2010.07.12 Monday 00:39

世論調査支配

 いよいよ参議院選挙の投票日である。これからの日本の進路の選択に大きな影響を与える選挙である。読者の皆さんにもぜひ投票に行っていただきたいと思う。

 今回の選挙戦を見て、頻繁な世論調査の弊害が現れてきたように思う。民主党の終盤の劣勢は、主として菅首相の消費税率引き上げをめぐる不用意な発言に起因しているので、自業自得ではある。それにしても、毎週世論調査を行い、首相の発言をどう思うか人々の瞬間的な反応を調べ、そこから出てきた数字が政局を動かすという事態が、本来の民主政治なのかという疑念を覚える。ほかならぬ数人の新聞記者からも、世論調査をやりすぎるのだという正直な感想を聞いた。電話の世論調査に答える側がどこまで十分考えて答えているのかという疑問もある。

 税制改革のような争点については、腰を据えた議論が必要である。そのためには、政治家が周到に準備し、国民を説得するための論理を構築しなければならない。それと同時に、世論調査に振り回されない、息の長い議論をメディアもしなければならない。

 世論調査の支持率で政治家が右往左往し、必死で数字を上げるための策を考えるという状態は、蜃気楼を見てパニックに陥るようなものである。熟慮の上の世論を形成するためにはメディアの責任も重い。(東京新聞7月11日)


2010.07.11 Sunday 01:14

菅直人の現実性について

 菅政権に対して、自民党や右派メディアは「左派政権」という非難を浴びせている。私などは、当節の勉強不足の政治家や評論家は左派とは何かを知らない、こんな政権はまだ左派性が足りないと思うのだが、菅直人がいかなる意味の左派かを考えることは、この政権の特徴を捉えるための重要な切り口である。

 菅はその出自からして、確かに左派的イメージを持った政治家である。権威主義を排して対等な個人同士が自由意思で結合する市民社会を志向するという点、市場経済の行きすぎを政府の力で是正し人間の尊厳を確保しようとするという点の二つにおいて、菅の主張は左派的である。こうした思想は現在の日本にとってきわめて必要なものであり、左派と言われても何ら恥じることはない。しかし、日本では左派というと現実を見ない夢想主義、政治の複雑さに耐えられない単純思考という響きもある。最近では、こうした特徴は連立離脱の際の社民党にも発揮された。

 ヨーロッパに行けば、ドイツのブラント、フランスのミッテランなど現実的左派政治家は何人もいた。菅自身は左派という言葉を使わないだろうが、彼は日本で初めての現実主義的左派という政治家像を模索していると私は想像している。菅については、橋本政権の厚生大臣として薬害エイズ事件の究明に尽力した実績から、官僚を使いこなして物事を成し遂げる(get things done)能力を持つという期待がある。他方で、鳩山政権の副総理として危うい問題には一切口をつぐんで首相の座を手に入れた権力志向の風見鶏というイメージもある。

 ここで問われるのは、現実主義の意味である。戦後の日本政治では、現実主義と理想主義が磁石の両極のように対置されてきた。日本的理想主義とは、社民党に代表されるように、ユートピアを求め、現実を否定、拒絶する態度であった。それは、「政治とは悪さ加減の選択」という鉄則を無視し、ベストを求め、ベターを拒絶するあまり、かえって変化の芽を摘み、現実の固定化を助長するという帰結をもたらした。

日本的現実主義について、丸山真男は「「現実」主義の陥穽」という論文の中で、所与の現実を不動の前提と考える、現実を一次元的なものと考える、支配権力の考える現実を現実とみなすという三つの特徴を挙げている。力の強い者が押しつける現実を有り難がり、それに不都合があっても一切変革の努力を放棄するのが日本の現実主義であった。

たとえば、西ドイツの首相ブラントは、東欧諸国との和解という一見不可能な目標に挑戦し、岩盤に穴を穿つ努力を重ねて東方外交を実現したという点で、真の現実主義者であった。その時の現実から出発することは当然としても、現状に甘んじるのではなく、将来どのような方向を目指すのか、方向性を示すことこそ、現実主義的な指導者の使命である。

菅首相が就任早々税制改革の必要性を提起したことによって、彼がどの程度の現実主義者か量られることとなった。民主党が主張する積極的社会政策を実現するためには、歳入確保のための対策が不可欠である。また、財政赤字に歯止めをかけることも必要である。財務大臣としての経験をもとに、財政の持続可能性を回復したいという菅の思いは、額面通り受け取ってよいであろう。それにしても、消費税率の引き上げを中心とする税制改革が、財政赤字を減らしたいという財務官僚の現実主義に基づく提案なのか、最小不幸社会を実現するための政策手段を実行するための財源の確保なのか、その意味づけを明確にしなければ、国民はどう考えてよいか分からなくなる。

菅の言う強い経済、強い社会保障、強い財政という三つのスローガンにしても、よく考えてみると国の針路とするには詰めが足りない。菅は、財政学者の神野直彦氏の理論から影響を受けていると称しているが、神野氏はこの三つについて明確な優先順位をつけている。財政赤字が増加するのは、失業や貧困の蔓延、地域社会の空洞化など社会の荒廃の表現である。より多くの人が働いて所得を得るならば、税収が増える一方で、生活保護などの財政支援が縮小する。また、若い人々が家庭を築き、出生数が増えるならば、社会保障や財政の持続可能性を回復する基盤ができる。

強い経済は働く人々に生活の糧をもたらすのだろうか。日本は小泉時代に数年間、輸出企業主導で強い経済を実現した。しかし、その間も財政赤字は増え続け、人々の賃金は減り続けた。人々に富を配分しない強い経済は、社会保障と財政を弱めるというのが現実の経験であった。強い社会保障によって人々が仕事と家庭を持続できるような環境を整え、それによって経済を強くし、最終的に財政も強くなるというのが、菅政権の本来の経済ビジョンであろう。

エセ現実主義者は、様々な議論から都合のよいスローガンをつまみ食いして、パッチワークを造りたがる。菅の言う政調戦略や財政健全化がそのようなパッチワークなのか、真のビジョンなのか、選挙戦の論争の中で試されることとなる。

もちろん私は、菅に真の現実主義者であってもらいたいと願っている。ヨーロッパモデルの福祉国家を実現するためには、日本人はもっと租税負担を上げなければならないという現実を突きつけ、ともに悩むことを提案した点は、勇気ある行動だと評価したい。しかし、その勇気だけでは国民は説得されない。菅が政権発足当初、小沢前幹事長から自立した行動を取ったことで、この政権は高い支持率を得た。政策論議の段階に入った今、財務省から自立することこそ、国民の信頼を得るために不可欠である。帳面上の赤字減らしではなく、国民生活を支えるための財源として負担増を位置づける分かりやすい説明が求められている。(週刊東洋経済7月10日号)


2010.07.05 Monday 00:12

税の公平

 選挙に向けて税金に関する議論がさかんになった。今まで増税に蓋をして社会サービスを拡大してきたことを考えれば、このタイミングで税負担の今後の方向について議論を始めることは必要である。

 最大の懸念は、菅首相が財務官僚に操られて、もっぱら財政の帳尻あわせのために増税を訴えているのではないかという点である。財務省の役人が赤字を心配するのは当然かもしれないが、はいそうですかとは言えない事情がある。事業仕分けで明らかになった各種の無駄は、予算を査定した財務省主計局の役人も先刻承知だったはずである。自分たちの査定能力の欠如を棚に上げて、他に悪者を仕立てるやり口は姑息である。

また、消費税率の引き上げばかりに焦点が当たっている感もあるが、所得税の累進制の強化、相続税の増税など、公平の観点からしなければならないことがある。ついでながら、相撲協会に犯罪が相次いでいる今、あんな反社会的団体に財団法人としての税の優遇を与えることは犯罪的である。

 菅首相のいう政治主導が本物かどうか。それは彼のいう税制改革の議論がどこまで財務官僚の思惑から独立した、筋の通ったものかを見れば分かる。みんなが税を多めに払うことでどのような社会を実現するのか、ゴールを描くことが税制論議の出発点である。(東京新聞7月4日)


2010.06.30 Wednesday 00:20

参議院選挙の争点

 鳩山政権の崩壊、菅政権の誕生、そして民主党支持の急速な回復と、この1か月ほどの間、政治は目まぐるしい動きを続けてきた。私なども、鳩山退陣の時には表紙を替えただけで民主党支持が戻るなどと安直なことを考えてはならないと、民主党に警告を発していたのだが、その予想は外れた。

 民主党支持のV字回復は、鳩山・小沢には幻滅したが、政権交代自体にはまだ期待しているという民意の表れである。国民は寛大にも、民主党に2度目のチャンスを与えた。3度目はない。菅政権が実績を上げることができなければ、国民は政党政治そのものに不信を抱くことになる。今、鹿児島県阿久根市の市長が何かと話題を呼んでいるが、あの種の独裁的なリーダーに捨て鉢な希望を託すという現象が国レベルでも起こるかもしれない。

では、民主党は最後のチャンスをどのように生かすべきか。また、今回の参議院選挙をそのためにどのように位置づけるべきか、考えてみたい。この参院選の最大の意義は、政権交代から9か月経って、初めてまともな政策論争ができる機会が訪れたという点にある。昨年の総選挙では、政権交代自体が唯一の争点となった。半世紀に及ぶ自民党政権を倒す機会だったので、それもやむを得なかった。民主党は政権交代を全面に掲げ、政権交代によって何を実現するかという政策面の準備を十分しなかった。もちろんマニフェストは作成したが、政権運営の基軸になるレベルのものではなかった。その未熟さは、予算編成や税制改正の議論の中で、たとえば揮発油税の暫定税率の扱いや高速道路無料化の進め方などに関して露呈された。

政権をまったく経験したことのない政党が政権綱領を作るのだから、多少詰めが甘いのも仕方ない。初めての政権交代だから試行錯誤がつきまとうのもある程度やむを得ない。問題は、政権運営の経験の中で、自らの誤りに気づき、これを自分で修正できるかどうかという点にある。

菅首相が選挙に向けて、いささか唐突であるが、財政健全化や消費税率の引き上げの必要性を提起した。手順が違うという批判もあるが、私は菅首相の提起を、今までの政権運営の誤りから学んだ成果として、肯定的に評価したい。民主党は昨年のマニフェストで無駄を省いて子ども手当などの財源を作り出すと訴えていた。しかし、実際に政権を取って予算編成をすれば、そう簡単な話ではないことが分かったはずである。マニフェスト違反という非難を浴びせるよりは、我々がこれからどのような社会を造り出そうとするのか、そのために財政基盤をどのように再建するのか、大枠に関するまじめな議論が始まったと評価すべきである。

もちろん、民主党の変身をただ肯定するわけにはいかない。今までの民主党政権の根本的な欠陥、マニフェストにおける理念の不在という問題を乗り越える意欲があるかどうか不明だからである。昨年のマニフェストは項目の羅列に過ぎず、民主党がどのような社会を目指すのか、基本的な理念が不明であった。だから、たとえば子ども手当をもらっても、もらう側は手当の意義が理解できず、せっかくの画期的な政策にもかかわらず、国民の評価は低い。

国民の負担増に関する議論を進めるためには、政党、政治家はより一層明確な理念を掲げる必要がある。菅首相が消費税率の引き上げを呼びかけるのはよいとして、それがどのような社会を建設する財源になるのか、具体的に説明しなければならない。みんなで負担し、みんなが受益する福祉国家を作るための税制改革なのか、財務官僚の口車に乗せられて財政の帳尻を合わせるための増税なのか、国民はまだ納得していない。参議院選挙は、政権選択に直結しないという意味では、自由な論争をする好機である。これからの選挙戦の中で、そのような論争を深めてほしい。(山陽新聞6月29日)


2010.06.28 Monday 01:09

答えのない問い

 NHK教育テレビで、ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の講義が放映されて、予想外の反響をもたらした。この講義は正義をめぐる抽象的な議論であった。ソクラテスを連想させる問答形式で学生から多様な意見を引き出しながら考えを深める様子に、日本人も魅了されたのだろう。 

 私が最も感心したのは、拝金主義のメッカであるはずのアメリカで、知を尊重する気風が大学で脈々と受け継がれている点である。正義とは何かなどという問いには一つの正解はない。答えのない問いを考え続けることは、人間の知性を鍛え、それが実践的な問題を解決するための基礎体力となった。

 アメリカの大学では法律や経営など実務や富に直結する専門教育が重視されているという印象がある。しかし、ハーバードなどの名門校では答えのない問題を考え続ける基礎教育も重視されている。それがエリートの知的水準を押し上げているのだろう。

 日本ではこの十数年、大学改革の名のもとにすぐに役立つ学問ばかりが優先されてきた。正解を教え込んで試験に受かることが大学教育の目的になっている感がある。学問を現世的な目的を達成するための手段と位置付けるならば、知性を持たない薄っぺらなエリートが生み出されるだけである。(東京新聞6月27日)


2010.06.26 Saturday 00:44

社会民主主義とは何か

 参議院選挙に向けて各党の政策が打ち出された。特に目を引くのは、民主党が昨年の総選挙で封印していた増税の議論を正面に出した点である。これについては、約束違反だという批判も当然出てくる。それにしても、日本で福祉国家を整備するという理念に照らせば、政策論議が進んでいるという肯定的な評価をしたいと、私は考えている。

 今年度予算は、財源が極めて乏しい中、子ども手当や公立高校の無償化に踏み出した。これは政権交代の大きな成果である。本誌編集部を含め、左派、進歩派の中でこの種の政策にいちゃもんをつける人々もいるが、自民党時代の冷酷な政府の方がよかったとでもいうのだろうか。理想的な政策は一夜でできるものではない。まず現金給付の仕組みを作り、保育等のサービスを拡充するという段階を踏むのは当然である。

しかし、今の財政状況を見れば、この種の積極的な社会支出を維持することが不可能であることも明らかである。そこで、持続的財源を捜すという議論が始まった。私の言葉で言えば、お代は見てのお帰りということである。親の貧困、生活苦を子ども世代に伝えないという理念を実現するためには、数兆円規模の支出が必要である。他方、無駄の代表といわれた公共事業も、これ以上減らすと地域経済は本当に壊滅する瀬戸際である。だから、新たに財源を見つけるしかない。公務員の削減も、官製ワーキングプアを増やすだけで、これ以上すべきではない。つまり、増税の議論は不可避である。

先週号のインタビューで、福島みずほ社民党党首は社会民主主義の必要性を唱えていた。私も同感である。しかし、この際敢えて言いたい。社民党の存在こそ、日本人が社会民主主義について誤解する原因である。社会民主主義を選んでいる欧州諸国における租税社会保険料の国民所得に対する負担率は日本の1.5から2倍である。社会政策の面でヨーロッパ並みを目指すなら、負担もヨーロッパ並みに引き上げなければ、帳尻は合わない。

社民党およびその支持者は、今の政府を信用できないから増税の議論は受け容れられないという主張をする。一件もっともなこの種の議論は、実は新自由主義と財務省主導の自己目的的財政再建への道を開くのである。新自由主義は政府に対する徹底的な不信を前提としている。その種の議論を逆手にとって、新自由主義者は、政府は常に信用できないのだから、政府に金を預けるよりも、徹底した歳出削減で国民負担を小さく抑えようと言う。これは小泉時代に実際に起きたことである。

政権交代によって、積極的な社会政策が広がり始めた。しかし、圧倒的な歳入不足が政策の本格的な展開を阻んでいる。今財源を見つけなければ、始まりかけた社会民主主義路線は簡単に瓦解する。消費税率引き上げの前に、資産課税、相続税、所得税の累進制の強化など先にやるべきだという意見があるなら、この際しっかり主張してもらいたい。それでも財源が不足するなら、消費税率の引き上げも選択肢の中に入れなければならない。国民負担を増やすことなしに福祉国家は建設できないという現実こそ、社会民主主義者が主張すべきである。(週刊金曜日6月25日号)


2010.06.24 Thursday 00:43

裏切られた革命?  鳩山政権の蹉跌をいかに乗り越えるか

 世論調査のたびに鳩山内閣の支持率は低下を続け、五月末には政権危機までがささやかれる有様である。長年、民主党を軸とする政権交代の必要性を説いてきた者にとって、この政権の「敗因」を論じることは辛い作業である。しかし、鳩山政権が何を達成し、どのような限界にぶつかったのかを明らかにしなければ、日本の政党政治は前進しない。

 この政権が麻痺状態に陥った最大の理由は、民主党が政権交代を自己目的としたこと、あるいは実体的な政策転換についての十分な展望を持っていなかったことに尽きる。半世紀以上も続いた自民党政権を倒すことがそれ自体目的となったことは仕方ない。しかし、それは政界関係者にとっての話である。政権交代がよりよい社会を作り出すことにつながらなければ、それは民主党にとっての自己満足で終わる。

 もちろん、民主党もマニフェストを作り、自民党政権が進めた政策を大きく転換することを訴えていた。だが、それは明確な理念に基づく体系というよりも、スーパーの開店記念セールのチラシのように、様々な項目が羅列されていたに過ぎない。地球温暖化防止と揮発油税減税や高速道路無料化など、相矛盾する項目も並存している。目指すべき政策に関する確信が内閣と与党の指導部に共有されていなかったことが、後に混乱を作り出すこととなった。

 ここで改めて、政権交代の歴史的意義と、民主党が目指すべき政策の方向を整理しておきたい。ここでの整理は、私自身の考えであるが、民主党の政策にも表現されていることである。私は、民主党政権の樹立を戦後日本政治の第三の段階として位置づけている。第1の段階は、かつての自民党と官僚の連合体による再分配政治であった。日本の場合、制度的再分配、つまり社会保障は貧弱で、官僚のさじ加減と政治の圧力で左右される公共事業補助金、護送船団方式による業界保護が政治の焦点となった。これらの裁量的政策により競争力の弱いセクターで雇用が確保され、結果として貧困、失業等のリスクから個人や地域社会が守られた。

 しかし、第一段階の裁量的政策によるリスクの社会化は、無駄、腐敗、既得権を生みやすい。その弊害が顕著になった二〇〇〇年代から、第二段階としての新自由主義改革が現れた。これは、規制緩和、社会保障や地方交付税の支出を削減することにより、リスクを個人や自治体に転嫁する政策であった。改革の当事者は、公正な市場を目指したのかもしれないが、事業仕分けのときに明らかになったように、裁量的政策による既得権は残された。その意味で、第二段階は図の第三象限に位置する。族議員と官僚の横暴に辟易した国民は当初この改革を歓迎したが、二〇〇〇年代の後半になって貧困、不平等の拡大という結果を認識するに至った。

 民主党の目指す政策は、第三段階としての制度的な再分配の強化だったはずである。子ども手当てや高校無償化もその一環である。国民に対して公平に政策的恩恵を配分し、生活不安を解消するとともに、内需主導の経済を作り出すことが、「生活第一」路線の中身である。かつての自民党政治におけるバラマキは、政治過程のインサイダーに対する裁量的な恩恵給付であったのに対して、民主党の政策は公明正大な再分配である。バラマキという批判に対してはそのように反論すればよいだけの話だが、指導部が明確な理念を共有していないために政策の骨格の議論においてぶれが目立った。

 また民主党が本来目指すべき理念は、三つのポストによって表現される。第一は、ポスト冷戦である。その中身は、アメリカの一極主義的な軍事行動への追随を見直し、アジアにおいて平和を作り出すという方向性である。鳩山政権は、核軍縮への積極的な姿勢、東アジア共同体構想、普天間基地の海外移転など、この方向のアジェンダを打ち出した。

 第二は、ポスト物質主義である。その中身は、成長の限界を踏まえ、持続可能性を鍵に経済のパラダイムを組み換えることである。鳩山首相は温室効果ガスの25%削減を打ち出し、この方向に踏み出すことを公約した。

 第三は、ポスト権威主義である。その中身は、市民の能動性を強化し、開放的な多文化社会を作ることである。民主党は、かねてより夫婦別姓や市民活動の支援などを唱えてきた。

 これらの理念に関して、当初は民主党も的確な方向感覚を示した。同時に、これらのビジョンは旧時代との訣別を打ち出すものであり、冷戦時代や権威主義を懐かしむ側からは強い反対を受ける。そこでこそ、政府与党の指導者の確信の度合いが問われることとなる。残念ながらこの点でも、民主党の信念は不十分であり、反対に遭うとぶれが目立つこととなった。また、大局的な理念を具体的な政策につなぐ知恵や戦略にも欠けていた。

 政権を失速させた大きな要因としては、政治と金をめぐる疑惑もある。資金疑惑そのものより、疑惑解明の姿勢や方法に関して民主党らしさが発揮されなかった点に、不信の原因があると私は考えている。民主党が野党時代に言ったことを今の野党が要求してくれば、それは受けるしかない。疑惑に蓋をして逃げ回る姿勢も、民主党の言う政治の刷新が口先だけでしかないという失望を広めた。

 では、これからいかにして政権の立て直しが可能なのであろうか。最大の前提は、仮に普天間基地移設問題が五月中に決着しなくても、鳩山首相が政権を投げ出さないことである。国民が選んだ政権が一年も持たずに瓦解すれば、政党政治に対する国民の期待も雲散霧消する。自民党政権末期と同じ混乱を繰り返してはならない。

 その上で、民主党は八カ月の政権運営を虚心に点検し、人事、政権運営、政策の各面で、どのような点で見通しを誤ったのかを自ら明らかにする必要がある。大きな期待を背負って就任した閣僚の中にも、無能さをさらけ出し、霞ヶ関で呆れられている政治家もいる。政権運営に関して政治主導の名の下に、政策調査会を廃止し、内閣と政務三役で政策を決定すると意気込んだものの、重要問題で内閣がまとまらず、幹事長の裁定を仰ぐ結果となった。しかも、幹事長室が陳情を取り次ぐことを通して、公共事業費の裁量的配分という旧体制に回帰した印象さえ与えた。政策面では、野党時代に作ったマニフェストをすべて実現することなど不可能であるにもかかわらず、その実現のプログラムについて筋道だった議論がない。

 初めて政権を取ったのだから、試行錯誤があるのは当然である。問題は、錯誤を自ら認識し、それを修正する能力があるかどうかである。民主党の指導部が参議院選挙後の再編に関心を向けているとすれば、それは政治家の身勝手であり、国民に対する背信である。民主党は衆議院の圧倒的多数を基盤に、政策転換を実現する義務を負っている。

政権交代の経験を無駄にしないために、民主党は次のような課題を自ら解決しなければならない。第一に、この政権は何をするために生まれたのか、民主党はこれから何をしたいのか、理念を共有することが何よりも肝心である。そして、政権獲得後の現実も踏まえて中期的なビジョンを打ち出すべきである。

 第二に、政策調査会を復活させて、与党の政治家の総力を結集する体制を構築する必要がある。税制や社会保障の改革など、基盤的な政策転換を進めるためには、与党の力を結集し、議論を蓄積した上で国民に提起する必要がある。

 ここで述べた課題を実現するのは、政府与党のリーダーの役割である。指導部が選挙至上主義に陥れば、かえって有権者は民主党から離れていく。政権の危機を迎えた今、政権交代と政策転換という原点に立ち戻り、自己修正を図ることこそ、唯一の活路である。(日本経済新聞6月23日)


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