したような市民運動で、そうした政治家の格付けの運動を広げていけばよい。

 自民党が、復古調のマニフェストを掲げて政権に戻ることは、日本の政治を退歩させることであろう。あるいは、大阪維新の会が安倍晋三元首相と連携して政権の一角を占めるという展開になれば、国政レベルで反動の嵐が吹き荒れることになるのかもしれない。しかし、今の自民党の政治家の顔ぶれや大阪維新の地方議員の言動、行状を見るにつけ、彼らには国家権力を担うだけの力量はないと私は確信している。右派、保守派の政治家ならば、力量がなくても国体護持はできるから、民主党のような破綻には至らないのかもしれない。それにしても、安倍晋三政権以後3年間の自民党の混乱が繰り返されるのが関の山である。

 問題は、大敗後の民主党の再建過程である。3年間の政権経験を総括し、明確な理念に基づいた次の政権構想を立てることが必要である。そして、脱原発、雇用、社会保障などのテーマで方向性を共有する勢力が、大結集することが必要となる。

 定数是正を契機に、衆参の選挙制度について、これから改めて抜本的な再改革が加えるべきという議論が高まることも予想される。現状を変えるとなれば、小選挙区による寡占の強化よりは、比例代表による多様な民意の反映を拡大する方向に議論は進むであろう。民主党の保守化によって代表者を失った中間から左側の市民の声を受け止める政治勢力を立ち上げることこそ、中期的な重要課題となる。

週刊金曜日8月24日号

                                                                                                                                                                                                                                                                                  


Comment:
2012/09/05 5:42 AM, manifold wrote:
 「主権者」は誰か(日隅一雄著 岩波ブックレット)を読みました。
 今まで、学んできたこと、調べてきたこと、考えてきたことととがほとんど違わなかったので、安心(この情報化時代に、何が真実かを知ることはなかなか大変です。)しましたが、「3 司法の限界p28〜p37」に述べてあることは、よく知らなかったので、(新藤宗幸『司法官僚』岩波新書)を読みました。これが実態なのか。
 そして、憲法第12条、および、第六章 司法 を読み直しました。
 この国の平和憲法は、この国の最高法規です。国の座標系の原点です。
2012/09/08 9:36 AM, 一言 wrote:
”政権交代とは何だったのか”を読み続けています。
勉強になります。
シニシズム…おっしゃるとおりでしょう。

戦中から戦後、特に戦後の歴史を相当勉強しないと、解らないでしょう。

もし、お時間があれば、
必読文献をリストしてみてください。
お願い致します。
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