1 選挙結果の要因
総選挙の結果、民主党政権はあっけなく崩壊し、安倍晋三首相の再登板となった。今回の選挙の構図は実に単純明快であった。民主党に対する懲罰が唯一のテーマであり、民主党を拒絶する意思の表現手段として、急造の第三極よりも、老舗の自民党が選ばれた。そして、小選挙区制度がそうした相対多数の意思を絶対多数に増幅した。それだけの話である。
『朝日新聞』12月14日付に掲載された選挙戦中盤の世論調査によれば、自民党の支持率は21%で、政権を失った前回総選挙の際の22%よりも低い。しかし、民主党支持は前回の半分以下に低下し、第三極も選挙直前の内紛などの影響でイメージが悪化した。その結果、ドングリの背比べではあるが、その中で自民党支持が相対的に抜きんでる結果となった。実際の小選挙区における得票率もxx%に過ぎなかった。
また、同紙の調査によれば、自民投票者が重視するテーマは「景気対策」が61%と最大で、「原発」は16%、「外交・安全保障」は15%と少数であった。民主党の統治能力のなさに嫌気がさした中年男性が、景況打開の望みを託して自民党を選んだことが、民意の揺れの中心に存在する。原発再稼働や憲法改正を期待して自民党を選んだわけではないことは明らかである。
2 選挙後に予想される展開
とはいえ、代表民主主義の決まりとして、選挙で過半数を占めた政党の政綱が国民の意思とみなされる。この冷厳な掟の恐ろしさを、我々は噛みしめなければならない。安倍がいくらおろかでも、5年前の自分の失敗は記憶しているだろうから、来年夏の参院選までは安全運転を心がけるかもしれない。それにしても、あの時途中で挫折した政策テーマについて、再現を図ることは間違いない。手始めに、橋下徹市長が大阪で進めた教師や労組に対する攻撃を全国レベルで実現しようとするだろう。
憲法改正は自民党の持論だった。しかし、総選挙の論戦の中で、ここまで憲法を攻撃し、平和主義を捨て去ることを公言したことはなかった。一応野党として戦った日本維新の会も、改憲については自民党と協力すると公言している。領土紛争に伴うナショナリズムの高揚、野党勢力の弱体化という好条件もあり、憲法改正が現実的日程に上ることも覚悟しなければならない。
他方、原発問題については、ほかならぬ自民党が問題を作り出した張本人の一人である以上、原発再稼働と自己に関する情報の隠蔽、責任の曖昧化を徹底するに違いない。また、財政と社会保障に関しては、自助中心という基本に即して、増税だけを推進し、社会保障給付の削減を目指す、やらずぶったくり路線が安倍政権の基調となるだろう。
陰鬱な予想はいくらでもできるが、国民自身が選んだ道なのだから、仕方がない。我々は腹を固めて、右翼政治と対決し、次の機会にこれを倒すため、体勢を立て直すしかない。
3 民主派の課題
では、民主派(民主党支持者ではない。平和と民主主義を守りたいと思う人間のこと)は何をなすべきか。官邸包囲に象徴される運動のエネルギーは高まったが、それは選挙結果につながらなかった。このエネルギーを保ちつつ、政治、特に選挙においてはその世界特有のルールに則って少しでも多くを獲得するという、政治のリテラシーを体得しなければならないというのが、民主派にとっての今回の選挙の最大の教訓である。
第1のルールは、差異化よりも結集である。市民のデモなら、同じテーマについて思い思いの仕方で表現し、小規模の集団ごとに歩いていけばよい。しかし、政治の世界では、思い思いの仕方では無力であり、大きな塊を形成する必要がある。
福島みずほ社民党党首は、選挙目当てに脱原発を言い出した他党と自分たちは違うと訴えていたが、これなど政治家にあるまじき錯覚と自己満足である。脱原発という大事を成就するためには、選挙目当てだろうが金儲けだろうが、ともかく脱原発を望む者を集め多数を形成することが不可欠である。同じ方向を向くものは、スピード感や経路選択に違いがあっても、ともかく仲間だと捉える大雑把さが政治の世界には必要である。
第2のルールは、五十歩と百歩の違いを見極めるということである。脱原発に共鳴する活発な市民のツイッター、ブログなどを見ると、民主党を自民党と同一視し、原発推進勢力と切り捨てるものがなんと多いことか。大飯原発再稼働、大間原発建設再開などを見れば怒るのも当然である。しかし、原子力規制委員会は活断層の存在を明らかにして敦賀原発は廃炉が事実上決まり、東通原発についても同様の可能性がある。自民党政権の下ではありえない事態である。民主党は生ぬるいが、自民党とは異なるベクトルを持っている。五十歩と百歩の違いはあるのだ。その違いを無視して、味方になりうる者を敵に追いやることは日本の左派がしばしば犯した誤りである。
最善を求めることでむしろ事態は悪化し、ベストを求める姿勢は超越的なヒーロー待望につながるということは、50年以上前に丸山真男が指摘している。日本の左派には、佐高信氏をはじめ丸山ファンを自称する者が多いが、肝心の政治的判断のリアリズムは全く継承されてこなかった。
最初の具体的課題は、民主党の廃墟をいかに片付け、政権を担いうる勢力を作り直すかということである。大敗は政党の自己変革の契機となるものである。しかし、2005年の大敗の時と同様、前原誠司が出てくるなら、さすがの私も民主党を見限るしかない。原発、憲法、社会保障についての常識を持った中堅の政治家がリーダーとなり、民主党の再建を始めるならば、まだ期待を持てると思う。安倍自民党に対抗する政権戦略を論じる中で、未来や社民などの勢力との提携を追求するしかない。
絶望とは愚者の結論である。民主主義を守る戦いはこれから始まる。
週刊金曜日12月21日号
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