2018.11.22 Thursday 16:42

日韓和解のために


 戦時中に日本の向上などで働かされた韓国人元徴用工が新日鉄住金に対して損害賠償を求めた裁判で、韓国の最高裁判所が訴えを認める判決を出したことは、日本国内に大きな反発を生んでいる。日本政府は、日韓基本条約等によって個人請求権の問題は完全に処理されていると主張し、日本の主要なメディアもこれに同調している。
 この問題には法律的側面と政治的側面がある。法律面から見れば、日本政府の主張は日本で広く受け入れられている。日本による植民地支配や侵略戦争の被害者が日本政府に補償を要求し出せば収拾がつかなくなるので、国交正常化の際に政府間で話を付けたというのが日本の言い分である。しかし、個人が訴える権利までは否定していないという外務省の答弁が国会の議事録に残っている。また、韓国の最高裁判決について大統領に抗議するというのも奇妙な話である。司法の独立は近代国家の大原則であり、大統領にはこの判決を覆す資格はない。あとは被告の新日鉄住金が判決を履行するかどうかが焦点となる。
 私は、戦時中の強制労働に対する補償については、政治的決着しかないと考えている。同種の問題は、日本の多くの企業が抱えている。今回の判決を機に、他の被害者も訴えを起こせば、どれだけの件数に登るかわからない。その時の日韓両国の間の感情的な対立のエスカレートを想像すれば、法的解決の限界を指摘せざるを得ない。
 1965年の日韓基本条約には、冷戦構造の中で日本と韓国が反共陣営の態勢強化のために手打ちをしたという側面がある。当時の韓国では市民的自由や政治参加は限定されており、元徴用工の要求が韓国側の政策に十分反映されなかった憾みもある。それから半世紀以上の時間がたち、韓国社会における人権意識は高まり、被害者が自らの権利を擁護するために発言できる環境が生まれた。日本政府が基本条約を根拠に個人の権利主張を無視することは、政治的には冷酷な話である。まして、今の安倍政権や与党には、戦前の日本の植民地支配や侵略戦争を正当化したがる輩が多数存在する。元被害者が日本の謝罪は口先だけだと反発し、生きている間に補償を要求するのも理解できる。
 第2次世界大戦中の強制労働に対する補償の問題は、ドイツでも存在した。ナチス時代のドイツで強制労働させられた人々が、1990年代アメリカでドイツ企業に対して補償を求める訴訟を提起した。訴訟件数は膨大であり、ドイツ政府は個別に解決するのではなく、政府と企業の出資による記憶・責任・未来財団を創設し、ここから170万人の被害者へ総額44億ユーロの補償金を支払い、2007年に同財団は業務を終了した。
 法的紛争を泥沼化させるのか、過去の人権侵害に対して誠実に謝罪し、政治的、道義的な解決に踏み切るのか、日本政府は大局的な見地から決断しなければならない。朝鮮半島では、南北対話、米朝対話を機に、第2次世界大戦、朝鮮戦争、冷戦の3つの紛争を終結させ、平和をつくり出す歴史的な挑戦がこれから進もうとしている。日本が第2次世界大戦を終わらせ、植民地支配の清算を行うためには、石頭の法律論ではなく、政治的な構想と勇気が必要である。


ハンギョレ新聞11月4日

2018.11.22 Thursday 16:35

領土問題とは

 安倍首相が北方領土問題について大きな方針転換を図っているようである。私は、四島一括返還という従来の方針には懐疑的だった。今の日本国は、北海道でさえ持て余している。JR北海道や北海道電力の惨状を見よ。中央政府はそっちにやる金はないと言い張り、北海道のインフラは劣化の一途である。この上に四島が領土として編入されたら、その維持、経営のためにいくらの金が必要か、想像もつかない。
 「未解決の領土問題」は、実体的な国益にかかわるものではなく、国民の間にナショナリズムを高めるための便利な道具である。安倍首相が、この便利な道具を放棄し、現実的、合理的に国境線の画定を行うというのは、1つの見識である。
 ただし、なぜ方針を変更するのか、国民に対して十分に説明してほしいと思う。昔、高校の政治経済の教科書を書いた時、北方四島、竹島、尖閣諸島は日本の領土だと書かなければ、検定は通らないとされた。今では、内閣官房が設置した領土主権展示館で日本の主権を主張しているのは竹島と尖閣だけである。国の主権の中身というのはそれほどいい加減に変えられるものなのか。
 領土問題についてのメンツを捨てて、資源開発や漁業について関係国と合理的に利益を追求するという新しい発想を安倍政権が打ち出すのかどうか、注目したい。

東京新聞11月18日

2018.11.22 Thursday 16:34

アメリカ民主主義の底力

 アメリカの中間選挙では、女性や多様な文化的背景を持った議員が大幅に増えた。特に印象的だったのは、最年少の下院議員となったオカシオ=コルテス氏である。彼女はつい1年前まではウェイトレスをしていたが、トランプ大統領の女性蔑視の姿勢や貧困格差の拡大に憤りを感じ、議員を目指して当選した。
 アメリカでは政党の予備選挙という仕組みがある。一般市民も党員の登録をすれば予備選挙に参加できる。市民の熱心な運動が広がれば知名度の高い現職ではなく、市民の仲間を等の公認候補に押し上げることも可能である。オカシオ=コルテス氏もこのような仕組みを通して民主党の候補となり、議員の座を勝ち取った。
 アメリカを見ていると、民主政治とは「見る」ものではなく、「する」ものだと痛感する。自ら立候補して議員になることは普通の人には難しい。しかし、高い志をもって世の中のために働きたいという優れた政治家志望者を応援することはだれにもできる。トランプ大統領が民主政治を破壊しているという危機感をもてば、普通の人々が立ち上がる。それこそアメリカ民主主義の底力である。
 日本でも統一地方選挙と参議院選挙が近づいている。野党側は人材払底のようである。広く市民のエネルギーを引き出すことが求められている。

東京新聞11月11日

2018.11.22 Thursday 16:33

法の支配と裁判所

 安倍政治の特徴は、人の支配である。近代国家の大原則は法の支配である。この原理は、我々人民がおとなしく法を遵守するのではなく、権力者が法に基づいて統治をおこなうことを意味する。権力者が己の欲望のままに、反対者を力ずくで弾圧したり、公共財産を私物化したりすることを防ぐために、法の支配は確立された。
 森友・加計問題に現れているのは、最高権力者による権力の私物化である。沖縄県知事による辺野古埋め立て許可の撤回に対しては、防衛大臣が私人の立場になり替わり、行政不服審査という人権救済の仕組みを悪用して撤回の効力を停止し、埋め立て再開を実現した。
 法の支配を回復するためには、司法が法の番人としての役割を果たすことが必要である。しかし、原発、辺野古埋め立てなど政府がかかわる案件では、裁判所は政府を勝たせ続けている。最高裁判所判事の人事権を内閣が握っているので、巨大な官僚機構である裁判所は内閣の意向を忖度する。政治的な案件は多数者の意思に任せるというのがその理屈である。
 そもそも裁判とは、多数者が憲法や法律を無視した意思決定を下す可能性を前提とし、多数者の誤りを正すためにある。裁判所が多数意思をチェックするという本来の役割を果たすよう、監視が必要である。

東京新聞11月4日

2018.11.22 Thursday 16:32

責任のアンバランス


 24日の新聞に、原子力損害賠償法の改正案がまとまったが、基本的な骨格は現行法のままで、自己の際の政府の責任もあいまいにされたという記事があった。福島第一原発事故の教訓は忘れ去られ、政府と電力会社は事故の際の補償について展望のないままに再稼働を進めようとしている。
 25日のテレビニュースは、森友学園に対する国有地売却をめぐる公文書の改ざんについて、現場の近畿財務局のOBが野党議員のヒアリングに応じ、実態を話したことを伝えた。改ざんに手を染めた職員は自殺し、それを指示した側はのうのうと生き延びている。
 日本は無責任国家である。公権力を行使する為政者とその近くで影響を持つ経済人などは、犯罪的なことをしでかしても、多くの人々を苦しめても、罪に問われることはなく、地位を失うこともまれである。
 折しも、安田純平氏が解放され、無事帰国した。案の定というべきか、一部からは「自己責任」という非難が吹き荒れている。そう、日本では責任という言葉は、貧困状態にある弱者や、政府の勧告を無視して取材を敢行した独立心に富むジャーナリストを攻撃する武器なのである。自己責任という意味不明な言葉で他人を攻撃する者は、権力者の無責任に目をつぶり、自己満足を求めているだけである。

東京新聞10月28日

2018.10.23 Tuesday 18:29

学徒出陣75年


 75年前の今日、雨中の明治神宮外苑で出陣学徒壮行会が催された。学業を中断させられ、戦場に向かって行進した学生の中でどれだけの人が生還できなかったのだろう。
 戦争における死は、兵士にとっても民間人にとってもすべて非業の死である。天皇のため、国のためという理由は、避けられない死を受け入れるために苦悩の中からあえて作り出したものだと、私は想像する。
 10月18日、靖国神社の秋の例大祭に多くの国会議員が参拝し、安倍首相も真榊を奉納した。戦没兵士を国のために忠誠を尽くした英霊と神聖化するのは、宗教法人としての靖国神社の自由である。しかし、政治家がこの教説を賛美することには、断固として異を唱えたい。
 公権力は有為の若者を死地に追いやることもできる。戦後日本の権力者の最大の責務は、戦争による非業の死を繰り返さないことである。そのためには、平和を祈るだけではだめである。戦争は天災ではなく、権力者の政策決定の帰結である。これを繰り返さないためには、誤った政策決定を積み重ねた無能な指導者の責任を明らかにし、そこから教訓を引き出すという冷静な作業が必要である。
 戦死者を英霊と賛美する感傷主義が好きな政治家には、冷静、合理的な政策決定はできない。

東京新聞10月21日

2018.10.23 Tuesday 18:28

野党協力の行方

 気の早い週刊誌は、来年夏の参議院選挙の結果の予想を行っている。政治記者の常識では、自民党の苦戦が予想され、安倍政権の先行きも容易ではないそうだ。しかし、この予測は野党協力、とりわけ1人区での野党候補の一本化を大前提としている。
 各野党の指導者も、協力の必要性を指摘している。私も、各党の幹部に会い、協力の進め方について話し合いをしている。先日は、国民民主党の玉木雄一郎代表と会談した。希望の党の時代のイメージも残っていて、この党の政治家についてよいイメージを持っていない市民も多い。しかし、玉木氏も、立憲主義の擁護、安倍9条改憲への反対という基本姿勢は共有している。彼は、2016年の参院選では地元の香川県で共産党候補を野党統一候補にした実績にも触れ、野党協力への決意を語ってくれた。
 問題は、立憲民主党である。枝野幸男代表も野党協力の必要性は語っている。しかし、野党全体で勝つことより、自分のところの党勢拡大を優先しているような言動もたびたび聞かれる。
 安倍政治を止め、憲法に基づく正直で公平な政治を取り戻すことが来年の参院選の最大の課題である。ことによると、衆参同日選になるかもしれない。野党協力を進めろという声を市民の側からも高めていかなければならない。

東京新聞10月14日

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