2010.06.03 Thursday 00:37

鳩山政権はなぜ退陣したのか

 首相が1年も持たずに退陣する光景を見ると、国民はやりきれない既視感に襲われる。それは単に非力なリーダーが4人続いたというだけではない。こと鳩山氏に関しては、1年で政権を放り出すような無責任な自民党政治を変えるという期待を込めて国民は送り出したのである。にもかかわらず、政治変革の旗手たるべき鳩山政権および民主党が迫りくる参議院選挙を前に烏合の衆と化したことに、国民は深い絶望を覚えるのである。

 鳩山首相の定見の欠如、政治主導のはき違えなど、この政権が崩壊した理由はいくつも指摘できる。私は、首相と民主党が政権交代の大義を見失ったことこそ、最大の原因だと考える。民主党が政権を取って以来、政権交代とは、自民党が半世紀の間築いてきた権力構造を民主党が簒奪することなのか、自民党政治の徹底的な否定の上に新しい政治の仕組みを樹立することなのかが、問われてきた。

 当初は密約の解明や社会保障の再建など、新しい政治が始まるという期待を抱けた時期もあった。しかし、予算編成、政治資金をめぐる疑惑への対応など政権の具体的な動きを見るにつけ、これはもう一つの自民党政権でしかないのではないかという疑念が広がってきた。とりわけ、小沢幹事長による利益誘導による自民党支持組織の切り崩しを見ると、民主党に長年期待していた私でさえ、何のために政権交代を起こしたのか、情けなさでいっぱいになった。

 今の民主党にとって最も大事なことは、鳩山退陣を契機として、政権交代の大義に立ち戻ることである。昨年8月の総選挙で国民は民主党に何を託したのかを思い出すことである。初めての政権交代なのだから、試行錯誤があるのは当然である。それを正直に認め、自己修正できるかどうかに民主党の統治能力はかかっている。民主党は今こそこの9か月の自らの誤りを総括し、政策と政権運営に関する軌道修正の方向を国民に示すべきである。政権と与党の運営という点に関しては、鳩山首相とともに小沢幹事長が退陣したことは、当然の処し方である。

 表紙を変えて支持率を少しばかり回復させたうえで、参議院選挙を乗り切ろうなどと安易に考えるなら、民主党はより手厳しく国民に罰せられるであろう。この後の代表を決める選挙では、すべての民主党の政治家が国民の前に反省と懺悔を行い、再生の道筋について真剣な論議を行うしかない。鳩山政権の教訓を生かし、次の政権はなすべき課題を絞ったうえで、周到な戦略を立てなければならない。

 昨年の総選挙で政権交代を求めた民意はまだ生きている。今、民主党が民意を受けとめて、政治の刷新の実を上げることができないなら、国民は政党政治そのものに絶望するしかない。次の政権こそ、民主党にとっても、日本の政党政治にとっても、最後のチャンスであることを、ポスト鳩山を担う指導者には銘記してもらいたい。(北海道新聞6月2日夕刊)


2009.09.05 Saturday 00:49

政権選択選挙の意味すること

その1

 小選挙区制度は常に勝者の勝ち方を増幅するものではあるが、今回の民主党の地すべり的大勝は衝撃的であった。郵政民営化選挙からわずか4年間で、なぜこれほどまでに極端から極端へと民意が振れるのであろうか。しかし、一見激しい振れ方に見えて、実は2005年と2009年の間には、連続性と共通性がある。変化と連続の両面を見ることから、今回の選挙の意味を読み取りたい。

 自民党政治の拒絶という点では、2005年、さらに21世紀の初頭から、民意の強い連続性がある。2000年春に密室の謀議で森喜朗首相が登場したあたりから、自民党政治を国民は見限り始めていた。2001年春、森首相の退陣後の総裁選挙で、自民党をぶっ壊すと叫んだ小泉純一郎氏が世論の追い風を受けて勝利し、人々の欲求不満はひとまず落ち着いた。

 小泉退陣後の自民党は、まともな常識を持った指導者を選ぶことができず、毎年首相が責務を放り出すという失態を演じた。ここで国民は完全に自民党を見放した。今回の選挙で麻生太郎首相が政策で選んでほしいといっても、政策の出来栄え以前に自民党は政党の体をなしていないと国民は判断したのである。

 しかし、4年前の民意と今回の民意には大きな違いがある。4年前には、民営化と規制緩和によって政府の領域を縮小することが、官僚や族議員の既得権を奪い、公正な社会をもたらすと人々は期待した。しかし、その後の景気回復にもかかわらず労働者の賃金はむしろ下がり続け、貧困と不平等が広がった。そして、小さな政府路線は、単に強者の貪欲を広げるだけで、医療や労働を破壊したことが明白になった。人々は改めて私利私欲を超えた公共領域の必要性を再確認し、政府の役割を期待することで選挙での選択を行った。

 いかに敵失が大きいとはいえ、民主党が前回の大敗からわずか4年間で政権交代を成し遂げることができたのは、ひとえに小沢一郎前代表の下で、政策を転換し、選挙戦術を変えたからである。民主党は様々な主張が雑居した政党であったが、小沢は「生活第一」というスローガンの下で、自由放任を旨とする自民党に対して、平等と再分配を追求する姿勢を明確にした。これにより、ようやく二大政党の対立構図が鮮明になった。

また、風頼みの民主党の政治家に対して、徹底的に地域を歩き、辻立ちをすることで、票を掘り起こす戦法を小沢は命じた。浮ついた構造改革の威光で当選した自民党の政治家の方がむしろ根無し草になったのに対して、民主党には地域や庶民の実感を肌で知る政治家が増えた。今回の選挙で農村地帯の保守の岩盤を打ち砕いて、民主党が大量当選したことも、単なる僥倖ではない。

逆に、自民党の陥った危機は深刻である。多くの自民党支持者、支持組織は、自民党が与党だから支持してきた。小泉改革の規制緩和、歳出削減、民営化によって、自民党は自ら支持者に配るアメを捨て去った。そのことが、「自民党をぶっ壊す」ことの具体的意味であった。自民党はその小泉改革さえも、自らの延命のために利用した。小泉が去った後は、自民党には国民の歓心を買う材料が何も残っていなかった。自民党は権力にしがみつくこと以外何も考えていないという本質を露呈した。自民党が漂流したのも、当然の帰結であった。

民主主義とは、端的に言えば、国民の手によって権力者を馘首するための制度である。昨日の少数派が、国民の選択によって今日は多数派に転じるダイナミズムこそ、民主政治の醍醐味である。その意味で、今回の政権交代は日本の政治史上画期的な出来事である。投票率が選挙制度改革後の最高を記録ことも、国民が歴史の新しいページを開くことに参加したいと願ったことの表れであろう。今回の政権交代によって、ようやく本物の民主主義が日本に現れたということができる。


その2

 今回の選挙では、各党がマニフェストを示し、メディアもマニフェストを子細に比較する報道を繰り広げた。しかし、メディアや有識者がマニフェストの具体性や実行可能性を強調するあまり、政策論争が些末な論点に集中し、かえって政党政治の可能性を狭める結果になったのではないかと私は考えている。

 実際、選挙戦中の世論調査を見ると、民主党のマニフェストの各論に対する国民の支持は必ずしも大きくはない。政治は定められた課題に対して正解を書く作業ではない。日々変動する世の中を動かす作業である。したがって、マニフェストを金科玉条にするのではなく、政策実現の手順を周到に考える柔軟性が必要である。

 では、政権交代が起こってよかったと国民に感じてもらうためには、何をするべきだろう。第一に必要なことは、政治主導によって徹底した情報公開を行うことである。道路特定財源をめぐる論議の時に明らかになったように、長年の自民党政権の下で利権の伏魔殿があちこちに築かれた。その実態を解明し、旧体制の腐敗を国民に知らせることが、本来の改革の大前提である。

 第二に、来年春を目処に、国民の希望を取り戻すプロジェクトを立ち上げることを提案したい。春というのは人間が進学、就職で動く時である。その時に、政策的なサポートをしっかり用意し、人々が希望を持って前に進むことができれば、政権交代の意義を実感するはずである。半年後に効果を上げるためには今すぐ政策転換に着手しなければならない。来年度予算の編成は官僚の手で着々と進んでいるが、学費の援助や就労支援対策のために予算を上積みすることくらい、その気になればすぐにできる。家族が病気で倒れた時に、すぐに治療を受けさせるのではなく、先に治療費の算段をするような人間はいない。国も同じである。最も重要な政策課題を示し、それを実現するために他のものは後回しにするのが政治的決断である。

 第三は、対外関係の再検討である。自民党政権はその偏狭なナショナリズムゆえに、アジア諸国との真の相互信頼関係を築くことはできなかった。民主党政権がいきなり対米自立などと背伸びしたことを言う必要はない。むしろ、アジアの一員であることを強調し、歴史に対する反省をふまえながら未来志向の協力体制を作るという姿勢を示すべきである。来年は韓国併合から百年という節目である。朝鮮半島、更にアジアに対して、和解と協力のメッセージを発することは、民主党政権にしかできないことである。

 では、歴史的な大敗を喫した自民党が再生するためには、何が必要であろうか。今後の自民党には大きく三つのシナリオがある。第一は、右派的ナショナリズムの純化路線である。選挙戦中に自民党自身が行った民主党に対するネガティブキャンペーンの延長といってもよい。第二は、穏健保守への回帰という路線である。憲法改正を急がない。経済的な調和を図る。こういった穏健路線はかつての自民党の主流であったが、この十年ほどは捨て去られた。第三は、小泉改革を推進した人々が主導権を取って、改革路線で再起を図るというものである。しかし、小泉という盟主がいなくなった自民党でこの路線が主流になることは難しいであろう。

 民主党との対決を選ぶなら、第一のシナリオとなる。民主党の政策路線をある程度は共有しつつ、程度の違いを競うということになれば、第二のシナリオである。どの道を取るかは自民党自身が決めることである。ただ、私自身の感想を言わせてもらうなら、かつて日本の統治に責任を持った自民党が、勢力を縮小して、自己陶酔的な右派ナショナリズムの政党になることは、実に痛々しい。

 真の二大政党制とは、自民党がもう一度政権を奪還することによって、完成するのである。その意味では、日本の民主政治の将来にとって、敗れた自民党の再建がきわめて重要な意義を持っている。(北海道新聞9月3日、4日夕刊)


2009.09.01 Tuesday 00:48

日本の民主主義が始まった

 民主政治とは革命の制度化であり、一票の力で権力者を更迭すること、そして昨日の少数派が今日は多数派になるというダイナミズムが、その本質です。日本は確かに戦後、新憲法をつくり議会政治や婦人参政権など制度の民主化は進みましたが、担い手に関しては1955年以降、自民党が権力を独占してきました。その意味で半分の民主主義だったのです。今回、国民の手で権力を代えた経験は、日本の民主政治の歴史の中で初めての、画期的なことなのです。

 300議席を超える津波のような民意の変動を見たとき、これが本当に適切な判断の結果だったのかという疑念は確かにあります。4年前の郵政選挙で自民党を大勝させた「根のない民意」が、今度はたまたま民主党に向いた、という面も否定できないでしょう。しかし、政治の変化を待望してきた民意はずっと以前から続いていたのです。  89年にベルリンの壁が崩れ、一党支配体制の社会主義諸国が崩壊しました。同じころ、日本でも右肩上がりの経済発展が終焉。少子高齢化や人口減少など、100年単位の大きな社会の変動が襲い、適切な政策を打ち出す必要性が高まりました。官僚の機能不全も露呈し、自民党に代わる「新しい政治主体」の出番を求める欲求が広がったのです。

 しかし、自民党に取って代わる勢力はなかなか育ちませんでした。2000年には「密室の談合」で首相が誕生するなど、自民党の耐用年数切れがはっきりしました。ところが小泉純一郎首相が登場して国民の不満を巧妙に受け止め、従来の自民党を否定することで延命させる、というアクロバットを演じたのです。その集大成が郵政選挙でした。自民党に代わる新しい政治主体の登場を求める欲求は十年来のものであり、今回ようやく実現したと言えるのです。
 もう一つ、小泉首相の時代があったからこそ政権交代に結びついたとも言えます。小泉政治は市場メカニズムを拡大し政府の役割を縮小することで、旧来の自民党・官僚による国の統治を転換しようとしました。ただ、国民は社会保障費の削減などに直面し、生活の基盤を脅かされるに至りました。市場任せの自由放任で幸せになるなら政府はいりません。傷つき倒れる人、不利な立場の人のためにこそ政治はあります。こうした政治の原点に戻った上で、国民は公共領域の回復を求めて新しい政権を選んだことに大きな意味があるのです。  国民は自民党を罰したのであり、民主党を前向きに期待して選んだわけではないのでしょう。しかし、郵政選挙で敗北後、小泉政治への対決姿勢を鮮明にし、小沢一郎前代表の下で「生活第一」という別の選択肢を提示したからこそ、政権交代につながったのです。

 今後、二大政党制が根付くには、民主党も自民党も社会の土台をどう再建するかが問われます。もし、民主党政権が見るべき成果を挙げられず国民が幻滅すれば、政党政治自体への不信感は極まり、扇動的な手法の政治家が登場しかねないのです。民主党はそれだけの緊張感を持って、政権交代の意義を国民が実感できるよう、政策転換の実を上げてもらいたいと思います。(北海道新聞8月31日)

2008.06.28 Saturday 00:00

持続可能な社会をどう作るか

 サミットの主要なテーマは地球環境の持続可能性である。もちろん、生物としての人類が生き残るためには、地球環境を守ることは大前提である。それと同時に、サミットを契機に社会の持続可能性にも目を向ける必要がある。持続不可能な社会システムを続けることは地球の持続可能性を破壊し、逆に、持続可能な社会システムを作れるならば地球の持続可能性も維持できるという関係が存在するからである。

 一九九〇年前後に冷戦が終わり、資本主義体制が世界を制覇すると共に、市場における利益追求を放任する新自由主義という理念が世界の経済ルールとなった。規制緩和や民営化を基調とする日本の構造改革もその一環である。これらの政策は一面で経済の活性化をもたらしたのかも知れないが、様々な歪みを生み出し、それが社会の持続可能性を脅かしているのである。これは日本のみならず、先進国共通の問題である。

 新自由主義には、あらゆる価値を金銭という単一の尺度で計るという単純性と、今この瞬間に最大の利益を上げようとするという近視眼性という二つの大きな落とし穴がある。営利追求を第一に考えるならば、お金で買えないものはないという価値観のとりこになる。言うまでもなく、人間の生命や尊厳は金では買えない価値だが、企業が業績を上げるためサービス残業が横行し過労死が頻発する。長い目で見れば、労働者に家族を養えるだけの経済的、時間的余裕を与えることが社会の持続に望ましいはずだが、個別の企業が当期の利益を優先させれば、安上がりの非正規雇用を増やすという結果になる。

 先日、東京秋葉原で将来への希望を失ったと称する若者が大量殺人を犯し、社会を震撼させた。殺人事件そのものには同情の余地はないにしても、人間をもの同然に扱う労働の世界の変質が、未来に希望を持てない若者を大量に生み出していることは事実である。コスト削減の論理を極端に推し進めると、どこかで社会にしわ寄せが出ることをあの事件は教えている。

 グローバル化といえば、この十数年、市場を解放する方向での政策の標準化が進んだ。グローバル・スタンダードという掛け声の下で、規制緩和や民営化など小さな政府を求める動きが各国で進んだ。しかし、投機の行き過ぎによる金融不安や食料、エネルギー価格の高騰は世界的な問題となっている。いまや、人間の生活と尊厳を守るために市場における利益追求に歯止めをかけるという方向でのグローバル化が必要となった。

 こうした関心による政策的取り組みは、ヨーロッパではある程度の蓄積を持っている。我々にとって特に参考になるのは、「社会的排除−包摂」という概念である。人間を使い捨てにする社会では、十分な賃金を得られないワーキングプアや医療や介護を受けられない高齢者が排除されていく。しかし、社会的排除がまかり通るような社会は、みなにとっても住みやすい社会ではない。そこで、人間が誇りと尊厳を持って生きられるように、就労支援、育児支援などの社会的な土台を整備する必要がある。これが社会的包摂と呼ばれる政策である。

 環境制約のみならず、社会的観点からも、資本主義経済の奔流に対する反省の念は広がりつつある。日本では、小林多喜二の『蟹工船』が読まれるご時勢となった。とはいえ、市場を否定し、社会主義体制を取ることは、選択肢にはならない。市場を前提としつつ、人間の尊厳を守るという観点から、これにどのようなルールを課するかを議論することこそ、世界の指導者の役割である。格差社会がブームとなったことには十分理由もあるし、世界的な広がりもある。このブームを一過性のものに終わらせないためにも、人間の顔をした資本主義経済とはどんなものか、サミットの場で議論を深めてもらいたい。(北海道新聞6月27日夕刊)

2008.03.05 Wednesday 16:05

08年3月:再編期の政党政治と民意

 昨年の参院選の直後には、政権交代や政党再編も近いというある種の熱気が存在した。しかし、その後のねじれ国会における政治の膠着状態が長引くにつれて、政党政治への期待感も低下しているようである。その最大の理由は、国民がそれぞれの政党に期待していることを,当の政治家自身が理解していないという食い違いにあるように思える。今後の政党政治の方向性を整理するために、国民が政党政治に何を望んでいるかを把握することが不可欠と考え、私が代表を務める研究プロジェクトでは、昨年十一月下旬に全国約千五百サンプルで世論調査を行った。

 この調査から得られた最大の発見は、政党支持と政策的選好がかなり明確に結びついているという事実である。まず、二大政党化という全体の傾向を反映して、全体の政党支持は、自民党23.7%、民主党22.3%、支持政党なし42.2%と、自民党と民主党が拮抗している。両党の支持者は、日本社会の現状認識や望ましい政策の方向に関してかなり異なった見解を持っている。

 小泉・安倍政権下で進んだ改革の結果日本の世の中はどうなったかという質問に対して二つ答えを選ぶという設問について、全体では、格差拡大65%、教育・福祉等の公共サービスの質の低下42%、金儲け主義の蔓延31%と、否定的な答えが上位を占めた。その中で、自民党支持者に限ってみれば、政治家・官僚の特権の是正34%、経済活力の回復14%と、それぞれ全体の答えよりも10ポイント、6ポイント高い。つまり、自民党支持者は相対的に改革の成果をより好意的に捉えている。

 また、これからの生活のイメージについての質問では、全体では、安心、おおむね安心を合わせた楽観派が28%、やや不安、不安を合わせた悲観派が71%であった。自民支持層では楽観派が39%、悲観派が60%であったのに対して、民主支持層では楽観派が21%、悲観派が79%であった。

 さらに、これからの日本社会のあるべきモデルについて尋ねたところ、全体では、北欧型福祉社会58%、日本的終身雇用社会32%、アメリカ型競争社会7%であった。自民支持層では北欧型に対する支持が50%と低く、民主支持層では逆に61%と高かった。これに関連して、従来の日本的社会システムのどこを改めるべきかという問いに対して、競争原理を導入し平等の行き過ぎを改めるという答えが、自民支持層で17%と民主支持層よりも10ポイント高く、公的社会保障を強化するという答えが民主支持層で38%と自民支持層よりも9ポイント高かった。

 この結果からは次のような観察を引き出すことができる。自民党は、相対的に安定した生活を送る裕福な層に強く支持されている。競争原理への支持の大きさ、小泉改革の肯定的評価の多さから、小泉時代の政策によって新たな受益者が形成され、これが自民党の支持基盤に組み込まれている。他方、小泉時代の景気回復は社会全体には波及せず、むしろ労働法制、社会保障、地方財政に関する改革では従来の安心、安定を奪われる人々を作り出した。これらの人々が民主党の支持に流れていることが窺える。昨年の参院選で「生活第一」というスローガンが大きな支持を集めたのも、こうした人々の気持ちをつかんだからである。

 自民党と民主党の二大政党の対決が続く一方で、両者の違いが見えにくいという不満も言われ続けてきた。両党が政治の表舞台でかみ合った対決構図を描けない一方で、国民の方は既に政策本位の二大政党制を支える体制を形作っているというのが今回の調査結果である。それぞれの党の政治家の考えは多様であろうが、国民は、社会の現状認識や自らの生活実感に照らして、政党に明確な期待を託そうとしているのである。それぞれの政党が支持者の思いに忠実に政策を練れば、二大政党制は本格化するであろう。さもなくば、個々の政治家が自らの思いに忠実に、政党を組み替える再編を起こすしかないであろう。(北海道新聞2月12日夕刊)
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2007.07.31 Tuesday 01:28

07年7月:参議院選挙の結果をどう見るか

 今回の参議院選挙は、年金に対する危機感の高まりを契機に国民の大きな関心を集めた。結果は、「山が動いた」一九八九年に次ぐ自民党の大敗となった。自民党の敗因を考えると、年金不信や閣僚の失言という急性の要因と、小泉時代以来蓄積してきた慢性の要因とが相乗効果を起こしたように思える。急性の要因だけに目を奪われていては、選挙に表現された民意を読みそこなうことになる。また、急性の要因は、実は慢性的病理の表面的な現われに過ぎないというより深い現実をも直視する必要がある。

 年金不信については、国民の申請によって年金を給付してやるという官僚体質こそが根本的な原因である。今回安倍政権は、社保庁民営化や国家公務員法改正など大慌てで官僚攻撃の政策を実現したが、自民党が長年官僚と二人三脚で政権を維持してきたことは国民には明らかであった。小泉時代に「官から民へ」というスローガンが自民党の売り物になったが、そこで言う民とは、民間企業の民であって市民の民ではないことがはっきりした。

 閣僚の失言や政治と金をめぐるスキャンダルについても、表面的な問題ではなく、安倍首相のリーダーシップの問題である。それはまた、安倍氏を圧倒的多数によって総裁に選んだ自民党全体の危機と言わなければならない。安倍首相も自民党の政治家も、人を見る目がない。もはや自民党という政党は、政治家を鍛えたり評価したりする機能を失っているのである。

 慢性的要因としては、小泉構造改革の負の遺産があげられる。地方交付税や公共事業費の削減によって地方の疲弊は止まるところを知らない。小泉政権時代に規制改革会議の議長を務めた宮内義彦氏が北海道には人口が二百万人もいれば十分だと公言したように、行政コストのかかる田舎にはもう人は住まなくてもよいというのが、小泉、安倍両政権の中枢部を占めるエリートの発想である。一人区での自民党の大敗は、こうした構造改革に対する保守層の反発がもたらしたのである。

 北海道選挙区の結果も、こうした全国的傾向と軌を一にしている。自民党の伊達忠一氏は議席を守ったものの、選挙戦の終盤に新党大地と民主党が推薦する多原かおり氏に猛追されて、冷や汗をかいた。また、伊達氏にしても、北海道新幹線の札幌延伸という反構造改革的政策を唱えて、保守層の引止めに必死であった。私は、伊達氏の政策にけちをつけたいのではない。政治の世界は効率や収益だけで物事を割り切ることはそもそも不可能であり、単なる市場とは別の国土像や社会像を持たなければ政治家は務まらないと言いたいのである。

 参議院での与野党逆転という結果を受けて、政界は流動化を始めるであろう。自民党が小泉政権以来新自由主義的な構造改革路線を旗印にしたのに対して、今回民主党が小沢代表の下で生活重視路線を明確にし、政策内容としては社会民主主義路線を採用した。これによって政策本位の二大政党制が整ってきたように見える。しかし、それぞれの党の中を見れば雑居状態は治まっていない。日本の政党政治は、これからさらに再編の時代を迎えるように思える。(北海道新聞7月30日夕刊)

2005.05.11 Wednesday 02:08

イギリス総選挙の意味 下

 近年、日本でもマニフェスト(政党が発表する政権綱領)に対する関心が高まっている。マニフェストとはもともとイギリスの政党が総選挙の際に作ったものであり、イギリスはマニフェスト選挙の本場である。マニフェストは一冊五百円程度で、新聞売店などで市販されている。日本からは、各党のホームページからダウンロードできる。
 今回のマニフェストは各党の性格をよく反映していた。労働党のマニフェストは赤い表紙のペーパーバック版の冊子で、二〇一〇年のイギリスの経済社会像を描いていた。この五年間にどの程度の財源を投入し、公共サービスの水準をどのように引き上げるかが具体的に示されている。政策能力を訴えたい労働党は、あえて視覚に訴えず、言葉と数字で政策を提示した。これに対して保守党のマニフェストは、白い表紙に筆記体の文字で、公約を簡潔に並べていた。こちらは視覚に訴え、労働党政権の失政を訴えようというものである。

 一般有権者がマニフェストを読んで投票態度を決めるというのは神話であって、マニフェストを読むのはマスコミや政治に
よほど関心のある人である。しかし、マニフェストは政党の政策的な立場やその信頼性を量る重要な材料である。新聞はもちろん、様々なウェッブサイトで各党のマニフェストを厳しく点検し、その実現可能性について厳しい論評が行われていた。こと政策の信頼性に関しては、保守党の政策は具体性に欠け、財源の裏づけも不十分という批判が強かった。

 労働党にとって総選挙における三連勝は初めての快挙である。サッチャー政権に匹敵する長期政権となった労働党はイギリスをどのように変え、イギリスの経験は日本など他の民主主義国にとってどのような教訓を与えるのだろうか。

 ブレア政権の内政面での最大の成果は、グローバル化時代における福祉国家や社会的公正に関して新しい可能性を開いたという点にある。もはや昔のように累進課税と法人税によって福祉の財源をまかなうという時代ではない。しかし、サッチャー時代に荒廃した医療、教育などの公共サービスを立て直すことは国民の要請である。こうした難問に答え、労働党はアングロサクソン(英米型)資本主義から、アングロ(英国型)社会モデルの構築に向かっている。

 かつては犯罪に走っていた職のない若者に対して、教育と訓練を提供し、社会に参画する道筋を示すための雇用政策、子供たちに放課後の課外活動や補習授業を行うための仕組み、若い母親の出産や育児を支援する仕組みなどについて、労働党政権は国レベルで新しい政策を打ち出し、徐々に効果を上げている。また、生まれた子供に対して政府が最大五〇〇ポンドを支給して預金口座を開き、親などがその子のために無税で貯金できる制度(チャイルド・トラスト・ファンド)も始まった。今を生きる普通の人々が直面する子育て、就職などの難題について、政府は周到な支援策を用意している。これらの政策は単に貧困を救済するのではなく、様々な意味でのリスクの高まりの中で弱者になる可能性を抱えた普通の人に対して、安心して社会に参画し、自己実現の可能性を追求できるようにするという積極的な政策である。犯罪対策、教育問題、少子化などは先進国に共通するものであるが、イギリスにおいては精神論ではなく、具体的な裏づけをともなった政策が展開されている。

 最後に、日本にとっての教訓を考えてみたい。イギリスの選挙を見て感じたのは、政治における理念や価値観の重要性である。労働党は、イギリスの階級社会の硬直性の打破を訴え、すべての人が自己実現を追求できるという意味で、平等を訴えた。政党の政策的差異がなくなったという批判はイギリスでも聞かれるが、価値観や理念の差異は伝わってくる。保守党は移民問題などで自らの偏狭さをさらけ出し、自滅したのである。マニフェストはあくまで道具である。その根底にあるよい社会のイメージこそ、政治を動かす原動力である。もう一つ強く印象に残ったことは、政府の行動に関して既成事実に屈服しない市民の厳しい態度、政治家の責任を追及する姿勢である。ブレアの心胆を寒からしめた市民の姿勢こそ、民主主義の土台である。(北海道新聞5月10日夕刊)

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