多難な一年だったと振り返っているところに、北朝鮮から金正日総書記の急死というニュースが飛び込んできた。この機会に金正恩氏の新体制が経済的困窮を脱するために、国際社会との協調の路線を取ることを願うばかりである。
テレビで北朝鮮の人々が指導者の死を嘆き悲しむ様子を見ると、暴君の死をなぜかくも大げさに悲しむのかといぶかしく思う。あの人々はマインドコントロールされているのかと気の毒に思う人もいるだろう。しかし、隣の独裁国家を見下しても、それで日本がよい国になるわけではない。むしろ、今年起こった様々な出来事に照らして、一見自由な日本の社会で、私たちがどの程度の民主政治を持っているか、考え直す必要がある。
今年最大の事件は、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故である。地震と津波は自然現象であるが、災害に対する救援策を考え、実行すること、原発事故の原因を究明し、安全対策を取ることは、人間の仕事である。一連の対応の過程に、日本の政治や行政の能力が現れた。
ここで露呈した最大の問題は、原子力政策を決定、実行する過程に民主主義が欠如していたということである。原発事故に関しては、事実を国民に知らせない、希望的観測を振りまいて国民を欺くなどの点で、日本の政府に大本営体質が残っていた。それが証拠に、原子炉のメルトダウンに関する公式発表が事故後2か月経った時だった。原子炉が地震によって損壊したのか、津波によって破壊されたのかという基本的な事実さえ、究明されていない。仮に地震によって破壊されたのであれば、他の原発も浜岡原発同様危険とみなされ、停止を余儀なくされることになる。他の原発を温存したいから、津波によって壊れたことにしているのではないかという疑念を払拭できない。要するに、経産省の官僚は、国民の生命、健康という価値よりも、特定業界の利益を確保することを政策目標に据えているとしか言いようがない。
地震、津波の被害に対する復興策も遅れている印象がある。閣内で政策決定に参加した片山善博前総務相はその理由について、財務省が財源の目処が立たなければ補正予算を組めないと突っ張ったからだと説明している。片山氏自身は、救急車で病人が運び込まれた時に、治療費の目処が立たなければ治療しないなどということはあり得ないと言って、財務省と対立したが、他の閣僚には片山氏に同調する声がほとんどなかったそうである。
官僚組織というものは、目先の目的だけを追求するという性を持っている。経産省が電力業界を保護し、財務省が形式的な健全財政にこだわることは、官僚らしい行動である。問題は政治の指導力である。大局的な判断に基づき、官僚組織に目標を設定することは、政治の役割である。民主党は、政治主導を叫んで政権交代を起こしたはずである。しかし、こうした国難に当たって政治家は官僚の視野狭窄を是正できず、官僚の省益追求を放置している。
北朝鮮の様子を見て分かるように、民主主義と独裁の最大の違いは、多様と一様である。一様な国では、支配者が倒れた途端に方向喪失に陥り、国は危機と混乱に直面する。これに対して、日頃から多様な議論が行われ、ある政策が間違ったら、速やかに他の見解に基づく政策転換が行われるというのが、民主主義の強みである。多様性があるからこそ、民主主義は危機を乗り越えられるのである。あれだけの大事故を起こしながら政策転換が進まないというのは、日本の民主主義に欠陥が存在することを物語る。私たちには表現の自由や集会結社の自由が保障されている。それを十分生かして、多様な議論を積み重ねる中から、国の針路、政策の方向を決めることに、改めて取り組まなければならない。
来年は消費税率の引き上げ、TPPなど、まさに私たちの生活や社会のあり方に大きな影響を与える政策決定を迫られる。国民にも、言論機関にも、考えて議論する決意が必要である。
山陽新聞12月25日
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