2013.03.05 Tuesday 13:07

社会のレベルからの変革

 

 2年間にわたる連載も、今回が最後となった。読者の皆様、編集担当の方々に支えていただいたことに、厚くお礼申し上げたい。先日、京都の大学で講演した時に、熊本出身の学生さんに声を掛けられ、実家のご家族が拙稿を読んでくださっていると言われ、大変うれしく感じた。

 実は、熊本には年に一度くらい訪れていて、大変なじみ深い町である。熊本に行くと、夜、チャーリー永谷さんのライブハウスを訪れるのを楽しみにしている。チャーリーさんと言えば、熊本の方はよくご存じのとおり、日本におけるカントリー音楽の大御所である。毎年阿蘇山麓で大きなコンサートを開き、本場アメリカでもよく知られている。

 今、国同士で利害が対立し、ナショナリズムをあおる運動も勢いづいている。こういう時こそ、等身大で他国の人間を見て、理解することが必要である。音楽や映画はそのための格好の手掛かりとなる。チャーリーさんの活動は、その手本だと思う。同じ音楽を聴いて喜んでいるなら、どこの国の人でも友人になれると感じるはずだ。チャーリーさんがアメリカとの間でしてきたことを、韓国や中国との間でもできないはずはない。

 この2年間、政治の世界では、民主党政権の挫折と、自民党政権の復帰という大きな変化が起こった。政権交代という政治の試行錯誤は、決して無意味ではないと私は信じている。1つの教訓は、政権党を交代させるだけでは、世の中を変えることはできなかったという経験である。有能で、好感の持てるリーダーを求めてさまようという態度そのものを変えなければ、日本人は政治家に裏切られ続けるだけである。自分たちで動くことや、社会のレベルで少しずつ実践を重ねていくことが、民主政治を支える土台を形成する。

 民主党政権が起こした有意義な政策転換として、例えば、NPO法の改正と寄付税制の創設がある。これは政治家だけが成し遂げたものではなく、長年様々な市民活動に携わってきた人々のエネルギーを政権交代のタイミングに合わせて結集したことによって、実現した政策である。また、脱原発を求める市民の行動は、前政権の原発政策にはそれなりの影響を与えた。

 世の中は、アベノミクスがもたらす株高を喜び、ちょっとしたバブル気分である。失われた20年と言われる停滞、閉塞が続き、辛気臭い話は忘れたいという感覚も分かる。しかし、対症療法はそのうち効き目が切れる。我々は、日本が直面する様々な問題から逃げるわけには行かない。つかの間の景気回復がもたらす多幸症や、他国民を嫌悪する独善的ナショナリズムの高揚は、決して問題を解決しない。

 私は、危機感をあおっているわけではない。それぞれ自分の生活の場で、出来ることをしていこうという控えめな提案をしたいだけである。経済学者の金子勝氏は、これからの政策的対立軸は、「メインフレーム型集中」対「多極分散型ネットワーク」になると主張している。ネットワークを広げるには、日本中の至る所で、面白さ、おいしさ、快適さというその場でしか味わえない価値を創造し、それをつなぐことが必要である。おそらく、熊本はそのような価値発信の大きな拠点になると思う。すでにそうした価値の創造には多くの人々が取り組んでいることと思う。

 今年の大学受験業界の大きな話題に、東京大学法学部の人気急落がある。日本全体が巨大なピラミッド構造を取っていた時代には、東大法学部はピラミッドの頂点を目指すための近道を提供していた。だから人気があった。ピラミッド構造が崩壊した今、人気が低下するのは自然な反応である。日本人全体が、新しい価値を探して、模索している過渡期である。地域から分散型ネットワークを作る動きに、日本の希望をつなぎたい。

熊本日日新聞3月3日


2013.02.05 Tuesday 14:35

権力偏重の末路

 

 このところいじめ、体罰、暴力など、殺伐とした話題が毎日のようにメディアに並んでいる。事はもはや、学校の運動部や一部のスポーツ界にとどまるものではない。日本社会の深い業について考えなければならない。

 団体生活における体罰、暴力といえば、私のように戦後の平和教育を受けた者は、野間宏の『真空地帯』や五味川純平の『人間の条件』で描かれた、軍隊におけるリンチを連想する。この問題について、戦後政治学の祖である丸山真男は、みずからの軍隊経験をもとに、次のように分析した。そもそも日本には、「権力の偏重」という文化がある。対等な人間同士が交際する水平な関係が広がらず、ピラミッド型の階層制組織における垂直な上下関係があらゆる世界を支配している。大は、中央官僚を頂点とする統治の世界から、小は地域コミュニティ、学校、家庭の中まで、「威張る―服従する」という上下関係で規律される。これが権力の偏重である。丸山は、福沢諭吉の『文明論之概略』からこのような着想を得た。

 明治以降、日本は形の上で天皇を頂点とする権力偏重の体制を作り、近代化、さらには侵略戦争へと邁進した。この仕組みは、号令一下組織を動かすという意味では効率的であり、権力者はこれを重用し、被治者は従順と同調を教え込まれた。丸山のように二等兵として動員された者は、組織の底辺で理不尽な暴力に苦しめられた。外に進出した部隊では、末端の兵が上から受ける抑圧への鬱憤を晴らすために、現地の人々に対する暴力、略奪を行った。抑圧は上から下に連鎖するのである。

 敗戦後、平和国家になったはずの日本で、権力偏重の構造自体は温存された。戦争はしなくなったが、利益の追求や運動競技における勝利に目的が代わっただけである。目標が外から与えられ、国家あるいは会社組織が一丸となって奮闘することが必要な時代には、権力偏重の体制は威力を発揮した。原発や基地の立地も、権力偏重の体制の中だから進んだ。政府や会社などの上品な世界では、暴力を振るわないまでも、札束を積んで人間の誇りを奪うことなどの手法で、一体性を作り出してきた。逆に、バブル崩壊、冷戦終焉以後の「失われた20年」という状況は、権力や経営者が知恵や方向感覚を失っているにもかかわらず、権力偏重の仕組みだけはしつこく残り、有効な政策を打ち出せない結果である。

 偉い人はグローバル人材の必要を説くが、その実、自分の頭で考えて批判的に物事を考える人材は嫌いである。ブラック企業や追い出し部屋のように、人間を物と同一視する会社がはびこっている。学校では、意味不明の改革により教師は窒息し、若者は実用主義的な技能の習得に追い立てられる。競争に勝つために、ますますものを考えない兵隊を作りたいと官僚も経営者も考えているのだろう。

 運動部やスポーツ界の体罰、暴力は社会の縮図である。政治家も経営者も権力の偏重を是認してきた。理不尽な命令にも文句を言わずに粉骨砕身するような人材を求めてきた。そうした伝統を「美しい」と称賛する総理大臣が、体罰や暴力を非難するなどというのは、笑止千万である。いま必要なことは、伝統と決別することである。

 鍵は、対等な人間同士の水平な関係である。もちろん、指導者と生徒の間、経営者と労働者の間には上下関係がある。知識や技能を教えるとき、怠惰を是正するときには、厳しい指導も必要だろう。しかし、それは指導者や経営者の能力に裏打ちされたものでなければならない。そして、教えられる側が真面目に考え、意見を言う時には、指導者は謙虚に聞かなければならない。

 しばらく政局論議を離れて、政治の場でも近代日本の業について話し合うべきである。異議申し立てを謙虚に聞く、異議申し立てをした人を守るために何が必要か、政治が手立てを考えなければならない。

熊本日日新聞2月3日


2013.01.07 Monday 18:56

2013年の政治

 今年の政治の最大のテーマは、第二次安倍晋三政権がどのような政策を展開し、夏の参議院選挙で国民はそれをどう評価するかということである。実務家肌の菅義偉氏が官房長官に座り、政権は安定感を持った。発足後の動きを見る限り、憲法や安全保障問題については持論をある程度封印し、慎重な姿勢を取るようである。他方、経済については、インフレターゲットの設定と国土強靭化の公共事業拡張で、大胆な政策を追求する気配である。

 政治の基本原理をめぐる論争について、あえて波乱を起こさないというのは、賢明な態度である。欲を言えば、前回の安倍政権の発足時のように、韓国や中国を訪問して、関係修復のイニシアティブをとってもらいたい。日本国内のナショナリストを抑えることができるのは、安倍首相だけである。安倍自民党が、口先だけで威勢のいいことを言う日本維新の会との違いを打ち出し、国の運営についての現実的な責任感を発揮すれば、この政権は結構持つのではないかと予想する。それには、具体的な問題を一つ一つ解決するという保守政治本来のプラグマティズムが必要である。

 振り返れば、小泉純一郎首相の退陣の後、日本では毎年首相が交代する不安定が続いた。安倍首相こそ、この混乱の口火を切った責任者である。今回再登板したからには、一定期間政権を持続し、国民に示した政策を実現することで、国民の負託に応える義務がある。私の個人的な好き嫌いは措いて考えれば、安倍政権が自民党本来の保守政治を取り戻すことは、日本にとって重要である。

 私個人の関心は、民主党が立ち直れるかどうかという問題にある。総選挙の結果、日本の政党政治はかつてないほどいびつな構造になった。共産党、社民党が担ってきた戦後革新は、事実上消滅した。残念ながら、護憲平和のスローガンは、現代の日本人には響かない。安倍自民党のさらに右側に、日本維新の会という過激政党が位置する。選挙制度がもたらしたトリックとはいえ、政党の配置は国民の政治意識からはかけ離れている。

 国民の政策課題に関する常識とは、次のようなものだろう。他国に侮られることは望まないが、領土紛争を戦争によって解決することは望まない。信頼できる社会保障を望む一方で、何らかの負担増はやむを得ないだろう。将来世代の日本人のために、原発を減らしていかなければならない。働く人間も恩恵を得られるような景気回復が必要だ。民主党こそ、こうした常識を反映する党として、二大政党の一翼を担っていかなければならない。

 政党政治には勝ち負けがつきものであり、大敗も嘆くには及ばない。むしろ、野党の時こそ政党が自らの来し方行く末を考える好機である。また、大敗の後こそ、指導者を刷新することができる。海江田万里代表の下で、民主党は三年余りの政権の経験を総括し、なぜ国民の期待に応えることができなかったのか、自ら明らかにしなければならない。また、民主党はどのような日本を作るのか、理念を彫琢すべきである。そして、自民党との間に明確な対立構図を作り、国民に選択肢を提供することこそ、野党第一党の使命である。

 参議院選挙で頽勢挽回などと性急なことを言ってはだめである。もっと長い時間軸の中で、民主党が何をなすべきか熟慮すべきである。幸い、総選挙で当選した中堅議員の中には、副大臣、政務官として政策決定に携わった優秀な政治家もかなり存在する。その中から未来の首相候補を育てるくらいの意気込みで、党の再建に取り組むべきである。

 今年の参議院選挙は、日本の命運を左右する重大な選択の機会となる。安倍首相が参議院選挙を乗り切るために穏健なふりをして、選挙後に本当の狙いをあらわにするというのでは、国民の政治不信は高まるばかりである。政党は、政治不信を招いたことに対する自らの責任を明らかにしたうえで、理念を国民に語り、国民に有意義な選択の機会を確保しなければならない。

熊本日日新聞1月6日


2012.12.03 Monday 16:33

総選挙で問われること

 

 明後日から総選挙の選挙戦が始まる。一九九四年の選挙制度改革以後、政党の集約化が進んだが。しかし、非自民勢力を結集したはずの民主党は分裂し、小選挙区によって大きな政党を作るという実験が破綻した。多数の政党が乱立する中での総選挙で、国民は何を選択すべきなのか、考えてみたい。

 教科書通りに言うなら、各党の政策をもとに選択すべしということになる。しかし、政治に大事なことは政策を論じることではないと公言する人物が第三極の指導者となっている。むしろ今回の選挙に限っては、政策以前の政治の基本原理のあり方、あるいは政治家の基本的資質を吟味することがはるかに重要ではないかと思う。

 民主党がマニフェストで掲げた政策を実行できなかったことについて責任を追及されるのは当然である。そもそも政権交代以前に建てた見通しの甘さ、政権を運営する中で、特に震災対応に関する誤りなど、厳しい批判を受けるべき点が多い。しかし、経済、財政に関する政策については、試行錯誤がつきものである。間違ったことは修正すればよい。

 しかし、経済の中でも国債の日銀引き受けとなると、間違いに気づいた時には修正不可能な破局をもたらす。また、政治体制の基本原理の変更についても、気づいた時には遅すぎて後戻りできないというのが、二〇世紀における全体主義の成立過程が教える教訓である。

 民主主義の下の国家は、国民の生命と生活を守るために存在する。そして、政治とは社会に存在する問題を解決する具体的な作業の積み重ねである。子供が勉強でき、病人が治療を受けられ、大人が働けるように社会状態を少しでも改善することが政治の課題である。指導者が虚勢を張り、無内容な国家の威信のために国民を動員することは、民主政治の対極にある所業である。これらは、先の大戦における多大な犠牲を払うことによって日本人が獲得した原理だったはずである。

 今メディアを賑わせている指導的政治家は、これまで何を言い、実行してきたのか。日本維新の会の石原慎太郎代表は、つい最近東京都知事として尖閣諸島の買収を宣言し、日中関係悪化の引き金を引いた。核武装や徴兵制も主張している。安倍晋三総裁率いる自民党は、政権公約で憲法改正と国防軍創設を明確に打ち出し、一方で生活保護の削減を主張している。当代の日本人は個人主義になり、義務感を失ったと戦後民主主義に悪罵を投げかける点でも、両党は同じである。

 大言壮語と英雄気取りはやめてもらいたい。自己中心主義で義務を放擲しているのはどこの誰だ。あれだけの原発事故を起こしながら、被害者に対する償いをしようとしない電力会社経営幹部、そうした政策を遂行してきた官僚、そしてそれを認めてきた歴代政権ではないか。もちろん、野田政権もこの点では同罪である。

 九〇年代初頭の政治改革以来の二〇年を「失われた時代」と呼ぶなら、それはひとえに政治家やメディア、それに我々のような学者が内容不明の「改革」や「変革」を追求してきたが故である。今度の選挙でまたしても国民が空虚な変革に賭けるならば、それは不可逆な政治の破壊をもたらすかもしれない。

 大震災と原発事故の後、日本という国家が国民を守れるのかどうかが問われている。国家のために国民が存在する時代に戻るのか、国民のための国を作る努力を続けるのかが、今回の選挙で問われている最大の争点である。

私は、政治は国民を守るための営為であると信じている。そして、私たちは自分の生命と、人間の尊厳と、自由を守るために政治に参加し、応分の貢献をしなければならないと考える。かつてない乱戦の選挙の中で、様々な政党、政治家の志操、理念を見極めて、民主主義を守るために行動することが必要である。

熊本日日新聞12月2日


2012.11.05 Monday 17:31

浮遊する政党政治

 石原慎太郎氏が東京都知事を辞めて新党を結成すると表明し、第三極をめぐる議論が飛び交っている。私は石原という政治家を全く信用していないので、彼が進める第三極にも何の関心もない。ただ、これからの政党政治の基軸を考える上では、反面教師としての意味はあるかもしれない。

 当人やメディアは第三極と言うが、政策の重心は自民党よりも右側である。外国のメディアでも日本の右傾化が話題になっているようだが、右の選択肢ばかりが増えては何の意味もない。また、数をそろえるために重要な政策課題についての議論を棚上げにするのでは、今までの政党再編の誤りを繰り返すだけである。

 何か新しい動きを起こそうとするとき、なぜ政治家はああまで他人を攻撃し、否定するのだろうか。確かに現状に大きな問題があるから新しい政党や政策が必要であり、政治家が権力者を批判することから自己の存念を開陳するのは当然かもしれない。しかし、日本の諸問題は、一見天災に見える原発事故も含めて、為政者の作為、あるいは不作為がもたらした人災である。長年国や自治体の権力を担ってきた政党、政治家が自分のことを棚に上げ、他人を批判することで存在感を訴えるのはさもしい話である。とりあえず官僚が悪いと言っていれば、何か正しいことをしているように見えるのだから、政治家は楽である。

 国民の政治不信の根底には、そのような評論家然とした無責任な態度に対する不信がある。安倍晋三自民党総裁は、総理在任中に国会で野党議員の質問に答えて、福島第一原発の事故対策は十分できていると断言したのである。政府の対応を批判する前に、なぜ自分がそのように思ったのかを説明するのが筋であろう。石原知事は、国政について大言壮語する前に、都政で行った公金の無駄遣いについてけじめをつけるのがそれこそ権力者としての義務である。他人の失敗をあげつらう前に、自分の誤りを率直に認め、今後の教訓を語ることの方が、政治への信頼を取り戻すことに資するであろう。

 既成政党批判の動きが次々と台頭する中で、政党の基軸をどのように立てていけばよいのか。1つはっきりしているのは、いま打ち出されている選択肢はどれも偏っているということである。それは、国民の穏健な良識、常識を代表する政党がないということでもある。領土紛争を戦争につなげてはならない。ある程度の負担を増やしても社会保障を強化したい。エネルギー消費をある程度減らしてもよいから原発依存をやめ、福島の人々や後世の日本人にかける迷惑を減らしたい。今の政治家が応えるべき国民の常識はこれらに要約されるだろう。

 宙に舞うような官僚批判や国家意識の鼓舞は、目の前の具体的な問題を何一つ解決しない。それどころか、問題を一層悪化させる。自民党や第三極が地道な政策論議に取り組まない現状では、民主党こそが、今までの誤りを総括したうえで、改めて国民の常識を反映した基軸を立てなければならない。今は与党なのだから、持てる権限をフルに使って、こうした常識を実現するための礎を打ち立てなければならない。原子力規制委員会の人事や大間原発の建設再開の動きを見ていると、この党が唱えた政治主導が消え去ったとしか思えない。いま捨身になって戦わなければ、民主党は次の選挙で本当に消滅するかもしれないのである。

 臨時国会が始まった。与野党ともに、次の選挙における国民の選択肢を整理し、対決構図を明確にするという意味で、建設的な喧嘩をするべきである。党首討論を毎週でも行って、それぞれの政党が目指すビジョンを語ってほしい。

 民主党が常識に応える路線を樹立できないなら、さっさと再編を起こすしかないのだが、それについてはもう少し先に論じる機会があるだろう。

熊本日日新聞11月4日


2012.10.08 Monday 16:55

見えない野田首相の意図

  民主、自民両党の党首選挙も終わり、新体制が固まった。新党、日本維新の会も結成され、総選挙に向けて政党間の戦いの構図が見えてきた。

 政策に対する評価は別として、自民党が安倍晋三元首相を総裁に選んだことで、二大政党の対決の構図は描きやすくなった。自民党は憲法改正を掲げ、領土紛争についても強硬姿勢で臨むことを唱えている。また、内政面では生活保護削減の主張に象徴されるように、自助を基本とする小さな政府と伝統的家族主義の結合を目指している。消費税問題でできた三党合意をさらに進めて、大連立という雰囲気はもはや存在しない。

 民主党にとっては総裁候補の中で、もっとも対決構図を作りやすい政治家が当選したはずである。実際、安倍氏当選の直後に、民主党幹部からもそうした声を聞いた。しかし、野田佳彦首相の内閣改造や、原発、オスプレイなどの政策判断を見ていると、民主党が自民党と戦う気概を持っているのかどうか、疑わしくなる。

 言うまでもなく、民主党はアジア重視の姿勢を続け、粘り強い話し合いによって東アジアの安定を取り戻すことを唱え続けるべきである。また、国内政策については、消費税率引き上げはやむを得ない負担だが、それを用いて共助、公助を基調とする福祉国家の強化を訴えるべきである。また、原発政策については、ゼロに近づけるための具体的で段階的な前進を始めるべきである。青森県の大間原発の建設再開など、もってのほかである。

 内閣の顔ぶれを見ても、首相の意図はわからない。数か月しか持たない政権で、ねじれ状況の中で、具体的な成果を上げることは、そもそも難しい。次に下野することも計算に入れ、中堅、若手の政治家に経験を積ませ、捲土重来の備えをするくらいの戦略性が必要な場面である。しかし、当選回数や年功による任用というかつての自民党の悪習を民主党も引き継いでしまった。各社の世論調査でも、自民党が色合いを明確にしたことへの好感の方が、野田政権への期待よりも大きい。

 他方、台風の目ともいわれる日本維新の会では、橋下徹大阪市長と国会議員との間で早くも軋轢が起こり、一時ほどの勢いはなくなっている。民主党政権の失敗の大きな原因に、党のガバナンスの欠如があげられる。維新の会は橋下市長の個人的な運動体であり、まだ政党の体を成していない。これから国政に挑戦するというのだから、政策主張についても厳しく吟味していかなければならない。

 野田政権の任務は、実体的な政策の遂行ではなく、総選挙に向けた論点の整理と、政党間の対立構造の明確化である。来年度予算の審議の前に解散総選挙を行い、民意を問うことが必要である。政権交代から三年間の達成と限界について率直に国民に説明し、原発や社会保障などの長期的課題について、理念の軸を示してほしい。そして、自民党との対立の構図を描くべきである。領土問題も原発事故も、民主党政権だけの責任ではない。長年の自民党政権の怠慢や失敗がもたらした面もある。早期に臨時国会を開き、党首討論を何度か行って、国民の前に政治の責任の所在と、今後の選択肢を示すことこそ、野田首相の課題である。解散に追い込まれることを恐れて、臨時国会を開かないなどという選択はあり得ない。

 首相官邸周辺に集まる市民の声が民意のすべてだとは言わない。しかし、民主、自民の二大政党に対する不満が多数派の意見であることは明らかである。政治指導者が大きな目的や理想を据えて、それに向かって具体的に努力し、前に進むという姿を国民は見たいと願っている。良い、悪いは別に自民党は安倍体制でベクトルを明確にした。民主党はいったい何を目指すのか。今ここで野田首相が明確な言葉を発しないならば、政権交代以後の3年刊の経験は、長い保守政治の中のほんの短いエピソードに終わるかもしれない。今の野田首相に必要なのは、そのことへの危機感である。

熊本日日新聞10月7日


2012.09.03 Monday 13:58

自壊する政党政治

 通常国会も会期末を迎えて、参議院では野党が問責決議を可決した。これで国会は開店休業状態に陥り、会期が終わると、民主、自民両党の党首選挙が政局の焦点となるだろう。政府与党が、参議院で成立する可能性のない選挙制度改革案などを衆議院で通過させたのは傲慢である。他方、自民党が参議院での問責決議を急ぐあまり、三党合意による消費増税を根拠にした中小野党による問責決議案に便乗したのは、救いようのないご都合主義である。もはやどこの党が悪いなどと批判をしている場合ではない。政党政治家が自らの首を絞め、既成政党批判を売り物にする新興勢力を結果的に勢いづけるという構図である。

 政権交代からちょうど三年がたった今、日本で政党政治が持続できるかどうか、より根本的な問いに我々は直面する羽目に陥った。その責めは、何よりも民主党が負わなければならない。たびたび書いてきたことの繰り返しで恐縮だが、自民党ではないという否定形のアイデンティティだけを共有して、小選挙区で生き残るという動機をもとに民主党という政党を作り出したという政治のモデルが破綻したのである。

 私の関心はもはや、大敗した後の民主党をどうするかという点に向いている。政治には敗北はつきものであり、敗北をいかに受け入れて、以後の教訓にできるかに、政治家の力量が表れる。落ち目の民主党を抜け出して、大阪維新の会に入れてもらおうなどというのは、敗北を避けるだけの行動である。しかし、敗北から逃げようとすればするほど、その政治家は国民からバカにされる。政権運営で多くの失敗を犯したのだから、民主党は従容と敗北を受け入れ、自らのアイデンティティの再定義に基づいて、次の路線を考えるしかない。

 私は『週刊東洋経済』という雑誌に、毎月政治時評を書いている。九月一日号に私の文章が載ったが、たまたまその次のページに読売新聞主筆の渡邉恒雄氏のインタビューが載っていた。二つの文章は民主党の今後について対照的な選択肢を示している。

私は、野田佳彦首相の下で民主党は読売新聞路線を採択し、産経新聞路線の自民党と対立しているように見えるが、これでは政権交代を選んだ国民は浮かばれないと考えている。そして、鳩山政権誕生時に掲げられた人間尊重の社会ビジョンと環境重視の基本政策に立ち返り、明確な理念と周到な政治戦略を立て直せと主張した。

渡邉氏は、私と同様大阪維新の会などのポピュリズムには批判的であるが、私と対照的に野田民主党の読売新聞路線には満足している。そして、野田民主党に対して第二の保守合同として自民党と合体し、税制やエネルギーについて現実的な道を取れと主張している。三党合意の延長線上にこれからの日本政治を考えるならば、いっそのこと一つの政党になれというのも奇想天外な話ではない。

 これから民主、自民両党の党首選びが本格化する。自民党の総裁選びは首相候補者の選択で、にぎやかになることだろう。民主党の方は敗北の責任者を決める作業である。しかし、この三年の経験を総括し、失敗を乗り越えるために自分たちは何をしなければならないかを議論する貴重な機会である。翼賛政治になだれ込むのか、民主政治の一翼を担うのか、決意しなければならない。そこで真剣な議論ができないようなら、民主党という政党は解散した方がよい。

 秋にも行われる総選挙は、税と社会保障の改革をどう具体化するか、原発をどうするかなど、これからの日本の命運を決定する極めて重要な選択の機会となる。人口減少局面の日本社会で、変動する東アジアの国際環境の中で、私たちがどのような生き方を選ぶのかが問われることになる。その時に政治家や政党が、基本理念と大きな枠組みを提示できなければ、政党政治や代表民主主義そのものが要らないという話になりかねない。この危機を政治家自身が認識しているのかどうか、私は大きな不安を持つ。

熊本日日新聞9月2日


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