2016.07.30 Saturday 14:42

The Japanese people's illusion of freedom


The 18th century Francophone philosopher Jean-Jacques Rousseau wrote as the following in “The Social Contract” in criticizing parliamentary politics: “The people of England regards itself as free; but it is grossly mistaken; it is free only during the election of members of parliament. As soon as they are elected, slavery overtakes it, and it is nothing.”

This criticism by Rousseau can be applied as it is to Prime Minister Shinzo Abe, particularly his betrayal of the Japanese people in his discussion regarding the Constitution. Since the beginning of this year, Prime Minister Abe has expressed his eagerness to revise the Constitution, especially the war-renouncing Article 9, and said he wanted to secure a two-thirds majority of the Upper House needed to initiate a constitutional amendment. However, Abe and his Liberal Democratic Party never touched on the issue during their campaign for the July 10 Upper House election. He essentially escaped from the topic as opposition parties built their campaign cooperation on their common cause of preventing revision of the Constitution.

And when his ruling coalition won the election and political forces in favor of constitutional revision captured the two-thirds majority of the Upper House, the prime minister said, “As for the question of which article of the Constitution should be changed and how, it is expected that the discussion would converge through talks at the Commission on the Constitution (in the Diet). The LDP has consistently advocated revising the Constitution, and it is my duty as president of the party to realize the party’s revision draft. Revising the Constitution is not so easy, since an amendment needs to be initiated with the support of at least the two-thirds of seats in both lower and upper chambers of the Diet. How to build up the two-thirds support on the basis of our party’s idea will indeed be a question of technique of politics.”

To call it “technique of politics” to forge a two-thirds majority consensus on the basis of the LDP’s revision draft is an outrageous attempt at justifying a sneak attack on the people. The LDP’s revision draft, if implemented, will restrict people’s basic rights to a degree “that they will not disrupt public order,” which can possibly result in enabling government authorities to suppress people’s expressions and demonstrations undesirable for those in power as a disruption of public order. The revision draft also makes it people’s obligation to respect what the LDP considers the nation’s tradition and family values. Just as Rousseau warned, the Japanese people can be turned into slaves.
The arrogance of the Abe administration is particularly evident in its policy toward Okinawa. Immediately after the Upper House election was over, the government began construction of a helipad for the U.S. military in its training range in Takae in the northern part of Okinawa Island. The police are using violence against local residents who protest against the move. The national government has also filed a legal action against Okinawa Gov. Takeshi Onaga to confirm illegality of the governor’s decision to cancel his predecessor’s go-ahead for reclamation work to build a new U.S. military facility to replace the U.S. Marine Corp’s Air Station Futenma.

The intentions of Okinawa voters have been repeatedly made clear in recent elections. The Upper House election saw the incumbent Cabinet minister in charge of Okinawa issues lose her Okinawa constituency seat by a large margin. There are no longer any ruling coalition Diet members elected from Okinawan constituencies. But Prime Minister Abe does not seem to care — perhaps the people of Okinawa are not among Japan’s electorate in his mind. For him, the ballots cast by Okinawan voters must be just empty slips of paper.

The problem is that most Japanese people do not seem to regret having chosen such an arrogant leader to take the helm of government. Post-election media surveys clearly indicate that voters have anxiety over the future course of the administration, with one survey by the Asahi Shimbun showing that 48 percent of the respondents say they are “more concerned than hopeful” about Abe’s policies, compared with 35 percent who say they are more hopeful than concerned. The same Asahi poll said 35 percent of the respondents favor revising the Constitution, compared with 43 percent who oppose the revision. However, such concerns on the part of the people do not necessarily translate into political action by them.
In the ongoing Tokyo gubernatorial race, a female candidate who favors revising the Constitution, suggests arming Japan with nuclear weapons and has ties to an organization that promotes racist hate speech is said to be collecting the most support among voters — just because she ran for the election without the LDP’s organized support. Could it be that the Japanese, after all, are an obedient herd of sheep?

Japan Times, July 28


2016.07.30 Saturday 14:29

参院選の帰結と今後の政党政治


 私自身、今回の参院選では市民連合(立憲主義の回復と安保法制の廃止を求める市民連合)の言いだしっぺとして野党結集を呼び掛け、1人区を中心に全国を走り回って野党候補を応援した。今の与党に参議院でも3分の2以上の議席を与えることは日本の立憲民主主義を破壊するという危機感ゆえの行動だった。この観点からは、今回の参院選は野党の敗北である。私たちの危機感を国民の多数が共有しなかったことは、野党と私たち市民団体の力不足というほかない。
自民党の比例票は2千万票を超え、首都圏の選挙区では複数当選を実現した。公明党も完勝であった。選挙後、無所属議員の入党を加えて、自民党は参議院でも単独過半数を回復した。思い起こせば1989年の参院選における自民党大敗から日本政治の動乱が始まったのだが、安倍晋三総裁はこれに終止符を打ったということになる。
 もちろん、衆参いずれの自民党議員も、選挙の際には公明党の協力に頼っているので、単独過半数の回復が連立の解消につながることはないだろう。それにしても、憲法や安全保障問題で自民党が公明党とは異なる政策を追求するうえで、公明党の抵抗力が一層低下することもありうる。選挙戦では憲法問題を封印した安倍首相だが、選挙が終わったとたんに自民党の憲法草案をベースに憲法改正論議を進めたいという意向を明らかにした。今後自民党が打ち出す改憲論議については、国民との間におけるインフォームド・コンセントの欠如という批判を続けていくしかない。
 野党は敗北したとはいえ、ギリギリのところで踏ん張ったという評価もできる。特に32の1人区のうち11で勝利したことで、野党協力はある程度の成果を上げたということができる。民進党が大敗していれば、昨年夏の安保法制反対以来のリベラル路線、およびそれに基づく野党協力が失敗したことになり、民進党はその反動で右傾化したに違いない。そうなると、巨大与党自民党の周りをいくつかの政党がさまよう一党優位体制が出現しただろう。そうした最悪の事態だけは防げたということができる。
 この結果を受けて、安倍政権との対決姿勢と国政選挙における野党協力路線は続くことになる。野党結集と立憲主義の擁護を叫んだ私にとっても望ましい展開ではある。しかし、ここから野党を再生させ、政権交代を展望するまでにはいくつもの難関がある。
 3分の1を攻防戦にした野党結集は、昔の55年体制をほうふつとさせる。3分の1と2分の1の距離はきわめて大きい。社会党は3分の1で満足し、2分の1を目指す努力を放棄した。その結果自民党による長期政権を許すこととなった。今の野党の協力路線が持続されれば、3分の1を確保するくらいの効果はあるだろう。しかし、2分の1を目指す体制を作れるだろうか。
 選挙後の世論調査で、『朝日新聞』は、与党大勝の理由として、国民の7割以上が「野党に魅力がない」ことを挙げ、その割合は民進党、共産党に投票した有権者でも同じであった。しかし、魅力ある野党とは形容矛盾である。魅力がある政党は選挙で勝って、すぐに与党になるはずである。野党が安倍政権の政策に反対を唱えるだけでは頼りない、野党も経済政策について対抗するビジョンを打ち出せという声があることは重々承知している。私自身、野党候補を応援するときに暴走を止めるなどという後ろ向きの言葉を使うのは夢がないと感じてきた。だが、所詮野党の政策は絵に描いた餅である。権力を持たない野党が、政権交代にもつながらない参院選で政策を訴えても現実味はない。
 加えて、野党が抵抗路線を取らざるを得ない理由は、安倍政権の側にある。昨年の安保法制成立後、谷垣禎一幹事長が安倍首相に、安保の後は池田勇人のように経済中心の政権運営をするよう進言したことがあった。安倍自民党が集団的自衛権行使容認で満足し、憲法改正を棚上げにすれば、民主党・民進党がここまで抵抗路線を取る必要はなかった。安倍首相が憲法改正に固執し、政府与党の要人からも自由や人権を脅かす発言が続いたことで、野党と市民運動には憲法と民主主義の危機という感覚が広がり、それが野党協力の土台となった。選挙後、社民党と生活の党が統一会派を作ることになるが、共産党以外の野党が統一して大きな対抗力を作り出すことは必要だと私も思う。
 ただし、抵抗のための野党協力が続けば、そのうちに民進党の中も割れてくるだろう。大阪維新などと連携して、自民党政権に是々非々の姿勢で向き合うという路線を取る政治家が次の再編を起こすかもしれない。
 野党結集が憲法破壊への抵抗というベクトルから、政権交代と政策刷新という前向きのベクトルに変わることは、いかにして可能か。それこそ、今私が最も悩んでいる問題である。内政に関しては、アベノミクスに対抗して、格差・貧困問題の解消に取り組み、雇用と生活の安定から内需主導の程よい経済成長を追求するという政策の処方箋は既に存在する。民主党政権時代から、神野直彦氏などが提言してきた路線は今でも有効である。しかし、消費税によって財源調達を行うという話が出たとたんに、民進党以外の野党からは猛烈な反発が生じる。衆院選での政権構想となると、前途遼遠である。
 今、東京都知事選挙が行われている。ここで野党結集が成功すれば、民進党のリベラル路線と野党協力は当分続くだろう。美濃部都政の時のように、東京都から政策のイノベーションを起こすということもできるかもしれない。人々を鼓舞するシンボルと、社会を造り変えるための論理の両面を追求するという難しい課題に、野党と市民運動は取り組んでいかなければならない。

週刊東洋経済7月30日号

2016.07.25 Monday 14:24

自由という錯覚

 フランスの思想家、ルソーは代議政治を批判して次のように書いた。
「イギリスの人民は自由だと思っているが、それは大まちがいだ。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことで、議員が選ばれるやいなや、イギリス人民は奴隷となり、無に帰してしまう。」
 今、安倍政権はルソーが批判したイギリスの権力者と同じことをしている。参議院選挙が終わるや否や、沖縄県北部の高江でヘリパッドの工事を開始した。反対する住民に警察は暴力を加えている。さらに、政府は翁長知事を相手取って、埋め立て承認取り消しについて違法確認の訴訟を起こした。
 沖縄県民の意思は度重なる選挙で明らかになっている。この参院選でも、現職の沖縄担当大臣を大差で落選させた。しかし、安倍首相にとって、沖縄県民は日本国の主権者には含まれておらず、県民が投じた票は子供銀行のおもちゃのお金の如き紙切れなのだろう。
 本土に住む我々にとって、これは他人事ではない。国民の一部を主権者扱いしないという権力者の傲慢と差別を許せば、次は他の地域、他の集団の人々が同じように主権者から除外されることになる。国政選挙の結果をここまで無視されたら、沖縄以外に住む国民も、民主主義を蹂躙されたことに対して、ふざけるなと声をあげなければならない。

東京新聞7月24日

2016.07.18 Monday 14:26

東京都知事にできること

 都知事選挙が始まった。参議院選挙の最中からのドタバタ劇で、各候補とも政策については準備不足で、議論はなかなか深まらないだろう。ここでは、候補者の政治理念や哲学も重要な判断材料となる。予算が必要な政策は付け焼刃で議論することはできない。しかし、東京をどんな社会にするかという理念については、すぐに論戦ができる。
 私が憂慮しているのは、石原都政以来、東京の公立学校に対する管理、統制が強まり、現場の先生方が息苦しい思いをしながら、教育に当たっていることである。学校では、子どもと向き合うことよりも、上から降りてくる様々な指示に従い、教案や書類を書くことに先生方が忙殺されているという話をしょっちゅう聞く。
教育予算を増やすことも必要だが、学校に自由を取り戻すことには予算なしでもできる。特に、教育委員会の人事を刷新し、権力者の顔色をうかがう官僚主義者を教育の世界から一掃することは知事のリーダーシップで可能なはずである。
 もう1つは差別の禁止、人権の尊重である。今回の選挙戦を、ヘイトスピーチをまき散らす機会に利用している不埒な人物も立候補している。これも知事のイニシアティブで解決できるはずである。
 民主主義と人間の尊厳について、各候補は信念と理念を語ってほしい。

東京新聞7月17日

2016.07.13 Wednesday 14:28

参院選に現れた民意

 憲法改正発議に必要な3分の2を自民党などの改憲勢力が取るかどうかが問われた参院選で、改憲賛成の4党に無所属の賛成派を加えると3分の2を超える結果となった。この結果は、野党及び改憲に反対してきた市民にとって敗北である。しかし、憲法改正の作業がこれからどのように始まるのか、改憲勢力の中にカウントされている公明党がどのような対応をするのか、まだ分からないことだらけであり、敗北感に浸る状況ではない。
 この選挙では、安倍政権の暴走を止めるための手掛かりがいくつか現れたことも確かである。最大の手掛かりは、沖縄と福島で野党候補が現職大臣に勝ったことである。この2つの県は、安倍政権が、さらに戦後日本が繁栄の陰であえて黙殺してきたひずみが集中的に押し付けられている場所である。政府に対して、さらに多数派の国民に対して、それらの地域の住民は、自らの尊厳を主張した結果だと、私は理解する。
 沖縄や福島は例外的な犠牲の場所ではなく、これからの日本を暗示する先行事例であろう。安倍政権の経済政策や憲法改正が実現すれば、沖縄、福島両県民が押し付けられている不条理や苦しみを日本人の大多数が味わうことになる。沖縄では度重なる選挙での拒絶にもかかわらず、安倍政権は辺野古新基地建設を強行しようとする。政府は、民主主義原理の適用除外という差別を行っている。福島では、原発事故の真因の究明は放棄され、放射線量が下がったという理由で避難民の帰還政策が強行されている。記憶の抹消という暴力を政府は住民に加えているのである。
 日本全体でも、格差の拡大と貧困の増加という深刻な病理が進行している。それにもかかわらず多くの投票者は、ひたひたとわが身に押し寄せる生活苦から目をそらし、また憲法改正の可能性について考えをめぐらせることもせず、アベノミクスなる呪文に踊らされて与党に投票した。本当に困っている人はもはや政治に関心を持つ余裕はなく、投票に行く人々にはなにがしかの余裕が残っているということだろう。
 この状況で破局待望論は無責任である。破局を回避することは政治の任務である。野党共闘の成果もあり、野党は一応踏みとどまった感がある。ここから政治の転換を追求するためには、沖縄と福島で勝った候補者に、これらの地域でなぜ勝てたか、住民は何を望んでいるのかをしっかり聞くことから、次の戦略を考えるべきである。

琉球新報7月12日

2016.07.11 Monday 14:20

中立報道が民主主義を壊す

 投票日を迎えてが、今回の参院選には国民の関心が盛り上がらず、投票率が50%を切ることも心配されている。
 野党結集を求めてきた自分たちの力不足を棚に上げるつもりはないが、メディア、特にテレビの選挙報道の貧困には文句を言いたい。参院選の最中だというのに、テレビのワイドショーは東京都知事選挙の候補者について憶測を繰り返すばかりだった。
 テレビ報道に中立を求める政府の脅かしは、てきめんに効果を表していると思う。中立という言葉は誰も否定しない。しかし、2014年の総選挙の際に安倍首相が民放のニュース番組に出て、街の声がアベノミクスに批判的であることを公平な報道ではないと言ったあたりから、政府は中立の中身を都合のいいようにねじ曲げた。
 政権の圧力の前に、テレビ局は批判や疑問が多いという現状をそのまま伝えることではなく、賛成と反対を同じ比重で両論併記することを中立だと考えるようになった。そして、選挙はどう扱っても偏っているとケチをつけられる可能性があり、ならば最初から触れないようにしようということになった。
 もちろん、有権者の行動でマスコミの予想を覆すことこそ民主主義である。ともかくみんな投票に行っていただきたいと切望する。

東京新聞7月10日

2016.07.04 Monday 14:20

盗人に追い銭

 民主主義って何だ?政治家や政党が掲げた政策の中から、国民が望むものを選び、選ばれた代表者や政党が多数の国民が求めた政策を実現する作業という説明が、一応もっともらしい定義である。しかし、現実の政治と教科書の定義の間には大きな乖離がある。
 選挙の時に訴えた政策を実行しないことも、選挙の際にまったく予告しなかったことを実行することも、しばしば起こる。それは必ずしも非難すべきことではない。世の中の動きは複雑かつ急激であり、選挙の時に言わなかったことに至急取り組む必要があるかもしれない。
 国民の命運を左右する重要な政策をインフォームド・コンセントなしに決定した場合、その直後の選挙において国民自身が賛否の意思表示をしなければならない。勝手に決められたことに国民が怒るなら、その怒りは直後の選挙で表現し、勝手に決めた為政者を罰することが必要である。為政者が約束を破った時にはけしからんと声を上げることも大事なことではあるが、選挙で勝てば為政者は、国民が自分の政策を事後的に追認してくれたと正当化する。
 憲法を蹂躙し、国民をたぶらかした権力者を選挙で簡単に勝たせることは、盗人に追い銭を与えることを意味する。選挙とはその国の人々がどこまでお人よしかを測るテストでもある。

東京新聞7月3日

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