2012.12.25 Tuesday 14:02

民主党政権の崩壊と日本政治の危機

 

1 選挙結果の要因

 総選挙の結果、民主党政権はあっけなく崩壊し、安倍晋三首相の再登板となった。今回の選挙の構図は実に単純明快であった。民主党に対する懲罰が唯一のテーマであり、民主党を拒絶する意思の表現手段として、急造の第三極よりも、老舗の自民党が選ばれた。そして、小選挙区制度がそうした相対多数の意思を絶対多数に増幅した。それだけの話である。

 『朝日新聞』1214日付に掲載された選挙戦中盤の世論調査によれば、自民党の支持率は21%で、政権を失った前回総選挙の際の22%よりも低い。しかし、民主党支持は前回の半分以下に低下し、第三極も選挙直前の内紛などの影響でイメージが悪化した。その結果、ドングリの背比べではあるが、その中で自民党支持が相対的に抜きんでる結果となった。実際の小選挙区における得票率もxx%に過ぎなかった。

また、同紙の調査によれば、自民投票者が重視するテーマは「景気対策」が61%と最大で、「原発」は16%、「外交・安全保障」は15%と少数であった。民主党の統治能力のなさに嫌気がさした中年男性が、景況打開の望みを託して自民党を選んだことが、民意の揺れの中心に存在する。原発再稼働や憲法改正を期待して自民党を選んだわけではないことは明らかである。

2 選挙後に予想される展開

 とはいえ、代表民主主義の決まりとして、選挙で過半数を占めた政党の政綱が国民の意思とみなされる。この冷厳な掟の恐ろしさを、我々は噛みしめなければならない。安倍がいくらおろかでも、5年前の自分の失敗は記憶しているだろうから、来年夏の参院選までは安全運転を心がけるかもしれない。それにしても、あの時途中で挫折した政策テーマについて、再現を図ることは間違いない。手始めに、橋下徹市長が大阪で進めた教師や労組に対する攻撃を全国レベルで実現しようとするだろう。

 憲法改正は自民党の持論だった。しかし、総選挙の論戦の中で、ここまで憲法を攻撃し、平和主義を捨て去ることを公言したことはなかった。一応野党として戦った日本維新の会も、改憲については自民党と協力すると公言している。領土紛争に伴うナショナリズムの高揚、野党勢力の弱体化という好条件もあり、憲法改正が現実的日程に上ることも覚悟しなければならない。

 他方、原発問題については、ほかならぬ自民党が問題を作り出した張本人の一人である以上、原発再稼働と自己に関する情報の隠蔽、責任の曖昧化を徹底するに違いない。また、財政と社会保障に関しては、自助中心という基本に即して、増税だけを推進し、社会保障給付の削減を目指す、やらずぶったくり路線が安倍政権の基調となるだろう。

 陰鬱な予想はいくらでもできるが、国民自身が選んだ道なのだから、仕方がない。我々は腹を固めて、右翼政治と対決し、次の機会にこれを倒すため、体勢を立て直すしかない。

3 民主派の課題

 では、民主派(民主党支持者ではない。平和と民主主義を守りたいと思う人間のこと)は何をなすべきか。官邸包囲に象徴される運動のエネルギーは高まったが、それは選挙結果につながらなかった。このエネルギーを保ちつつ、政治、特に選挙においてはその世界特有のルールに則って少しでも多くを獲得するという、政治のリテラシーを体得しなければならないというのが、民主派にとっての今回の選挙の最大の教訓である。

 第1のルールは、差異化よりも結集である。市民のデモなら、同じテーマについて思い思いの仕方で表現し、小規模の集団ごとに歩いていけばよい。しかし、政治の世界では、思い思いの仕方では無力であり、大きな塊を形成する必要がある。

福島みずほ社民党党首は、選挙目当てに脱原発を言い出した他党と自分たちは違うと訴えていたが、これなど政治家にあるまじき錯覚と自己満足である。脱原発という大事を成就するためには、選挙目当てだろうが金儲けだろうが、ともかく脱原発を望む者を集め多数を形成することが不可欠である。同じ方向を向くものは、スピード感や経路選択に違いがあっても、ともかく仲間だと捉える大雑把さが政治の世界には必要である。

第2のルールは、五十歩と百歩の違いを見極めるということである。脱原発に共鳴する活発な市民のツイッター、ブログなどを見ると、民主党を自民党と同一視し、原発推進勢力と切り捨てるものがなんと多いことか。大飯原発再稼働、大間原発建設再開などを見れば怒るのも当然である。しかし、原子力規制委員会は活断層の存在を明らかにして敦賀原発は廃炉が事実上決まり、東通原発についても同様の可能性がある。自民党政権の下ではありえない事態である。民主党は生ぬるいが、自民党とは異なるベクトルを持っている。五十歩と百歩の違いはあるのだ。その違いを無視して、味方になりうる者を敵に追いやることは日本の左派がしばしば犯した誤りである。

最善を求めることでむしろ事態は悪化し、ベストを求める姿勢は超越的なヒーロー待望につながるということは、50年以上前に丸山真男が指摘している。日本の左派には、佐高信氏をはじめ丸山ファンを自称する者が多いが、肝心の政治的判断のリアリズムは全く継承されてこなかった。

最初の具体的課題は、民主党の廃墟をいかに片付け、政権を担いうる勢力を作り直すかということである。大敗は政党の自己変革の契機となるものである。しかし、2005年の大敗の時と同様、前原誠司が出てくるなら、さすがの私も民主党を見限るしかない。原発、憲法、社会保障についての常識を持った中堅の政治家がリーダーとなり、民主党の再建を始めるならば、まだ期待を持てると思う。安倍自民党に対抗する政権戦略を論じる中で、未来や社民などの勢力との提携を追求するしかない。

絶望とは愚者の結論である。民主主義を守る戦いはこれから始まる。

週刊金曜日12月21日号


2012.09.03 Monday 14:09

民主党という実験の終わりと瀬戸際の政党政治

 

1 政治の現状

 政権交代から丸3年たち、政局は選挙準備の状態に入っている。政権交代の高揚は遥かかなたに消え去り、政党政治に対する幻滅感だけが広がっている。お先真っ暗の民主党からは、生き残りを図る政治家が次々と逃げ出し、新党への合流を画策している。自民党政権を倒したはずの民主党はもはや政党の体をなしていない。今更これを非難しても詮無いことである。ここでは、まず政権交代がもたらした成果や変化を確認しておきたい。

 今から振り返って気づくのは、現代日本においては、民主主義によって選ばれた内閣が統治の主体ではなく、民主党が政権を取ったことによって本来の統治者が結構あわてたということである。私は、陰謀論は好まないし、全体を見渡して支配している単一の権力者が実在しているわけではないと思う。かつて丸山真男が満州事変以後の日本の戦争政策の決定過程について指摘したように、首謀者が壮大な構想を持って戦争を進めたのではなく、権限を持った組織がその時々の空気を読みながら具体的な意思決定を積み上げ、政府や軍の指導者も流れに逆らうことができなくなった。場の空気を規定するのが「国益」であり、様々な登場人物の国益の中身に関する解釈を正当化するのが国体であった。

 70年以上前の全体主義国家の仕組みを現代の民主主義体制に当てはめることは、荒唐無稽なほら話ではない。民主的に選ばれた政権が、民意を背景に新機軸を打ち出そうとしたとき、検察を含む官僚組織、経済界、メディアなど、旧体制を支えた人々はこれを押さえ込もうと必死の反撃をした。

鳩山由紀夫は、日米安保の今後について控えめな問題提起をしたに過ぎない。しかし、彼が首相に就任する直前に日本の雑誌に書いた普通の論文が英語に翻訳されて米紙に掲載され、反米のレッテルを貼られた。ウィキリークスは、日本の外務官僚が日本政府よりも米国に忠誠心を持って、民主党政権を批判していたことを暴露した。

検察は予断を持って小沢一郎の資金疑惑を立件し、民主党内における小沢をめぐる亀裂を深めた。小沢の金権体質に対する批判は、彼が打ち出した生活支援政策や中国との協調関係の強化といった政策に対する支持をしぼませる効果を持った

鳩山の失敗から学習した菅直人だったが、福島第一原発の大事故に直面して、脱原発という大使命に目覚めた。すると、規制のメディアはあらゆる攻撃を仕掛け、彼を退陣に追い込んだ。情報を隠蔽して責任を逃れようとする東京電力と、未曾有の事故に不十分ながら必死に対応した菅と、どちらの罪が大きいかは明らかであるが、メディアの扱いはあまりにも不公平である。

メディアや官僚組織が気脈を通じて、大きな陰謀のもとに民主党政権を追い込んだというのは、妄想であろう。しかし、様々な組織が自分たちの聖域を脅かされるという危険を感じたときに、未熟な政権の足を引っ張ったという結果は明らかである。一連の事態からは、日米関係と産業発展という戦後日本の国体が浮かび上がってくる。

そして、二つの政権の失敗から学習した野田佳彦首相は、政権交代によって政策を変えるという本来の意義を完全に捨て去った。そして、決める政治というスローガンの下で、内外の懸案に決着をつけることを目指した。新機軸を放棄して、決めること自体を目的とすれば、その中身は自民党がしたくてもできなかったことに落ち着くのは必然である。ねじれ国会というやむをえない現実もあるが、政権交代を起こした挙句に、自民党と同工異曲の政策が決まるのを見させられれば、日本人が政治に幻滅するのも当然である。この国を支配しているのは、国民が選んだ代表者ではなく、米国や経済界などの強者の意を汲む集団であることを思い知らされたのが、政権交代の帰結である。

本当の政権交代を成し遂げたいならば、国体の変革を実現するだけの構想と周到な戦略が必要だということこそ、民主党政権が残す最大の教訓である。

2 流動化した民意

 近いうちに総選挙があれば、自民党が第一党となり、政権の座に戻るであろう。しかし、それは民主党自滅の反射的効果であり、国民も自民党に何か期待しているわけではない。また、大阪維新の会など、地域政党から出発した新党も台頭することは確かであろうが、それらの主張はあいまいであり、国会に進出して既成政党となってしまえば、それ以上既成政党批判の論理を使うことはできなくなる。新党はたちまち批判の対象となる旧党になる運命である。今のところ新党を支持している民意にも、そうした虚無的なものを感じる。

 政権交代は民意を不可逆的に変化させた。もはや、政党、政治家は地盤というものを失っている。職場や地域などのネットワークに縛られて投票先を固定化させている有権者など、いまや例外的であろう。よしあしは別にして、人々はその時々の風向きを見ながら投票先をそのつど決めるようになった。また、為政者が自分たちの意思を無視した行動を取るならば、抗議の動きを起こす能動性も持っている。

 政治文化を議論すると大雑把な印象論になりがちだが、首相官邸や国会を取り巻く市民の動きを見れば、日本の政治文化は変わっていると感じる。六〇年安保のときとの大きな違いは、政党や団体の動員の有無である。六〇年安保の時には、岸首相が退陣して騒ぎが収まった後、池田政権の経済成長路線が人々の関心を吸収した。しかし、今は原発という長期的な課題をめぐって市民が動きを起こしている。また、再び経済的豊かさで民意を糾合することなど不可能であろう。

 デモに参加する市民も、流動的な存在であり、どこかの政党が支持層に取り込むことはないであろう。そして、民意は多様である。名古屋では市民税減税という目先の利益に反応して、河村たかし市長を押し上げた。しかし、原発問題では、目先の利益よりも、数世代先の子孫を視野に入れ、損得勘定ではなく市民の責務として行動している。こうした公共心の発露としての市民の圧力は、政党、政治家の感性を鋭くさせ、政策を練磨するよう促すという点に意義がある。原発再稼動反対デモは、一旦収束を迎えるであろう。しかし、ソーシャルメディアを通して政治的な討論は続くのであり、市民の政治的潜在力は持続するのである。これにどう応答するかに、政党の今後がかかっている。

 1つはっきりしているのは、こうした民意の前に民主党や自民党という既成の政党の未来を論じても意味はないという点である。自民党は権力党の遺制であり、民主党は小選挙区制度が作ったできの悪い建造物である。前者の命脈は尽きているし、後者の破綻も明らかである。90年代前半から始まった政党再編の試みは、最終段階を迎えようとしている。

3 政党政治の展望

 私自身が今関心を持っているのは、負けた後の民主党の再建の仕方である。野田首相やその周辺からは、選挙後にも民主、自民の大連立によって政権を運営すればよいという声も聞こえてくる。しかし、次の総選挙で民主党が大敗すれば、政権を担う資格はないと自ら宣言し、野党として出直しを図るというのが憲政の常識である。野田首相をはじめとして自民党の路線に共鳴するものが出て行くというなら、それもよい。

 冒頭に書いた国体を変革する主体を立ち上げるためには、鳩山政権の路線を追求した政治家が残って、民主党を再建し、そこに同じような思想を持つ政治家を集めなければならない。もちろん、民主党という器や名前にこだわるべきではないが、鳩山政権での日米安保の変革と社会保障の強化、菅政権での脱原発という大きな企図に取り組んだ政治家が引き続き日本政治における進歩的なアジェンダに取り組むことは必要である。脱原発を求めてデモに参加する市民の要求に真っ先に応えようとしているのも、これらの政治家である。

 政党が掲げた政権政策なるものがかくも無意味になった以上、次の選挙に当たって、政党で政治家を色分けすることには意味がない。今後の原発をなくす方向に行くのかどうか、将来の社会保障で人間の尊厳と平等を尊重するのかどうか、税制において、負担増はやむをえないとしても、垂直的公平を重視するのかどうか、などのテーマで、個々の政治家の色分けをする必要がある。この間のデモを企画したような市民運動で、そうした政治家の格付けの運動を広げていけばよい。

 自民党が、復古調のマニフェストを掲げて政権に戻ることは、日本の政治を退歩させることであろう。あるいは、大阪維新の会が安倍晋三元首相と連携して政権の一角を占めるという展開になれば、国政レベルで反動の嵐が吹き荒れることになるのかもしれない。しかし、今の自民党の政治家の顔ぶれや大阪維新の地方議員の言動、行状を見るにつけ、彼らには国家権力を担うだけの力量はないと私は確信している。右派、保守派の政治家ならば、力量がなくても国体護持はできるから、民主党のような破綻には至らないのかもしれない。それにしても、安倍晋三政権以後3年間の自民党の混乱が繰り返されるのが関の山である。

 問題は、大敗後の民主党の再建過程である。3年間の政権経験を総括し、明確な理念に基づいた次の政権構想を立てることが必要である。そして、脱原発、雇用、社会保障などのテーマで方向性を共有する勢力が、大結集することが必要となる。

 定数是正を契機に、衆参の選挙制度について、これから改めて抜本的な再改革が加えるべきという議論が高まることも予想される。現状を変えるとなれば、小選挙区による寡占の強化よりは、比例代表による多様な民意の反映を拡大する方向に議論は進むであろう。民主党の保守化によって代表者を失った中間から左側の市民の声を受け止める政治勢力を立ち上げることこそ、中期的な重要課題となる。

週刊金曜日8月24日号

                                                                                                                                                                                                                                                                                  


2011.06.16 Thursday 13:59

民主党の終わり、政権交代幻想の終わり

 

 6月1日から4日にかけての目まぐるしい政局の中で明らかになったことは、民主党という政党の未成熟であり、政治家の近視眼的な行動が政党政治そのものの崩壊を招き寄せているという現実である。

 野党の提出した内閣不信任案に同調するなど、政党政治の否定である。仮に野党と一緒になって倒閣をしたいなら、民主党を離党してからにすべきであった。鳩山由紀夫前首相は、菅直人首相が退陣の時期をめぐって自分の考えと異なることを言ったのに対し、ペテン師という最大の悪罵を投げつけた。その言葉はそのまま本人に差し上げたい。そもそも昨年の同じ時期に彼が政権を投げ出したことから、政治の混迷は深刻化した。鳩山氏は政界からの引退を公言したにもかかわらず政局で影響力を保とうとしているわけで、彼こそペテン師の親玉である。政治家が私怨を元に権力闘争をするのは仕方ない。しかし、優れた政治家は権力闘争の時と所をわきまえるはずである。

 なぜこんな政治家たちがトロイカ体制を組んで、数年間も民主党を引っ張り、政権交代を起こしたのかが問われなければならない。この問いを考えると、結局、民主党は方便だったという結論に行き着く。自民党が権力を分かち合うための政党であったのに対して、民主党は非自民の政治家が小選挙区を生き残るための方便であった。民主党にとって基軸となる理念を探すことは、党の分裂を誘う危険な企てであった。たまたま小泉改革によって日本社会で貧困と不平等が広がった時、当時の小沢代表は「国民の生活が第一」というスローガンの下、社会民主主義路線を採用して政権交代にこぎ着けた。それは権力政治家としては大変な功績であった。しかし、理念不在の社会民主主義路線が、政権獲得以後の民主党の混迷をもたらした。

 政権交代は、民主党にとってよりよい世の中を実現するための手段ではなく、自民党から権力を奪うことだけを意味した。もちろん、マニフェストの柱を実現することは政治責任という観点からも、荒廃した日本社会を立て直すという観点からも必要であった。同時に、財政の現状を直視し、適正な国民負担のあり方についても議論することは不可避であった。民主党政権が迷走する中で、小沢グループはマニフェストを金科玉条とし、修正の議論を排除して、これを政争の道具に利用した。他方、菅政権の側はマニフェストに書いてなかったTPP参加や法人税減税を打ち出して、生活第一という路線から逸れ始めた。

 生活第一路線や対等化に向けた日米関係の見直しを求めて菅政権を批判した小沢グループの言い分は理解できるが、党を割ることは自民党を利するだけであった。震災や原発事故に対してそれなりの対策を取り、浜岡原発を止めた菅政権の実績には評価すべき所もあるが、この政権がこれから目指す日本社会の像については、メッセージが決定的に欠けていた。結局、呉越同舟では大海の荒波を乗り越えることができなかった。方便政党としての限界である。

 6月5日になって、ポスト菅の政権は民主、自民による大連立と言われ出した。菅首相を追い落とした上で、国民不在の政争を仕掛けた自民党と手を結ぶと言われれば、もはや論評の言葉はない。短い大連立の後の総選挙で、よりましな政党を立ち上げるしかないのだろうか。

週刊金曜日6月10日


2011.03.04 Friday 00:00

政治の危機にどう対処するか

 

 菅直人政権は、内憂外患、いよいよ切羽詰った状況に追い詰められた。私は、菅政権は結構長持ちするだろうと考えていた。菅氏は、よくも悪しくも権力の座にしがみつくタイプである。支持率の低下を気にせず、野党からの攻撃を聞き流すことができれば、首相は長続きする。予算関連法案が成立せず、国民生活に迷惑が及べば、それへの非難は法案をつぶした野党のほうに向くだろうと予想していた。

 しかし、それはあくまで民主党が結束するという前提の話である。民主党内で分裂が起これば、菅政権はたちまち誰からも相手にされなくなる。今回、衆議院の民主党会派の離脱を表明したのは、比例単独の1年生議員ばかりである。民主党の支持率が低下した今、彼らには政治家としての将来はない。今回の行動は、小沢一郎元幹事長への援護射撃を兼ねて、投機的な政党再編に一縷の希望を見出そうとしたものということができる。

 民主党の未熟さを非難するのは容易である。予算と関連法案をめぐって与野党が対峙している時に、1年生議員が大挙して会派を離脱するなど、政治の常識ではありえない話である。鳩山由紀夫元首相は、普天間基地移設問題に関連して、海兵隊の沖縄駐留が抑止力だという理屈は方便だったと、本音を正直に述べた。その伝で行けば、民主党という政党そのものが、自民党を倒すための方便に過ぎないということになる。政権交代を起こした後は、方便としての矛盾があちこちで露呈した。

 いまや、民主党や菅政権の行き詰まりを批判することは子どもにもできる話である。しかし、あれもだめ、これもだめと政治家や政党を非難するだけでよい状況だとは思えない。民主党に対する期待がなくなったからといって、自民党に対する期待が復活したわけではない。そもそも敗北の総括も自分でできないような自民党が政権に戻るのは早すぎる。自民、民主の両党に幻滅した人々は、とりあえずみんなの党を支持するか、場所によれば橋下徹大阪府知事や河村たかし名古屋市長に代表される第3勢力を支持することになるのだろう。しかし、それらの勢力が仮に権力を得るならば、一体何が起こるのか。デマゴギーの政治が一層悪化するだけである。今の民主党政治よりも悪いものが出てくることだけははっきりしている。

 自民党政治が続いていた時代には、権力者に対してただだめだと批判していればよかった。いまの政権はガラス細工で、社民党が予算関連法案に反対する、民主党の陣笠議員が反乱を起こすだけで、政権は頓死するかもしれない。この権力者を倒したとき、次に誰が出てきて何をするのかをある程度考慮に入れながら政治を論じなければならないというややこしい時代である。

 民主党の掲げたマニフェストもまた、方便だった。しかし、その中には捨てるべきもの物あるが、人間を守るための政治という重要な理念も含まれている。そこまで一緒に否定し去るのはもったいない。

 もう1つ、よい政権は100%よいことをするという素朴な思い込みを廃する必要がある。いろいろ不満はあるけれど、他と比べればましだという程度の理由で政権と付き合うことが必要な時代である。

週刊金曜日2月25日


2011.01.28 Friday 23:59

通常国会の政策論議をどう進めるか

 

通常国会の政策論議をどう進めるか

 いよいよ通常国会が始まった。自民党は党大会で菅直人政権打倒を鮮明にし、政策をめぐる話し合いには応じない様子である。また、この国会は四月の統一地方選挙をはさんで続くので、地方選挙で民主党が敗北すれば、野党だけではなく、与党の内部からも菅降しが起こるかもしれない。まさに、首相にとっては前門の自民党、後門の小沢グループという構図である。細い尾根道を歩くような政権運営を迫られるに違いない。

 仮に菅政権が一年も持たずに崩壊という展開になれば、次に誰が首相になっても早期の解散総選挙という展開は不可避であろう。そのときに、国民が自民党政権の復活を望むということは考えにくい。今はとりあえず政党支持率で両党は並んでいるが、自民党が何か前向きのメッセージを出しているわけではない。したがって、早い段階の選挙があれば、再編含みの展開となるであろう。そうなると、みんなの党や減税を売り物にしている怪しげな地方首長など、ポピュリストやデマゴーグの出番となる。投機的再編論議に賭けるということは、日本の民主主義にとっては実に不毛である。

 長年の付き合いだからというわけではないが、菅にもう少し政権を続けさせることが現状では最善の選択だと、私は考えている。丸山真男を持ち出すまでもなく、政治とは悪さ加減の選択である。今よりもっと悪いものが出てくることが確実なときに、わざわざ最悪を引き寄せるべきではない。

 もちろん、だからといって菅政権を無条件で支持しようといいたいのではない。方向を見失いつつある菅政権に対しては、厳しく注文をつけなければならない。今最も必要なことは、菅首相が「生活第一」という理念を堅持し、この理念を社会保障や雇用政策の根本にすえることを約束するという言明である。TPPや法人税減税など、菅政権は経済界の言いなりになっているのではないかという疑念がつきまとう。しかし、雇用の拡大や社会保障の強化に対する首相の思いは本物だと思う。国民負担を増やす議論をするときにも、自分こそが国民生活を支える社会保障を守るのだと叫び続けて、少しでも誤解を解く努力をすべきである。

 もちろん、ねじれ国会という厳しい現実の中では、いくら雄弁を振るっても政策は実現できない。こういうときには腹をくくって戦うことが必要である。自民党は政局第一で政府与党の足を引っ張ろうとする。与党は衆議院の三分の二を持っていないので、野党は完全な拒否権を持つ。ならば、野党が拒否権を振るって予算関連法案を否決し、予算の執行が停止するという事態が起こってもやむをえないと覚悟を決めるしかない。

 昨年の通常国会は、議論なしの強行採決ばかりが目立った。今年の国会は、与党が政策を実現する理由を訴えるだけでなく、野党がそれを葬り去る理由を国民に訴えなければならない。野党の拒否権があるという状況は、野党自身にとって厳しいものである。民主党が覚悟を決めて論争を仕掛ければ、下野した後、政権復活のための政策論議を怠ってきた自民党の体力不足が露わになるのではなかろうか。


2010.12.18 Saturday 00:02

何のための政権交代だったのか

 臨時国会がともかく終わりいよいよ予算編成だと思ったら、民主党の内紛が勃発した。当事者たちは連立の組み替えや再編に発展する可能性もはらむと意気込んでいるようだが、永田町の外側からは単なる派閥争いにしか見えない。予算編成をそっちのけにして派閥抗争にうつつを抜かすとしたら、民主党の政治家の無責任さは自民党にも劣ると言わなければならない。

 すでにたびたび述べたように、私は小沢こそ政権交代の最大の立役者だと思っている。日本の政党政治を次の段階に進めた功績は極めて大きい。だからこそ晩節を汚すなと言いたい。小沢の資金問題に関する検察のやり口にはいろいろと批判すべき点がある。それにしても公開の場で説明することは政治家の使命である。自らの資金問題によって政権交代の意義が否定されることを小沢は口惜しく思わないのだろうか。日本の政党政治を前に進めるために自分は捨て石になると言えば、小沢は歴史に名を残せるであろうにと、残念に思う。

 今回の予算編成は、民主党政権が初めてすべて自分で決めるものである。そこでこそ民主党の言う生活第一の真価が問われる。財源が乏しい中で何に予算を投入するのかを政府与党で決めてこそ、政治主導が実現するのである。くだらない派閥争いをする暇があったら、どの予算を削り、どれを残すのか、まじめに議論しろと言いたい。

 このようなまっとうな批判が届かないとするならば、もはや民主党に政権を担う資格はないと言わなければならない。私は長い間民主党を軸とした政権交代を主張してきた。民主党という政党にはいろいろな政治家がいて政策に即した再編が必要だという議論にも理由があると思いながら、政権交代までは民主党を割ってはならないと言い続けてきた。しかし、政権を取った民主党が混迷を深めている現状を見れば、民主党は政権交代までの政党だったのかという思いを強めている。

 それにしても、議論のないところに連立組み替えも、再編もない。政権交代が起こっても、基本的な問題についてはほとんど議論がされていない。小泉構造改革の総括、政府の役割の大きさと国民負担のあるべき水準、イラク戦争に追随した日本外交の総括、アジアの中でいかに生きていくかという構想など、この機会に論じなければならないことがいくつかある。菅直人首相は、世論の受けを狙って、思いつきでTPPへの参加、武器輸出三原則や防衛大綱の見直しなどを提起した。これらは首相の思惑や思いつきで議論してはならないテーマである。また、民主党、自民党の中にいろいろな考えがあるので、ここの政治家が見識と良心に基づいて議論すべき問題である。

 民主党の小沢グループは小沢問題の扱いをめぐって議員総会を要求している。私はそうした低次元の話ではなく、これからの日本の方向を左右する重要問題について政治家による議論を確保するために、エンドレスの会議を開くべきだと思う。

 菅政権がここまで混沌とした今、政権立て直しの妙案などない。そんなものをさがすよりも、ここで急に浮上してきた重要課題について、政治家が真剣に議論する姿勢を示すことが政治への信頼回復の第一歩である。(週刊金曜日12月17日)


2010.12.18 Saturday 00:00

何のための政権交代だったのか

 

 臨時国会がともかく終わりいよいよ予算編成だと思ったら、民主党の内紛が勃発した。当事者たちは連立の組み替えや再編に発展する可能性もはらむと意気込んでいるようだが、永田町の外側からは単なる派閥争いにしか見えない。予算編成をそっちのけにして派閥抗争にうつつを抜かすとしたら、民主党の政治家の無責任さは自民党にも劣ると言わなければならない。

 すでにたびたび述べたように、私は小沢こそ政権交代の最大の立役者だと思っている。日本の政党政治を次の段階に進めた功績は極めて大きい。だからこそ晩節を汚すなと言いたい。小沢の資金問題に関する検察のやり口にはいろいろと批判すべき点がある。それにしても公開の場で説明することは政治家の使命である。自らの資金問題によって政権交代の意義が否定されることを小沢は口惜しく思わないのだろうか。日本の政党政治を前に進めるために自分は捨て石になると言えば、小沢は歴史に名を残せるであろうにと、残念に思う。

 今回の予算編成は、民主党政権が初めてすべて自分で決めるものである。そこでこそ民主党の言う生活第一の真価が問われる。財源が乏しい中で何に予算を投入するのかを政府与党で決めてこそ、政治主導が実現するのである。くだらない派閥争いをする暇があったら、どの予算を削り、どれを残すのか、まじめに議論しろと言いたい。

 このようなまっとうな批判が届かないとするならば、もはや民主党に政権を担う資格はないと言わなければならない。私は長い間民主党を軸とした政権交代を主張してきた。民主党という政党にはいろいろな政治家がいて政策に即した再編が必要だという議論にも理由があると思いながら、政権交代までは民主党を割ってはならないと言い続けてきた。しかし、政権を取った民主党が混迷を深めている現状を見れば、民主党は政権交代までの政党だったのかという思いを強めている。

 それにしても、議論のないところに連立組み替えも、再編もない。政権交代が起こっても、基本的な問題についてはほとんど議論がされていない。小泉構造改革の総括、政府の役割の大きさと国民負担のあるべき水準、イラク戦争に追随した日本外交の総括、アジアの中でいかに生きていくかという構想など、この機会に論じなければならないことがいくつかある。菅直人首相は、世論の受けを狙って、思いつきでTPPへの参加、武器輸出三原則や防衛大綱の見直しなどを提起した。これらは首相の思惑や思いつきで議論してはならないテーマである。また、民主党、自民党の中にいろいろな考えがあるので、ここの政治家が見識と良心に基づいて議論すべき問題である。

 民主党の小沢グループは小沢問題の扱いをめぐって議員総会を要求している。私はそうした低次元の話ではなく、これからの日本の方向を左右する重要問題について政治家による議論を確保するために、エンドレスの会議を開くべきだと思う。

 菅政権がここまで混沌とした今、政権立て直しの妙案などない。そんなものをさがすよりも、ここで急に浮上してきた重要課題について、政治家が真剣に議論する姿勢を示すことが政治への信頼回復の第一歩である。


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