2012.07.23 Monday 14:01

思想のない政治という実験

  人がいつもは当たり前と思っている秩序が、どれほどゆがみ、虚偽や不公正に満ちたものであるかを知ることは難しい。そのゆがみを最初に暴き、目の前に突き付けた者は、感謝されるよりも、迫害されるものである。現代日本において自民党以外の勢力が権力を担うことはコペルニクス的転換であった以上、天動説に固執する人々から感情的反発を受けることは必然であった。もちろん、民主党の政治家自身が新しいパラダイムにもっと強い確信を持ち、もっと巧みに人々を説得していればという悔いは大きい。それは後で検討するとして、日常秩序のゆがみと、政財界やメディアに蟠踞する天動説信者の実態を明らかにしたことこそ、民主党政権の功績である。

 選挙において国民が新しい政策体系を選択し、その意思表示に基づいて権力の担い手と政策が変化するということは、ほとんどの日本人にとって初めての経験であった。二〇〇〇年代の構造改革の結果、日本財政の再分配機能は著しく低下していた。「生活第一」の旗印の下、子ども手当や高校無償化などの生活支援政策を取ったことは、こうした社会の矛盾を是正するための的確な対処法であった。

 もちろん、天動説の信者はこうした政策に対して「バラマキ」という非難を浴びせる。しかし、多数の人々に政策的恩恵を及ぼすことをバラマキと称するならば、政府による再分配は所詮バラマキである。自民党政権時代には政治家や官僚にコネのある者だけがその恩恵に浴していたが、民主党はそれを公明正大に、客観的基準に則って行った。これは社会保障の観点から見れば、大進歩である。

 ついでながら、現代日本の最大のバラマキは年金である。総額五〇兆円、うち一〇兆円は財政資金の繰り入れ、つまり税金による贈与である。財政からの繰り入れだけでも子ども手当予算の四倍である。本誌の読者には年金暮らしの方も大勢いると想像するが、その方々には自分がバラマキの受益者であることを自覚したうえで、民主党政権の政策を批判してもらいたいものである。

 民主党政権の時期に福島第一原発の事故が起こったことは不幸中の幸いであった。この時期だったからこそ、不十分ではあっても、原発を推進した政官業の罪業が明らかになった。また、民主党政権は脱原発という課題を曲がりなりにも掲げ、再生エネルギーの拡大が始まった。

 天動説の信者は、時代遅れの、まさに既得権の塊である原子力発電というシステムを守るために、民主党政権にあらゆる攻撃を企てた。東電幹部や経産官僚の無能は不問に付し、政府首脳が出しゃばっただの怒鳴っただのと、問題の本質と無関係な中傷がメディアに踊った。政治学の教師にとっては、アイゼンハワーが「軍産複合体」という言葉で描いたもの、あるいは丸山真男の言う「無責任の体系」を説明するうえで、格好の素材を提供してもらっている。このように、民主党政権の挫折は、天動説が信奉している世の中の秩序、及びその根底にある岩盤の実態を少しではあるが、明らかにしたのである。

 私の本意は、民主党の政治家を免罪することにあるのではない。変えるべき秩序が強固であればあるほど、変革を達成するためには、目指すべき方向に関するゆるぎない信念と、実践における周到な仕掛けが必要とされる。その点で、民主党の政治は児戯に等しいものであった。何よりも、民主党は自民党に伍する政党になるために様々な要素を取り込み、結局、「自民党ではない」という否定形のアイデンティティしか持てなかった。野田佳彦首相など、この型のアイデンティティの化身である。もちろん、その非自民は実体としての自民党の否定であって、機能における自民党的な発想や行動様式を否定したものではない。

 まとめて言えば、民主党政権とは思想のない政治の実験であった。呉越同舟の民主党を束ねるために、マニフェストなる舶来品が珍重され、個別の政策を具体化することが政権運営だという錯覚をみんな持ってしまった。理念と思想が共有されていれば、目標実現のために財源が足りなくなった時、国民を説得し、負担の共有を提起できたはずである。思想があれば、意想外の原発事故が発生した時にも、理非曲直を明らかにすることができたはずである。技術的失敗ではなく、思想戦における敗北と総括するところから、政治の次の段階が始まる。

 野球の喩を使うなら、民主党政権の現状は、初めて甲子園のマウンドを踏んだ一年生エースが自滅し、大敗したようなものである。この経験をかみしめ、未熟な選手たちが自らを鍛え直し、来年もう一度甲子園のマウンドを踏めるかどうかに、日本の政党政治の将来がかかっている。民主党がそのまま生き残ることは難しいとしても、政治家がこの経験を活かして次の政治主体を立ち上げることにつながれば、民主党政権は無意味ではないというべきである。

文藝春秋8月号


Comment:
2012/07/24 7:27 AM, greengrass wrote:
「(民主党は)「自民党ではない」という否定形のアイデンティティしか持てなかった。野田佳彦首相など、この型のアイデンティティの化身である」
先生、この一文は?です。
自民党野田派ではないのですか。
2012/07/24 8:01 PM, manifold wrote:
 高校時代の倫理・社会の先生の最後の授業の言葉を思い出す今日この頃です。
 「・・・自分の幸福を他の多くの人の不幸というか犠牲というか、そういったものの上に築こうとしないでください。自分の幸福を追求すると同時に、是非他人の幸福をも追求する人間になってください。そして日本を、本当に平和で豊かな国にするために大いに働いてください。皆さんの活躍に期待します。」
 この言葉のような、普通の考え方が、すべての国民(特に、いろいろな意味で力のある人)に共有されていれば、現在のような住みにくい社会にならなかったのでは、と考えます。
2012/07/26 9:55 PM, 雄プレイ wrote:
さっすが〜山口大先生!!

以前のものより長ったらしい文章になって
『信者』って言葉も使い出した。。

本当にコレって山口氏が書いてるのか
筆者には疑問である。
2012/07/30 12:51 AM, fujiwara wrote:
山口二郎の言説に決定的に欠けているものがある。
政権交代も、所得再分配も、構造改革も、私はそれらの主張に基本的に賛同する。しかし、山口氏の論からは、この国の最大の桎梏=「官僚主義」をいかにして変革するかという問題意識は、どういうわけか、すっかり忘れ去られてしまっている。
野田演説で有名になった「シロアリ退治」は、民主党マニフェストの重要な公約のひとつであり、それなくしては構造改革も所得再分配も完結しない。まして、「原子力ムラ」が巣くう霞ヶ関において、「シロアリ」の利権を大掃除することがどれほど重要な政策であることか! 菅も野田も、この重要だが困難な仕事から逃げて、政権維持を取り繕うことにだけ夢中になった結果、財務省を総本山とするシロアリどもに簡単にとりこまれてしまったのだ。
「シロアリ」をそのままにして、どの党が政権を手に入れようとも、この国の民主主義に未来はない。
2012/07/30 9:50 PM, 周南連山 wrote:
現代日本の最大のバラマキは、年金などではなく、特別会計における官僚利権の膨大な無駄金だろう。
特殊法人・公益法人等の天下り法人、関係企業等へ流れる巨額な無駄金は年間数十兆円にのぼる。
これは官僚支配政治による公金の収奪であり、まさに官僚利権への予算のバラマキである。
中国では、共産党の地方政府役人の汚職がひどいが、日本では合法的に汚職が行われている。
その合法的な仕組みが 天下り法人を経由した税金浪費(公金横領・税金横抜き)といえる。
中国の汚職役人は時に死刑となるが、日本で行われている税金浪費も極刑に値する重罪であろう。

山口さん、あなたは政治学者だから、日本の官僚支配の実態についての検証と、そこから脱却する
ための対応策の提案をぜひやって頂き、日本の政治改革に貢献してもらいたい。
中央官僚には東大法学部卒の先輩後輩が多く、個人的にはやりにくいテーマかもしれないが、
それが出来なければ、政治学者としての存在価値はないだろう。
2012/08/29 2:24 AM, 玉露 wrote:
子供手当をバラマキと称するかどうかはともかくとしても、年金をバラマキと呼ぶのは間違っていると思います。
今の受給者は昔払ったお金に対する代価として年金を受給しているのだから、年金の供給は国家の行うべき義務だと思います。
たとえ政府の失敗によってそのお金がなくなり、今の税収から払っているとしても、それで受給者をバラマキの受益者と呼ぶのはさすがにひどくないでしょうか。たとえ年金を百年単位での再分配だと考えたとしても、過去の自分から未来の自分への再分配と、裕福な人間から貧乏な人間への再分配は違う話ではありませんか?
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