フォーラム in 札幌時計台
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3rd Series 2008 AUTUMN
 第3シリーズも盛況のうちに終幕いたしました。ご来場くださった方々にお礼申し上げます。また3月以降の次期シリーズもご期待ください!
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2008年の終わりに当たって

 今年もいろいろなことがありました。しかし、私は、危機こそ現状を変革する好機だと確信しています。来年こそ、日本の政治を転換する歴史的な1年にしなければなりません。

 新年1月1日夜9時から、NHKのNHKスペシャルで、竹中平蔵、八代尚宏、岡本行夫、金子勝、斎藤貴男、勝間和代の各氏とともに2009年の日本の進路について議論します。時間のある方は是非ご覧ください。番組ホームページはこちらです。

at 13:28, 山口二郎, お知らせ

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派遣切り報道への疑問

 このところ、日本を代表する大企業で非正規労働者の解雇が相次いでいる。テレビも新聞もこれを社会問題として大きく報道している。しかし、今頃何を言っているのだという疑問をぬぐえない。そもそも労働の規制緩和は、不景気の時に企業が容易に、合法的に首切りできるようにするために決定された政策である。大企業が遠慮会釈なく首切りをすることこそ、「構造改革」の実が挙がっている証拠である。

 水道管にわざと穴を空けておいて、今頃水が漏れていると大騒ぎするメディアは、善意かも知れないが、愚かである。例外なき規制緩和の旗を振った経済財政諮問会議や規制改革会議の連中は現状をどう思っているのだろう。竹中平蔵や宮内義彦にもし会う機会があれば、構造改革の成果が上がって嬉しいでしょうと言ってやりたい。もし政策が失敗したと思うなら、中谷巌のように素直に謝るべきである。

 雇用危機も医療崩壊も、政策転換の結果であり、人災である。被害者に対する共感は必要だが、意図的に人災を作り出した連中には怒りが必要である。この七,八年を振り返り、そのような厳しい総括をすることこそ、メディアの役割ではないか。政策を決定した人々の固有名詞を挙げた議論こそ必要である。メディア自身も、規制緩和をどう論じてきたか、きちんと反省してほしい。(東京新聞12月22日)

at 00:00, 山口二郎, 東京新聞 本音のコラム

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有意義な政権交代のために

 12月初旬に報道各社が行った世論調査では、麻生政権支持率が軒並み20%代前半にまで落ち込み、政権運営は危険水域に入った。麻生首相がいつまで持つかとか、次の総選挙前に再編の動きがあるのではないかと、永田町はにわかに騒がしくなった。溺れる自民党は福田を捨てて、麻生という藁をつかんだが、それによってもっと大きな墓穴を掘ることになった。今年の秋に選挙をしていたら、自民党と民主党が第一党の座をめぐる接戦を繰り広げたのだろうが、来年春以降に選挙があれば、自民党は惨敗するのではないか。政治の運命の過酷さを感じざるを得ない。

 日本の危機は幾重にも折り重なっている。小泉構造改革によって国内の社会、経済が荒廃、疲弊しているうえに、世界的な金融危機が重なった。派遣労働者の大量解雇などにより生活の危機は一層深まるばかりである。また政治面では、新自由主義路線の破綻という世界的な政策の潮流に加えて、自民党の劣化という日本特有の問題が重なっている。口先では未曾有の経済危機と言いながら、国民が直面している危機の大きさを察知できない能天気な指導者は権力を守ることだけを目標に動いている。それこそ最大の危機である。

 政治的な危機の源をたどれば、2005年総選挙に行き着く。あの選挙で与党は衆議院の絶対多数を得たにもかかわらず、郵政民営化以外にはめぼしい政策を実現できなかった。安倍政権時代の復古主義的教育政策などは論外として、改革といえば、社会保障や地方財政に関する財務省主導の中途半端な歳出抑制策が決まっただけで、日本の未来に向けた制度的先行投資は行われなかった。国会における安定多数を政策実現のために有意義に活用することなく、与党は漫然と時を過ごしてきた。

 また、あの選挙以来、自民党では世論迎合政治が決定的に支配するようになった。受けのいいリーダーを選んで、それにぶら下がって次の選挙を迎えるという安易な手法が蔓延するようになった。自民党全体でリーダーを鍛え上げ、問題に立ち向かうというよりも、人気のありそうなリーダーという勝ち馬に自分も乗るという、ケインズの言う美人コンテストのようなリーダー選びが、ポスト小泉の時代には続いた。政府の行動について世論の支持を作りあげるという能動的な姿勢は影を潜め、世論らしきものを常に忖度しながら、それにおずおずとついていくという意味で、消極的な世論迎合政治が自民党の特徴となった。

 ここまで自民党政治が劣化すれば、もはや政権交代は必然である。ちょっと気は早いが、有意義な政権交代が実現するために何が必要か、考えてみたい。単に麻生あるいはその後継の政権に引導を渡すというだけの政権交替では意味はない。現在の危機を脱するための政策転換について、推進力を得る政権交代になるかどうかが問われるのである。

 この点に関連して思い出すのは、1997年5月に起こったイギリスの政権交代である。あの時私は、オックスフォード大学に留学していて、選挙の前後における政治の展開を観察することができた。18年ぶりの政権を奪還したトニー・ブレア率いる労働党は、周到かつ強力に政策転換を実現した。まず手をつけたのは、スコットランドの地方分権、イングランド銀行の独立性強化など、金はかからないが、印象的な政策転換であった。そして、ある程度政権基盤が安定したところで、勤労者向けの所得減税、医療政策の大幅拡充など、予算の絡む政策転換を大規模に実施した。政権交代の前に、明確なマニフェストを作り、どのようなテーマについて、どのような手順で政策転換を進めるかという戦略が十分できていたからこそ、水際立った政権運営が可能となったのである。

 本来ならもっと早く実現すべきだった政権交代をブレア以前の労働党指導部の詰めの甘さで逃していた。しかし、そのおかげで保守党政権は一層陳腐化し、国民の飽きも頂点に達した。そしてブレアのもとに若くて優秀な政治家が結集し、次の政権の準備を虎視眈々と行っていた。

 今の民主党に、そのような戦略や準備はあるのだろうか。国民の社会経済状況に対する危機感と、自民党政治の堕落に対する不満を背景とした新政権は、強い正統性と大きな勢いを持つはずである。その勢いがある間に、平時では官僚の反対などがあって難しい課題について、一気に実現するという戦略が必要である。社会保障制度の再建、疲弊した地方の再生につながるような地方分権が、その際真っ先に追求すべき課題となるであろう。民主党のマニフェストについていろいろ話は伝わってくるが、大局観が見えてこないことは残念である。

 年が明け、通常国会が始まれば、衆議院の残り任期はカウントダウン状態となる。麻生政権や自民党は自壊の道をたどっており、ことさら早期解散などと叫ばなくても、決戦の時はおのずとやってくる。むしろ今の民主党に必要なのは、政策面での戦略と準備である。政治改革という単一争点だけで、その他の具体的な政策課題に何ら手をつけられなかった細川連立政権の失敗が頭をよぎる。

 落ち目の自民党の中では、選挙前の再編論議も出てくるだろう。しかし、そんなものに付き合って、政権交代の意義をぼやかすようなことをすれば、民主党にとっては自殺行為である。仮に、小泉政権の新自由主義改革路線や対米追随路線に対する総括もなしに、中川秀直元幹事長やいわゆる若手改革派とつながるならば、それは大義名分も理念もない、自己目的的な再編ゲームである。そのような見え透いた策動に誘い出される軽率な政治家はいないだろうとは思うが、気になるところではある。

 2009年は、日本にとって半世紀に一度というような大きな政治選択の年となる。ここで誤りなきを期すためには、民主党の自重と研鑽が必要なのである。(週刊東洋経済12月20日号)

at 00:00, 山口二郎, 週刊東洋経済 政治フォーカス

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自民党は生き残れるか

 このところ、麻生政権支持率が二〇%程度まで落ち込んだことが、政界に大きな衝撃を与えている。こういう時は、急場をしのごうとして小手先のごまかしをすればするほど、大きな墓穴を掘るものである。今年秋に解散総選挙を行っていたならば、自民党はまだ民主党と接戦を演じることができたであろう。うまくすれば、第一党の地位を守ることができたかもしれない。しかし、選挙を先送りしたことで、麻生首相のぼろが次々と出て、人気低下は加速した。来年はいずれにしても総選挙が行われるが、もはや自民党には劣勢を挽回する力は残っていない。選挙での大敗、政権交代は必至であろう。

 こんなときには、自民党の執行部を批判することで正義派を気取ったり、自民党内から逃げ出そうとしたりする政治家が現れるものである。一二月一四日のテレビ番組では、加藤紘一、山崎拓両氏が、菅直人、亀井静香両氏と意気投合し、これから協力していくことを明らかにしたそうである。

 以前に本欄で書いたように、私は加藤氏を尊敬しており、下世話な言い方をすれば、最後にもう一花咲かせてもらいたいと思っている。しかし、自民党が決定的に落ち目になり、有象無象が逃げ出しを図っている時に、真っ先に民主党首脳と気脈を通じるというのは、見栄えのよい話ではない。

 自民党の良識派のとるべき道は二つしかないと思う。一つは、思わせぶりな自民党批判をやめて、ただちに離党、新党結成という行動を起こすことである。本物の政治家にとっては、麻生のような不適格な人物を総理・総裁にいただくことには耐えられないはずである。麻生政権が続くこと自体が政治空白なのだから、政権崩壊、総選挙は早ければ早いほどよい。本格的な予算審議の前に新しい政権を作った方が経済対策にも好都合である。衆議院での三分の二による再議決を阻止するための議員を確保すれば、たちまち政権は崩壊する。動くなら今である。

 もう一つは、自ら下野することによって、自民党そのものを立て直すことである。政権交代を叫んできた私にしても、民主党に政権が転がり込んだときに、本当に政権運営ができるかどうか、大きな不安を持っている。そこにこそ、自民党にとっての起死回生のチャンスがある。政権の座にいたまま党の体勢を立て直すなどというのは虫のよすぎる話である。自民党をここまでだめにした責任者を追放し、危機の時代に即応した政策を作り直すためには、一度野党になり、党内の人事抗争や路線論争をくぐらなければならない。

 再編の季節には、政治家の血も騒ぐことだろう。しかし、自民党もだめ、民主党もだめという俗説に、野党の側が同調してはならない。日本をだめにしたのはあくまで自民党である。政治を再建する作業は、自民党に対する徹底的な批判から始めなければならない。小泉時代以来の新自由主義構造改革と、対米従属路線に対する厳しい総括を行うことこそ、これからの政治を考える作業の原点となるべきである。その点をあいまいにして、麻生批判という外見だけで合従連衡を試みるならば、政党政治全体が国民の信用を失うに違いない。今のような混乱期にこそ、政治家の存念や政党の原点が問われるのである。(週刊金曜日12月19日号)

at 00:00, 山口二郎, 週刊金曜日 政治コラム

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新自由主義か社会民主主義か(竹中平蔵氏との対談)



・モデルチェンジできなかった自民

山口 自民党新総裁に麻生さんが選ばれましたが、安倍さん福田さんと続けて一年足らずで政権を投げ出してしまうというのは尋常ならざる事態で、自民党の統治能力は危機的状況にあると評価せざるをえません。なぜこんなことになったのか? やはり小泉―竹中路線の遂行によって、自民党は本丸から壊されたのだと思います。

 竹中さんが司令塔になって、郵政民営化に象徴される構造改革を断行した。当然それは支持基盤の再編成を伴うもので、何よりも政治家の頭の中を入れ替える作業が必要でした。その方向に党全体がモデルチェンジできていれば、それはそれで生きる道だったはずです。ところが、簡単には変われなかった。多くの自民党議員は「人気にあやかろう」という程度の認識だったのに、小泉さんが予想外に力を持って本気で規制緩和をやり出した結果、自らの地盤がどんどん掘り崩されていくわけです。そのことに対する危機感、反発が噴き出して、党が〝股裂き〟状態に陥ってしまった――というのが僕の現状認識です。

竹中 認識はほぼ同じです。ただ、小泉さんが登場する前に、自民党はすでに崩壊のプロセスをたどっていました。〝失われた一〇年〟を止められなかった自民党は、もはや統治能力を失い、まさに崩れ落ちようとした。その時に小泉さんが登場して改革の旗を振り、当面の危機から救ったのです。

 ところが、安倍さんが総理になったころから、党内に「揉め事をつくるな」という空気が生まれ、安倍さんはそうした意見を受け入れた。郵政造反組の復党まで許しました。小泉時代に芽を出した生まれ変わるチャンスを、みすみす摘んでしまった。

山口 この間の経緯で、自民党内で小泉さんと志を同じだった人は少数派だったことが明らかになりました。

竹中 内情を暴露すれば、不良債権処理や郵政民営化に本気だったのは、小泉さんと私と、あとは一握りの人たちでした。今回の総裁選を見ていると、改革派がますます肩身の狭い状況に追い込まれているのを実感します。
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at 21:43, 山口二郎, その他

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一党優位体制の崩壊と政治変革の展望


一党優位体制の崩壊と政治変革の展望
1 政治と経済の複合危機

 二〇〇八年九月は、日本では福田康夫首相の退陣表明とともに始まり、世界的な経済の動乱が襲った。住宅バブルの崩壊に端を発するアメリカの金融不安は、大手証券会社の破綻や身売りにまで発展した。世界中に衝撃が駆け巡り、各国政府、中央銀行は対策に大童であった。しかし、今回の証券会社の破綻は、混乱の第一幕でしかないのであろう。金子勝氏が再三指摘したように、サブプライム問題から始まる不良債権の構図はあまりにも大規模かつ複雑で、その全体像が容易に見えず、政府も市場も底を打ったという感覚ももてないでいる。

 福田首相は、自分の後継者を選ぶ総裁選挙を華々しく行い、国民の耳目を集めて、劣勢を挽回しようと考えていた。小泉劇場の夢よ、もう一度というわけである。しかし、その目論見は外れてしまった。各国の首脳が必死で経済対策を考えているときに、総裁候補は各地を巡業し、抽象的な持論を繰り返すだけであった。大型台風襲来で大嵐が吹き荒れている中で、自民党一座は能天気に季節はずれの盆踊りを踊っていたようなものである。国民もメディアも、ショーを面白がるよりも、呆れ果てて冷ややかな視線を送っていた。

 アメリカ発の金融危機が二〇〇八年のアメリカ大統領選挙と日本の総選挙に重なったことの意味は極めて大きい。この事態は、世界政治の大きな循環が次の段階に入ったことを告げているように思えるのである。

 第二次世界大戦後の先進国の政治には、30年程度の大きな周期がある。戦争終了後、一九七〇年代までは世界的な経済の拡大期で、完全雇用の達成が政策目標となり、福祉国家の整備が行われた。言わば、第一の循環はケインズ主義と大きな政府の時代であった。そして、二大政党制の国でも、政党間の政策的な差異が縮小した。国民生活の向上のために政府が社会保障や雇用政策を積極的に展開することが、統治の自明のモデルとなった。

 戦後の福祉国家体制が成立して三十年ほど経過した一九七〇年代の後半、この体制は大きく動揺した。石油危機による経済成長の鈍化、インフレの進行など、福祉国家を支えた経済的条件が崩れた。他方、国民各層を受益者に組み込んだ民主政治の仕組みは、「痛み」をともなう政策を決定することができず、政策決定システムは機能不全に陥った。一九七九年のイギリスにおけるサッチャー政権の登場、一九八〇年のアメリカ大統領選挙におけるロナルド・レーガンの当選が、次の時代の幕開けとなった。第二の循環は、小さな政府の時代であり、再分配よりも生産、平等よりも自由競争が重視された。利益の追求の奨励、富の集中の正当化、国民一般に対する政策的サービスの縮小などがこの時代の政策の基調となった。こうした政策を支えた理念が、新自由主義であった。新自由主義では政府が社会経済の問題を解決するのではなく、政府自体が問題の原因だと捉えられていた。

 新自由主義の政策は、石油危機以後のスタグフレーション(不況とインフレの同時進行)を克服する上で有効であったとされる。しかし、同時に様々な弊害ももたらした。経済成長が回復しても、富は上層に偏在し、不平等と貧困が深刻化した。また、小さな政府路線のもとで教育や医療などの公共サービスが劣化したことも、国民一般には大きな被害をもたらした。そこで、九〇年代にはアメリカにおけるクリントン政権の登場、西ヨーロッパにおける中道左派政権(イギリスのブレア政権、ドイツのシュレーダー政権)の登場など、新自由主義路線を修正する動きも起こった。イギリスにおける雇用政策のように、それらの政権の実験には注目、評価すべき点もあるが、時代を転換するまでには至らなかった。ブレア、シュレーダー、両元首相は、退任後コンサルタントして、グローバル経済の中に身を投じ、大きな富を手にしている。そして、アメリカもイギリスも、金融危機の発信地となった。

 二〇〇八年九月の世界金融危機は、過去三十年続いた新自由主義の時代が、もはや持続不可能であることを教える事件である。利益追求の奨励と富の集中を正当化してきた果てに、サブプライムローン関連商品に現れたように投機の自己増殖が進んだ。他方、不平等と貧困が拡大する中で低所得者のローン返済が滞り、不良債権の山ができた。この三十年の金融資本主義と浮利の追求の行き着く先が今回の危機である。もはや、市場、利益追求、競争主義など一連の政策理念は、社会経済の問題解決の手段ではなく、それ自体が問題の原因となっている。およそ三十年の周期を経て、世界の政治は次の段階に入ろうとしているのであろう。これから戦われる日米の選挙は、一九八〇年、あるいは大恐慌さなかの一九三二年の大統領選挙に匹敵する重要性を持っている。もちろん、今度の選挙では新自由主義を転換するというベクトルが基調となるべきことは、言うまでもない。
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at 16:37, 山口二郎, その他

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雇用の危機

 この秋以降の急速な景気の悪化によって、雇用情勢も厳しくなっている。特に気になるのは、大学生に対する就職内定の取り消しが相次いでいることである。内定は正式の雇用契約ではないので、取り消しても企業の側には罰則はない。景気の停滞が続く可能性が高まれば、企業の側は遠慮会釈もなしに内定を取り消せるという感覚なのだろう。

 この数年、労働者を整理することが経営者の手腕のように言われ、労働コストを下げることが企業経営の要諦とされてきた。しかし、労働者は人間であって、ものではない。特に、これから自立した人生を始めようという若者が企業の経営事情によってもてあそばれるのは、理不尽である。

 ここで我々は働くこと意味について、考え直す必要がある。人間は働くことによって社会とつながり、生きる意味を獲得する。普通の人がまっとうに働く機会を持てない社会は、確実に荒廃する。

 政府が景気対策を展開することはもちろん必要である。それに加え、社会の側でも、ワークシェアリングのあり方を真剣に考える時である。規制緩和論者は、安定した職に就いている労働者を既得権勢力と呼び、非正規労働者との対立を煽っている。こうした偽りの対立軸を打ち壊すためにも、社会全体でこれから働こうとする人々にどのようにして機会を提供するか考えるべきである。(東京新聞12月1日)

at 00:00, 山口二郎, 東京新聞 本音のコラム

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