衆議院予算委員会で、野党議員が桜を見る会や前夜祭をめぐる従来の安倍晋三首相の説明の矛盾を追及している。2月17日の衆院予算委員会で、辻元清美議員は、ANAインターコンチネンタルホテル東京は過去7年間、政治家関連を含むあらゆる会合について見積書を発行し、宛名空欄の領収書は発行したことがないとの回答を元に、個々の参加者がホテルと契約し、宛名空欄の領収書をもらったという首相答弁の虚構を衝いた。首相は、ホテルの説明は一般論だという主張を繰り返し、「信じていただけないということになれば、そもそも予算委員会(の質疑)が成立しない」と述べた。予算委員会は事実に基づく討論の場ではなく、教祖による説教の場になったのか。
同時に、新型コロナウィルスの感染拡大が明らかになった。こんな危急の時に桜を見る会の追及などすべきではないという声もある。しかし、桜を見る会をめぐる疑惑を自ら払拭できない政府だからこそ、新型コロナウィルスに対しても適切な政策を打ち出すことができないのである。政治倫理上の退廃ではなく、誠意と統治能力の欠如が政治資金疑惑にも伝染病対策にも表れている。
安倍首相の発想の根底には、子供じみた、あるいは誇大妄想的な全能感があると私は考える。近代国家の為政者は法に従う存在だが、安倍首相は自分についてルイ14世のごとく、法を超越する存在だと思っている。集団的自衛権の行使容認の閣議決定から、最近の東京高検検事長の定年延長に至るまで、解釈を変えたと言えば自分の行動をすべて正当化できると信じている。全能感が過去に向かえば、自分に都合の悪い事実を改竄することもいとわない。これは安倍政権の公文書管理に対する恣意的な対応を見れば明らかである。全能感が未来に向かえば、客観的な根拠のない政策を振り回し、世の中を救うという自己陶酔に浸る。新型コロナウィルス対策はその最新例である。
その経緯を簡潔に振り返っておく。1月31日の衆院予算委員会で安倍首相は感染者の入国を拒否すると答弁した。この段階の政府の方針は水際防御で、あたかもこれが政治的英断だと言わんばかりに、2月4日に寄港したクルーズ船を横浜港に留め置くことを決定した。政府はウィルスの危険性を軽視しており、検査や治療の体制を拡充することにも当初は意欲を持っていなかった。加藤勝信厚労相は、2月9日のNHK番組で、「空気感染しないので、さらにいろんな医療機関で(患者を)受け入れることが可能だ」と述べた。検疫官が感染したことはこうした楽観の帰結である。クルーズ船の乗客のごく一部の体調の悪い人について検査を行い、感染したことが明らかとなれば入院させるという小出しの対応が続いたが、大多数の乗客は放置され、その間に感染が広がったことは明らかである。
初動の段階でなぜ問題を過小に見積もろうとしたのか、その政治的意図は憶測するしかない。国民の間に不安を広げたくないとか、東京オリンピックを控えて日本の衛生環境が悪化したというイメージを広げたくないという思惑があったのだろう。
さらに、日本の官僚の病理である「プロクルステスのベッド」の思考法が問題を悪化させた。プロクルステスとはギリシャ神話に出てくる追剥で、旅人を捕らえて自宅のベッドに縛り付け、はみ出す手足を切断するという残虐な趣味を持っている。これは、人間は先入観や手持ちの資源に合わせて問題を都合よく切り取るという、認識が陥る罠を描く寓話である。今回は、狭いベッドに相当するのが政府の持つ検査、治療の資源であり、旅人に当たるのはコロナウィルス感染者とその予備軍である。厚労省は当初、国立感染症研究所などの公的機関で検査するので数的限界があるとして、クルーズ船の乗客を放置した。しかし、検査に必要なRT-PCRという機器と人材は多くの大学や民間検査機関に存在している。ようやく2月18日からそれらの機材をフル稼働して、1日3800人の検査が可能になったと発表したが、遅きに失した措置である。厚労省が、当初なぜ国立の研究機関による検査に限定したのかは理解できないが、官僚の発想が政治家による問題の隠蔽を助長したことは明らかである。
プロクルステスのベッドという発想は、水俣病以来公害や薬害事件で繰り返されてきた。最近よく聞く「政治主導」は、本来そうした官僚的発想の限界を打破するための指導力のはずである。今回の事例で言えば、当初の段階で、国費を投入して検査機器をフル動員するとともに、感染を封じ込める治療施設を整備するという政治的方針を明示すべきであった。しかし、安倍政権において政治主導は、政治家の空威張りと自己正当化を意味するばかりである。そして、全能感に浸った権力者に追従する怯懦な官僚が無益な政策を後押しし、人命を危険に曝している。権力者の全能感は、ウィルス相手には無意味である。
冒頭に紹介した辻元質問に対する安倍首相の答弁に関して、2月18日の朝日新聞は、ANAホテルが同社の取材に対し、「首相側に「『一般論として答えた』と説明しましたが、例外があったとはお答えしておりません。『個別の案件については営業の秘密にかかわるため、回答に含まれない』と申し上げた事実はございません」と首相答弁の一部を明確に否定したと報じている。
繰り返す。桜を見る会は些末な問題ではない。政治家や行政官の行動を記録し、それを保存する。政府は国会で議員と国民に対して事実を説明する。公職に就く者はそれぞれの職務や活動に関する法規を遵守するなど、近代国家の基本動作が安倍政権の下で捨て去られているのである。こんな政府が重大な政策課題に答えることができるのか。野党だけではなく、自民党、公明党の議員も政治家としての良心に照らして、いかなる行動をとるべきか考えてもらいたい。
週刊東洋経済2020年3月7日
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